白痴・悪霊

[ ドストエフスキー作品の登場人物一覧表 ]


ドストエフスキーの小説はかなり登場人物が多い上に、名前が長くてややこしいです。一人の人物への呼び方も様々なので途中で訳がわからなくなってしまい、読者泣かせです。そこでこれから作品を読もうかな~と思っている方の一助にでもなればと、人物一覧表を作ってみました。

・登場人物の【通称・愛称、正式名、性別、年齢、職業身分、主人公との関係その他】などです。
・テキスト(私が読んだ本)は『二重人格』以外は新潮文庫です。出版社や訳者によって、名前の読み方は少々違っていますのでご注意下さい。(例:新潮文庫『白痴』の ムイシュキン → 他の本では ムィシキン)
・中村健之介『ドストエフスキー人物事典』や、Seigoさんのサイト「ドストエフ好きーのページ」を参考にさせていただきました。
・わからない箇所や間違いなどは気付いた時に追加・修正しております。
・紹介文や主・脇役の区別は私の主観が入っています。なにとぞご了承下さい(^^;全体に見にくくてすみません。)



・『白痴』・『悪霊』(このページ)
『未成年』・『罪と罰』
『永遠の夫』・『死の家の記録』
『カラマーゾフの兄弟』・『二重人格』
『虐げられた人々』・『賭博者』・『貧しき人々』




『白 痴』木村浩 訳) 1868年(47歳)

<あらすじ>
作者が「無条件に美しい人」として描いたムイシュキン公爵をめぐり、エゴイズムと粗暴さの露わな青年ロゴージン、憎悪と汚辱の中にあっても誇り高いナスターシャ、明るい将軍家令嬢アグラーヤ達との恋愛模様が描かれている長編。純心で無垢な魂を持つ公爵はだれからも愛されるが、周囲の人々との間に次々と事件が持ち上がる・・・。

●主な人物

ムイシュキン(レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン)
26、7歳.公爵.ドストエフスキーが「完全に美しい人」として描こうとした人物.スイスで療養していたが、ペテルブルグへ帰って来てエパンチン家へ身を寄せる.

ナスターシャ(ナスターシャ・フィリッポヴナ・バラシコーワ
 25歳.誇り高い美貌の女性.少女期よりトーツキイの愛人にさせられたため憎悪の塊となっているが、強い自責感にも苦しむ.ムイシュキンと出会い心を開く. 

ロゴージンセミョン・パルフョノヴィチ・ロゴージン)
 27歳.野性的な商人の息子.ナスターシャへの情欲に身を焦がしムイシュキンに嫉妬するが、ムイシュキンとは兄弟のような仲にもなる.

アグラーヤ(アグラーヤ・イワーノヴナ・エパンチナ)
  20歳.明るく美しいエパンチン家の三女.ムイシュキンを愛し、ナスターシャとの三角関係になる.ナスターシャとの美女対決シーンが見もの?

●個性豊かな脇役たち

・ エパンチン将軍(イワン・フョードロヴィチ・エパンチン)  56歳.実業家.アグラーヤ姉妹の父.
・ リザヴェータ夫人(リザヴェータ・プロコフィエヴナ)  56歳.アグラーヤ姉妹の母.娘アグラーヤの恋のゆくえに気をもむ.ムイシュキンの遠縁の人.
・ アレクサンドラ  25歳。エパンチン家の長女
・ アデライーダ   23歳。エパンチン家の二女

・ イヴォルギン将軍 (アルダリオン・イヴォルギン) ?歳。ほら吹きでアル中気味。
・ イヴォルギン夫人 (ニーナ・アレクサンドロヴナ・イヴォルギナ)  50歳.下宿屋を営む.
・ ガーニャ (ガブリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギン)  27歳.イヴォルギン将軍の長男.エパンチン家の秘書.ナスターシャとの結婚を考えている.
・ ワルワーラ (ワルワーラ・アルダリオノヴィチ) 23歳。ガーニャの妹。
・ コーリャ 13歳.ガーニャの弟.

・ レーベジェフ  40がらみの噂好きな小役人.妻を亡くし二人の子を育てる.黙示録を15年講読している.
・ ヴェーラ レーベジェフの娘.(赤ん坊の妹もいる)

・ イポリート (イポリート・テレンチェフ) 18歳の青年.肺の病に冒されて死期が近い.その心境を綴った論文「わが必要欠くべからざる弁明」を皆の前で発表する.
・ マルファ・テレンチェワ ?歳。イポリートの母。イヴォルギン将軍の情婦.
・ トーツキイ (アファナーシィ・イワーノヴィチ・トーツキイ) 男.55歳.地主貴族でナスターシャの囲い主だった.
・ ラドムスキー公爵 (エヴゲーニィ・パーヴロヴィチ・ラドムスキー) 28歳。エパンチン将軍の知人(?).冷静な傍観者。
・ Ш(シチャー)公爵 男。35歳。
・ プチーツィン 30歳。高利貸し。ワルワーラと婚約している。
・ フェルディシチェンコ 若い官吏?.陽気者で酒飲み.ナスターシャの取り巻き.夜会でプチジョー(遊び)を提案する.
・ マリイ 20歳位。ムイシュキンがスイスに滞在中知り合った薄幸の娘。
・ 故ニコライ・アンドレエヴィチ・パブリーシチェフ 男。ムイシュキンの養育者で恩人。
・ ドクトレンコ (ウラジミール・ドクトレンコ)レーベジェフの甥で現代ロシア青年。
・ ブルドフスキー (アンチープ・ブルドフスキー) 22歳位の現代ロシア青年.パブリーシチェフの息子と思われていたが、違っていた.
・ ケルレル 30歳位.退役中尉で拳闘を教える.ロゴージン一派に属していた.






『悪 霊』江川卓 訳) 1871~72年(50~51歳)

<あらすじ>
組織の結束を図るため転向者を殺害した”ネチャーエフ事件”(1869年)を素材にしている。人々を背後で動かし見えない影響を与える超人的人物スタヴローギンと、彼を取り巻く秘密革命集団の青年達(キリーロフ、シャートフ、ピョートルら)や、ワルワーラ夫人とその同居人ステパンなどの個性と活躍で彩られている。有名な「スタヴローギンの告白」の章は作者が『悪霊』の中心に据えていたが、内容の反社会性ゆえに当時の雑誌への掲載を拒否され、1922年に初めて発表された。(新潮文庫では作品の最後に掲載。)ドスト作品の中でも最も複雑で謎めいた物語とされている長編。

●主な人物

スタヴローギン(ニコライ・フセヴォロドヴィチ・スタヴローギン)
  25歳.知力体力ともに並外れた美貌の貴公子.母の住む故郷へ4年ぶりに戻って来た.

ステパン先生(ステパン・トロフィーモヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー)
  53歳.元大学教授.西欧派の理想主義者.ワルワーラ夫人宅に寄宿し庇護を受けている.ピョートルの父で、スタヴローギンの少年期の教育係.(モスクワ大学教授グラノフスキーがモデルとされている)

ワルワーラ夫人(ワルワーラ・ペトローヴナ・スタヴローギナ)
  50歳.地主.スタヴローギンの母.町の社交界で権勢を回復しようと考えている.またステパンと養女ダーシャを結婚させようともくろむ.

キリーロフ(アレクセイ・ニーロヴィチ・キリーロフ)
  26,7歳.建築技師.特異な自殺哲学を持つ.人神論者.

シャートフ〔シャートゥシカ](イワン・パーヴロヴィチ・シャートフ)
  27,8歳.スタブローギン家の農奴の息子.民族主義者.(ネチャーエフ事件で殺害されたイワーノフがモデルとされている)

リーザ(リザヴェータ・ニコラエヴナ)
  20歳.貴族の令嬢.スタヴローギンと愛し合う。

ピョートルペトルーシャ](ピョートル・ステパーノヴィチ・ヴェルホーヴェンスキー)
  27歳.社会革命活動の策士.ステパンの息子.様々な事件が終わった後、行方をくらます.(ネチャーエフがモデルとされている)

●強力な脇役たち

・ ダーリヤ〔ダーシャ]20歳.シャートフの妹.ワルワーラ夫人の養女.一時はスタヴローギンの看護婦役を申し出る.
・ マリー(マリヤ・シャートヴァ)?歳.シャートフの妻.スタヴローギンの子を産む.
・ マリヤ・レビャートキナ 30歳.スタヴローギンと秘密の結婚をする.足が不自由でやや神がかった面もある.
・ レビャートキン大尉 40歳.マリヤの兄.
・ フェージカ 男.脱獄囚.スタヴローギンにそそのかされ、レビャートキン兄妹を殺害.
・ マヴリーキー 32,3歳.リーザの婚約者.
・ カルマジーノフ 55,6歳.大文豪.ツルゲーネフがモデルとされる.

(革命活動の仲間達―いわゆる5人組…6人いる?)
・ プーチン 男.中年.県の役人.無神論者.フーリエ主義者.
・ ヴィルギンスキー 男.30歳.役人.妻は産婆.
・ ガリョフ 男.?歳.専制社会主義者.シャートフ殺しから抜ける.
・ リャムシン 男.?歳.ユダヤ人.
・ エルケリ 男.18歳.ピョートルに心酔.
・ トルカチェンコ 男.?歳.

・ チホン僧正 スタヴローギンの告白を聞く町の修道院の僧侶.55~6才.病身でやせている。
・ マトリョーシャ 12歳.スタヴローギンの下宿先の少女.
・ ソフィヤ 34歳.聖書売りの女で、ステパンと出会う.
・ レンプケアンドレイ・フォン・レンプケ) 40歳.県知事.
・ レンプケ夫人(ユリヤ・ミハイロヴナ・レンプケ) 45歳.
・ ガガーノフ(アルテーミィ・ガガーノフ) 男.33歳.地主.
・ (アントンとも呼ばれる) 作中では「私」となっている語り手. 

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 未成年・罪と罰

 



『未 成 年』 (工藤精一郎 訳) 1875年(54歳)

<あらすじ>
主人公アルカージイが長年離ればなれになっていた父母と再会する所から話は始まる。内部分裂に苦しむ貴族の父、幼少時の記憶のままの母、父が激しい憎悪と愛を抱く女性カテリーナ達に会い、アルカージイは日々困惑したり喜んだりする。父への羨望や疑い・愛憎を感じながらも幾多の事件を経て、また人々との衝突、出会いと理解を通じて空想と現実の違いを知っていく。揺れ動きつつ成長して行く青年のみずみずしい心の軌跡を描いた長編。

●主な人物

アルカージイ(アルカージイ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキー)
20歳.ヴェルシーロフの実子.ソコーリスキー老公爵の秘書.生まれて間もなく他人に預けられ寄宿舎で暮らしていた。19歳になった時父に呼ばれてペテルブルグへ出て来て、両親や妹、義姉らに会う.ロスチャイルドになるのが夢

ヴェルシーロフ (アンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフ)
45歳.様々な女性と浮名を流す、アルカージイの父

ソーフィヤ(ソーフィヤ・アンドレーエヴナ)
38歳.アルカージイの母.百姓の娘で、庭師マカールと形式上の結婚をした.ヴェルシーロフとの間にアルカージイとリーザが生まれる.素朴でやさしい愛情を持った母親

カテリーナ(カテリーナ・ニコラエヴナ・アフマーコワ)
?歳.ソコーリスキー公爵の娘.故アフマーコフ将軍の後妻だった.ヴェルシーロフの恋人

リーザ(リザヴェータ・マカーロヴナ・ドリゴルーコワ)
19歳.アルカージイの実の妹.ソコーリスキー若公爵の子を身ごもる

マカール老人 (マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキー)
70代.アルカージイの戸籍上の父.ヴェルシーロフの召使で庭師だったが、妻ソフィヤがヴェルシーロフと住むようになってからは巡礼の旅に出る.謙譲な信仰心を持ち、その生き方がアルカージイに大きな影響を与える

タチヤナ伯母(タチヤナ・パーヴロヴナ・プルトコーワ
みんなと血縁関係はないが、世話好きの元気な小地主の伯母さん.少年アルカージイを乳母のように、時にはどやしながら育てた.

アンナ (アンナ・アンドレーエヴナ・ヴェルシーロワ)
22歳.アルカージイの異母姉.

●個性豊かな脇役たち

・ソコーリスキー老公爵(ニコライ・イワーノヴィチ・ソコーリスキー) ――?歳.カテリーナの父で、ヴェルシーロフの友人.アンナと婚約中.
・故アフマーコフ将軍 ――カテリーナの夫だったが、病死した.
・リーディヤ ――16歳.アフマーコフ将軍の前妻の娘.ヴェルシーロフの子を身篭っているとの噂.
・セリョージャ公爵(セルゲイ・ペトローヴィチ・ソコーリスキー)  ――?歳.リーザの恋人.名門の貴族で現実的な能力は乏しい.リーザが自分の子を身ごもっていると知りながら、アンナに結婚を申し込む.
・ストルベーエフ ――セリョージャ公爵の祖父
・ストルベーエワ ――セリョージャ公爵の祖母

(アルカージイの友人達)
・エフィム・ズベレフ 男.19歳
・クラフト      男.26歳 アンドロニコフの助手.後に自殺.
・デルガチョフ    男.25歳 革命運動のグループのリーダー.
・ワーシン      男.20歳? 

・ステベリコフ ――?歳.ワーシンの義父.
・故アンドロニコフ ―― ヴェルシーロフの財産問題を担当していた.
・マーリヤ・イワーノヴナ ――?歳.アンドロニコフの姪.アルカージイの中学時代の親代わり. カテリーナが書いた「重要な手紙」を持っていたが、アルカージイにそれを渡す.

・ニコライ・セミョーノヴィチ ―― ?歳.マーリヤ・イワーノヴナの夫.
・ラムベルト ―― 寄宿学校の時の同級生で、アルカージイを子分にしていた.のっぽの男とトリシャートフと共にアルカージイを恐喝する.
アルフォンシーヌ ―― ラムベルトの妻
・のっぽ ――名前は不明(たぶんアンドレーエフ)
・トリシャートフ ――ラムベルトの陰謀に加わりながらも、アルカージイに味方する.
・オーリャ ―― ?歳.ヴェルシーロフと関係を持つが捨てられる女性
・ダーリヤ・オニーシモヴナ ―― ?歳.オーリャの母
・ビオリング男爵 ――カチェリーナと婚約している.

『未成年』は登場人物が複雑に入り組んでいるため、読み初めはわかりづらいです。簡単な相関図を作るといいみたいです。







罪と罰(工藤精一郎 訳)1866年(45歳)

<あらすじ>
鋭敏な頭脳を持つ貧しい大学生ラスコーリニコフは、一つの微細な犯罪は百の善行に償われるという理論のもとに、強欲な高利貸しの老婆を殺害する。偶然その場に来た老婆の妹まで殺したことが彼の心に重くのしかかり、次第に罪の意識に怯えるようになる。不安と恐怖にかられていたラスコーリニコフは娼婦ソーニャと出会い、その自己犠牲的な生き方を知るようになるが、予審判事のポルフィーリーの心理的追跡にも追いつめられていく・・・。ドストエフスキーの長編代表作の一つ。

●主な人物

ラスコーリニコフ [ロージャ](ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ
ペテルブルグに住む貧しい青年で元大学生.23歳.屋根裏部屋に引きこもり嫌人症にとりつかれている.

ソーニャ [ソーネチカ](ソーフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ)
マルメラードフの前妻の娘で一家の生計のため娼婦をしている.17,8歳

マルメラードフ (セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ)
元官吏.50歳.アル中気味のソーニャの父.自分の駄目ぶりを人に語るのを好む.

スヴィドリガイロフ(アルカーヂイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ)
50がらみの高等遊民の男.家庭教師に招いたドゥーニャを誘惑する.そのため妻から家を追い出されるが、後に妻を殺したとの噂も立つ.

ドゥーニャ [ドゥーネチカ](アヴドーチャ・ロマーノヴナ)
ラスコーリニコフの美しい妹.スヴィドリガイロフの家に住み込みで働いていた.

ポルフィーリイ (ポルフィーリイ・ペトローヴィチ)
35,6歳.アリョーナ殺しを担当する予審判事で、ラスコーリニコフと対決する.ラズミーヒンの親戚.

●強力な脇役たち

・ カテリーナ・イワーノヴナ :マルメラードフの後妻で幼い3人の子供がいる.ソーニャの義母.
・ ポーレチカ[愛称ポーリャ,ポーレンカ] :マルメラードフとカテリーナの娘.
・ リードチカ              :女の子.上に同じ.
・ コーリャ               :男の子.上に同じ.
・ プリヘーリヤ(プリヘーリヤ・アレクサンドロヴナ・ラスコーリニコワ) :年金と内職で暮らしている、ラスコーリニコフの母.43歳.田舎からドゥーニャと共に出てくる.
・ アリョーナ(アリョーナ・イワーノヴナ) :60歳前後の女.金貸し業を営む.
・ リザヴェータ(リザヴェータ・イワーノヴナ) :35歳.古着屋.アリョーナの義妹.ソーニャの友達で聖書や十字架をやり取りした.
・ ラズミーヒン(ドミートリイ・プロコーフィチ・ラズミーヒン) :ラスコーリニコフの友人
・ ゾシーモフ :27,8歳の医者
・ ルージン(ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン) :45歳.スヴィドリガイロフの妻の親戚で、ペテルブルグに弁護士事務所を開こうとする.ドゥーニャと婚約する.
・ レベジャートニコフ(アンドレイ・セミョーヌイチ・レベジャートニコフ) :役人.?歳
・ マルファ・ペトローヴナ :女地主.スヴィドリガイロフと結婚した.
・ イリヤ・ペトローヴィチ :警察署の副署長
・ ニコージム・フォミッチ :警察署長
・ ザミョートフ      :警察署の事務官
・ ナスターシャ[ナスターシュシカ] :ラスコーリニコフの下宿のおかみ.
・ アマリヤ・フョードロヴナ    :マルメラードフ家の家主のおかみ.
・ ミコールカ  :ペンキ屋.ラスコーリニコフが殺人の後隠れた部屋でペンキを塗っていたため、犯人として逮捕される.



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<ドストエフスキー作品の登場人物一覧表>永遠の夫・死の家の記録

 



『 永遠の夫 』千種堅 訳)1870年(49歳)

<あらすじ>
ヴェリチャーニノフという高等遊民の男が、9年前に交際していた女性の夫トルソーツキイに似た人物に街中で出会う所から物語は始まる。忘れかけていた記憶が徐々に甦り、二人は再会を喜び合うかに見えたが、トルソーツキイには娘がいることがわかり、ヴェリチャーニノフの子どもであるらしいとほのめかされるのだった…。中篇小説。

●登場人物

ヴェリチャーニノフ(アレクセイ・ヴェリチャーニノフ) : 38歳の貴族.男前で女遊びの経験が多い.ナターリヤと恋仲になるが、後で“はき古したぼろ靴”のように縁を切られる.

トルソーツキイ(パーヴェル・パーヴロヴィチ・トルソーツキイ):44歳?の役人.ナターリヤの夫.妻に愛人がいるのに気付かなかったり、知っていても何も出来ない“永遠の夫”.

・(故)ナターリヤ・ヴァシーリエヴナ :トルソーツキイの妻.37歳で死亡.ヴェリチャーニノフと恋仲だったが、その後バガウートフと付き合う.
・ リーザ :8歳位の女の子.トルソーツキイが育てていた.ヴェリチャーニノフの実子らしい.
・ バガウートフ(スチェパン・ミハイロヴィチ・パガウートフ):ナターリヤの恋人だった青年.
・ ポゴレーリツェフ :55歳.ヴェリチャーニノフの知人
・ クラヴジヤ・ペトローヴナ :37歳.ポゴレーリツェフの妻.ヴェリチャーニノフの旧友でリーザを一時預かる.

・ フェドセイ・ペトローヴィチ・ザフレビーニン :5等官.ヴェリチャーニノフの訴訟の相手側で働いている.8人の娘と一人の息子がいる.
・ ザフレビーニン夫人
・ ナジェージダ・フェドセーエヴナ[ナージャ] :15歳.トルソーツキイが妻の死後、熱をあげ結婚を考えている少女.ザフレビーニン家の6番目の娘.
・ カチェリーナ・フェドセーエヴナ[カーチャ] :24歳.ナージャの姉.
・ アレクサンドル・ロボフ :19歳.ナージャの恋人.
・ マリヤ・ニキーチシナ :23歳.ナージャの友人で皮肉屋の才女.
・ オリンピアーダ・セミョーノヴナ [リーポチカ] :トルソーツキイの新しい妻. 
・ ミーチンカ :オリンピアーダの恋人?






『 死の家の記録 』(工藤精一郎訳)1860~62年(39~41歳)

<作品説明>
ドストエフスキーは1849年(28歳)に思想犯として逮捕され、死刑を宣告されながら刑の直前に恩赦で死刑を免れた。その後シベリア流刑に処せられたが、その4年間にわたる獄中体験と見聞の記録が作品の原型となっている。地獄のようなシベリアでの生活、囚人達の日常生活や心理を、ドスト氏流の深く鋭い観察眼と正確な描写によって再現している中篇小説。

●主な人物

・わたし(アレクサンドル・ペトローヴィチ・ゴリャンチコフ)
 35、6歳.この記録を書いた人物.妻を殺害して10年の刑期の後、シベリアに移住し家庭教師をしている人嫌いの男.(死後、記録を記した手帳が見つかる)

・アレイ : タタール人.誰からも好かれ、獄中でも心がすさまない。「わたし」にとって最良の出会いの一つだったとされる人物.

ペトロフ : 40歳前後.強い性格の一人.私と話したがるが普段は知らん顔をしている.突然怒りを爆発させることもあり、恐れられている.

・イサイ・フォーミチ : 50歳前後.ユダヤ人.滑稽でひょうきん.祈祷の姿が印象的.宝石加工の仕事をする.

・アキム・アキームイチ : 貴族で器用に様々なものを作る.品行方正で規則を守ることが好き.

・ヴォローノフ : 60歳位.旧教徒.子どものように素直に笑う.信仰が厚いが心の底には深い悲しみを持つ.囚人達から信頼され、皆のお金を預かっている.

●個性強き獄中の人たち

・スシーロフ : 他の囚人の身代わりになって重刑になった.「わたし」の用足し係で世話を焼いてくれる.
・シロートキン : 23歳.美貌の青年.新兵の時隊長を殺して特別監房へ.
・ルーチカ : 若いウクライナ人.尊敬されていないが自尊心が強い.
・バクルーシン : 30歳前後.元屯田兵.気持ちのよい気性の男.クリスマスの芝居で活躍.
・ガージン : 酒飲みで醜かいな大男.残忍.
・オルロフ : 気力の強い男.
・クリコフ : 囚人Aと逃亡する.
・ミハイロフ: 肺病で病死する.
・アントーノフ : ペトロフと口論する.
・ロマン  : 馬の引き手.
・チェクーノフ
ポーランド人4名
 T ? 
 M 強い自制力を持つ.「わたし」は尊敬していたが愛せなかった
 B 怒りっぽく善良でやや独善的.「わたし」は愛していたが後に別れる
 J 年中祈っていた老人
・クリフツォーフ少佐 : 監獄の指揮官.威圧的で冷酷な人物
・G中佐 : 父親のように囚人を愛し、囚人からも好かれた
・A : 貴族でスパイ.卑劣なため「わたし」が最も嫌悪していた
・オシップ   : 料理人
・スクラートフ : ひょうきんな若者
・ナスターシャ : 「わたし」に聖書をくれた未亡人
・病院の囚人たち、狂人たち
・犬3匹(シャーリック、ベールカ、クリチャプカ)



『白痴』・『悪霊』
『未成年』・『罪と罰』
『カラマーゾフの兄弟』・『二重人格』

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<ドストエフスキー作品の登場人物一覧表>カラマーゾフ・二重人格

 



『 カラマーゾフの兄弟 』1979~80年(58~59歳)  原卓也 訳

<作品紹介>
ドストエフスキー最後の長編で、『罪と罰』と並んで代表作とされる場合が多い。カラマーゾフ家の父フョードルとその息子達(ドミートリィ、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフ)、彼らをめぐる女性達との愛憎と葛藤が描かれている。父親殺しという事件を中心に、推理小説的な緊張感を伴って展開するこの作品は、農奴解放後のロシア社会を描いた社会小説とも言われている。有名な劇中詩「大審問官」は、個人と社会とは、人間の自由とは、という問いかけでもあり、宗教性を超えた人類普遍のテーマを扱っている。カラマーゾフ家の物語のほか、個性豊かな人物たちのエピソードもあり、深い思想性を湛えながらも娯楽小説として楽しめる作品となっている。

●登場人物

フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ
カラマーゾフ家のあるじで、兄弟の父親.金儲けが巧く好色な地主

ドミートリィ [ミーチャ] (ドミートリィ・フョードロウィチ・カラマーゾフ):
長男.28歳.退役軍人.激情的で正直な性格.財産相続と女性問題(グルーシェンカ)で父親と争っている

イワン [ワーニャ] (イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ):
次男.24歳.知能優秀で無神論的思想の持ち主.創作詩「大審問官」をアリョーシャに聞かせる

アリョーシャ [アリョーシカ] (アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ):
三男.20歳.敬虔な見習い修道僧.誰からも愛される心やさしい青年

スメルジャコフ (スメルジャコフ・パーヴェル・フョードロウィチ):24歳.フョードルの私生児と噂されている.カラマーゾフ家の召使で料理人

・アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソワ :ドミートリィの母.彼が3歳の時家出、しばらくして亡くなる
・ソフィヤ・イワーノヴナ :イワンとアリョーシャの母.アリョーシャが4歳の時亡くなる

グルーシェンカ (アグラフェーナ・アレクサンドロブナ・スヴェトロワ)22歳.フョードル(父)とドミートリィ(長男)双方に思いを寄せられる情熱的な女性. かつてサムソーノフに囲われていた

カチェリーナ・イワーノヴナ[カーチャ] ドミートリィの表向きの婚約者.?歳.イワンを愛する誇り高い女性

・グリゴーリイ・ワシーリエウィチ: カラマーゾフ家の従僕
・マルファ・イグナーチエヴナ  : その妻
・リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ: スメルジャコフの母と噂された神がかりの乞食女
・マリヤ・コンドラーチエヴナ: スメルジャコフの女友達.カラマーゾフ家の隣家の娘

リーザ・ホフラコワ[リーズ]: アリョーシャの幼友達.14歳.小児麻痺で足が不自由
ホフラコワ夫人: リーズの母.35歳前後.女地主で未亡人

ゾシマ長老(ジノヴィイ): アリョーシャが修行する僧院の長老.65歳
マルケール : ゾシマ長老の兄.17歳で亡くなった
・ラキーチン[ラキートカ](ミハイル・オーシポウィチ・ラキーチン):出世主義の元神学生
・イォシフ神父   : 図書係
・フェラポント神父 : 75歳くらい.神がかりの行者.長老制に批判的
・パイーシー神父  : 司祭修道士で病身の学者.ゾシマの死後、僧院の面倒を見る
ポルフィーリィ  : 見習い僧
・オブドールスクから来た修道僧 : ゾシマ長老の腐臭を騒ぎ立てる

ミウーソフ(ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ) 50歳.ミーチャの母の従兄.ミーチャの幼少時に後見人になっていた
・カルガーノフ(ピョートル・フォミーチ・カルガーノフ) 20歳位.ミウーソフの遠縁にあたる.アリョーシャの友人
・マクシーモフ 60歳くらいの地主."フォン・ゾーン"というあだ名

スネギリョフ 45~6歳.貧しい退役二等大尉.イリューシャの父
イリューシャ [イリューシェチカ] 10歳くらい.大変な父親思い.飼い犬のジューチカにピンを飲ませたことで苦しんでいる
・アリーナ・ペトローヴナ 43~4歳.イリュ-シャの母で少し気がふれている
・ニーノチカ(ニーナ・ニコラーエヴナ) 20歳くらい.イリューシャの姉.足が麻痺している天使のような女性
・ワルワーラ・ニコラーエヴナ ?歳.イリューシャの姉

コーリャ(ニコライ・イワノフ・クラソートキン) 13歳.町の少年達のリーダー
・クラソートキナ夫人: コーリャの母
・スムーロフ: 11歳くらいの少年.コーリャの下級生
・カルタショフ少年
・少年達 
・ジューチカ: イリューシャが飼っていた犬.一度いなくなったが、コーリャがペレズヴォンと名付けて飼っていた

・エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ :イワンとアリョーシャを幼少時に養育した人
・クジマ・サムソーノフ :グルーシェンカのパトロンだった老商人
・ヘルツェンシトゥーベ先生:70歳位の医者.町の人に尊敬されている.ミーチャが幼い時、くるみを与えた
・ペルホーチン(ピョートル・イリイチ・ペルホーチン):若い官吏.ミーチャがピストルを担保にお金を借りた.
・ムッシャローウィチ: 40歳近い小柄なポーランド人で、退役12等官.グルーシェンカの初恋の相手
・ヴルブレフスキー: ポ-ランド人で、ムッシャローヴィチの付添い人.長身の歯医者

・ミハイル・マカーロウィチ: 郡の警察署長.長身で太っている
・イッポリート・キリーロウィチ: 検事.才能が正当に評価されぬと不満を持っている.裁判ではミーチャ有罪の論告を行う
・ニコライ・パルフューヌイチ・ネリュードフ: 新任の若い予審調査官
・フェチュコーウィチ:40歳くらい.有名ならつ腕弁護士で、ミーチャを弁護する

・ゴルストキン(レガーヴィ.あだ名=セッター):ドミートリィが借金の交渉に行く森の売買人
・フェーニャ :グルーシェンカの家の召使
・トリフォン・ボリースイチ : 百姓で、モークロエ村の宿屋の主人
アンドレイ : 若い御者.ドミートリーをモークロエ村へ連れて行く
・この作品の語り手
他の人々

* 作品の詳しい説明と紹介は、Seigoさんのサイト「ドストエフ好きー」の『カラマーゾフの兄弟』についてや、雪こぐまさんのサイトの『カラマーゾフの兄弟』のページが参考になります。

CD「大審問官」from雪こぐまさん




『 二重人格 』 (『分身』) 1846年(25歳) (岩波文庫.小沼文彦訳)

<あらすじ>
しがない下級官吏のゴリャートキンが、周囲の人間に認められたくて悪戦苦闘する内に、幻覚で分身が現われる。分身はゴリャートキンの理想像として活躍し始め、苦しむゴリャートキンは次第に追いつめられていく・・・。

●登場人物

ヤーコフ・ペトローヴィッチ・ゴリャートキン : 作品の主人公.ペテルブルクに住む役人(九等文官で係長補佐).小心で引っ込み思案

ペトルーシカ :ゴリャートキンの下男.当初ゴリャートキンに忠実に仕えていたが、次第に反抗的になり家を出て行ってしまう
・クレスチヤン・イワーノヴィッチ : ゴリャートキンのかかりつけの内科外科専門医.

【役所の人々や同僚たち】
アンドレイ・フィリッポヴィッチ : 役所の係長で六等文官.ゴリャートキンの上司.
・オルスーフィイ・イワーノヴィッチ : ゴリャートキンの恩人で五等文官.娘の誕生祝の会を催す
・アントン・アントーノヴィッチ・セ-トチキン :クラーラの名付け親.ゴリャートキンの上司.
・ネストル・イグナーチイェヴィチ・ヴァフラメーイェワ : 役所の若い事務官
・オスターフィイェフ : 書記官.ゴリャートキンが自分の噂について聞き出そうとする
・イワン・セミョーヌイッチ : ゴリャートキンの席の後釜に座った役人
・ピサレンコ : 書記
・閣下 : ゴリャートキンが最後に会いに行く、役所の長官(?)

・ウラジーミル・セミョーノヴィッチ : アンドレイの甥で26歳.クラーラの婚約者.
・クラーラ・オルスーフィイェヴナ:イワーノヴィッチ家の一人娘.ゴリャートキンが片想いしている?
・ゲラーシムイッチ : イワーノヴィッチ家の老僕.ゴリャートキンを追い返す 
・カロリーナ・イワーノヴナ : ドイツ人の女.ゴリャートキンが以前下宿していた料理店のおかみ(間接的に話に出る)

・ゴリャートキンの<分身> 


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<ドストエフスキー作品の登場人物一覧表> 虐げられた人びと・賭博者・貧しき人々

   <ドストエフスキー作品の登場人物一覧表>

 



『虐げられた人びと』 1861年 40歳

◆登場人物

・語り手「私」 ワーニャ(イワン・ペトロ-ヴィチ)25歳位、新進作家。孤児だったのでイフメーネフに育てられる。(ドストエフスキーがモデルらしい)

・ ニコライ・セルゲーイッチ・イフメーネフ(小地主。ワーニャの育て親。ワルコフスキーと親密な間柄だったが、現在は対立関係になって憎んでいる)

・ アンナ・アンドレーエヴナ(イフメーネフの妻)

・ナターリア・ニコラーエヴナ(ナターシャ)22歳? イフメーネフ夫妻の娘。ワーニャと幼馴染で昔は互いに好きだったが、アリョーシャと出会い恋人となって家出する。)

・ピョートル・アレクサンドロヴィチ・ワルコフスキー公爵(45歳前後。かなりの知恵者らしい)

・アレクセイ・ペトローヴィチ(アリョーシャ)22歳。ワルコフスキーの息子。ナターシャと駆け落ちする。7~19歳までナインスキー伯爵が養育する。

・伯爵夫人(ジナイーダ・フョードロヴナ) お金目当てにワルコフスキーが結婚しようとしている女性。
・カチェリーナ(17歳? 伯爵夫人の継娘。ワルコフスキーが持参金目当てで息子と結婚させようと企む)
・エレミア・スミス老人 駆け落ちした娘を許せず、悲惨な生活の中に死亡する。
・ネリー(=エレーナ、レーノチカ)13歳くらい。スミス老人の孫。出生の秘密がある。
・ネリーの母  男と駆け落ちしお金も騙し取られる。ネリーを生んでからは薄幸の内に亡くなる。
・マスロボーエフ(ワーニャの中学時代の友人。現世的な性格で探偵のような仕事をしている)
・アレクサンドラ・セミョーノヴナ(その妻)人を招待したり世話を焼くのがとても好き。
・アンナ・トリフォーノヴナ(マダム ブブノワ) 孤児のネリーを引き取り虐待する。怪しげな仕事をしている。




 『 賭博者 』  1866年 45歳  (原卓也 訳) 

<あらすじ・作品紹介>
ドイツの保養地ルーレテンブルグに滞在している将軍一家と、その家庭教師の青年、将軍をとり巻く人々との交流を中心にして、主人公がルーレットに熱中していくさまが描かれている中篇小説。

主人公は作家自身をモデルにしていると言われており、一時期ルーレット賭博にはまった体験と心理を克明に描いている。またポリーナは当時ドストエフスキーの愛人だったアポリナーリヤ・スースロワを、デ・グリューは彼女の恋人だったスペイン人をモデルにしたらしい。(作品は後に2番目の妻になったアンナ・グリゴーエヴナが口述筆記をし、26日間で書き上げられた。)

●登場人物

・ アレクセイ・イワーノヴィチ : この本の語り手.25歳.将軍家の家庭教師.ポリーナに恋をしている

・ 将軍  : 55歳のロシア人のやもめ.デ・グリューに多額の借金をしており、伯母(車椅子のおばあさん)の遺産をあてにしている.ブランシュに惚れて結婚を申し込む

・ ポリーナ・アレクサンドロヴナ・プラスコーヴィヤ : 将軍の義理の娘.デ・グリューに憧れており、アレクセイには複雑な感情を持つ
・ ミーシャとナージャ : 将軍の子ども
・ マドモワゼル・ブランシュ(ド・コマンジュ): フランス人で25歳.美貌のため男達に言い寄られる.財産と高い身分を欲しがっている
・ ブランシュの母親
・ ミスター・アストリー : イギリス人実業家.純情な性質.ポリーナに恋をしている
・ デ・グリュー : フランス人侯爵.将軍にお金を貸している.
・ おばあさん :(アントニーダ・ワシーリエヴナ・タラセーヴィチェワ) 75歳.将軍の伯母.死にかけていると皆に思われていたが、車椅子で町にやって来る

・ マルファ   :  おばあさんの召使
・ ポタープイチ :  おばあさんの執事
・ マリヤ・フィリーポヴナ : 将軍一家と行動を共にしている女性?(職業や他の人との関係など不明)





『 貧しき人びと 』   1844年  23歳 (木村浩 訳)

ドストエフスキーが工兵局を退職した後に執筆した処女作で、当時の批評家ベリンスキーに絶賛された。約半年にわたる往復書簡の形で書かれた短編小説。

<あらすじ>
しがない小役人マカール・ジェーヴシキンと、薄幸の若い女性ワルワーラは、ペテルブルグの安アパートに向かい合わせてひっそりと住んでいる。二人は互いに贈り物をしたり手紙をやりとりして、とりとめのない会話を交わしている。病弱なワーレンカが自分の行く末を思っていた所、ある男からの求婚が舞い込んできて・・・・・・。

●登場人物

 マカール・アレクセーエヴィチ・ジェーヴシキン  小心で善良な九等官の役人.ワルワーラの遠い親戚 

 ワルワーラ・ドブロショーロワ 〔ワーレンカ〕  身よりがなく、仕立て物で暮らす若い女

・ アンナ・フョードロヴナ :アパート経営者? ワルワーラの父が借金していた.父の死後ワルワーラ母娘を引き取る

・ ポクロフスキー(ペーチェンカ) : 貧しく読書好きな青年で、アンナの家の居候.少女時代のワルワーラとサーシャに勉強を教える.

・ ポクロフスキー老人 : ポクロフスキーの父親(とされているけど不明)で息子を深く愛する.二番目の妻から虐待され身を持ち崩している

・ ブイコフ : 地主でポクロフスキー老人の知人.ポクロフスキーが少年の時に保護者になる.アンナと親しい.ワルワーラに求婚する

・ ラタジャーエフ : 三文小説家.ジェーヴシキンの知人で同じアパートに住む
・ フェドーラ   : ワーレンカの小間使い
・ テレーザ   : ジェーヴシキンの小間使い
・ ファリドーニ :    〃      召使
・ サーシャ   : ワルワーラの従姉妹でみなしご
・ ワルワーラの父 : ワルワーラ14歳の時に死亡
・ ワルワーラの母 : 夫死亡後、しばらくして病死
・ ゴルシコーフ   : ジェーヴシキンと同じアパートに住む、貧しい世帯持ち
・ チモフェイ・イワーノヴィチ : ジェーヴシキンの上司
・ エメリヤン・イワーノヴィチ :    〃      同僚
・ エフスターフィ・イワーノヴィチ :  〃      上司
・ その他の人びと 

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本の窓 26 (終章)

++ 本 26 ++




185. 『タゴール 人と思想』 丹羽京子/清水書院/2011

 著名人の生涯と思想をまとめたシリーズ「人と思想」。以前読んだ『ギターンジャリ』を思いだし、彼についてあらためて知りたくなった。悠久の時を感じる霊的な詩に惹かれ、意味ははっきりわからないまま読んでいた。 タゴールの初来日のとき(大正時代)、日本の文化人には彼にあまり興味がない人や、反感を持って眺めていた人もいたのを知った。 彼が出逢った人びとについて知ってゆくと、詩とは別の感慨をもつ。そして若い頃の大きな体験が、文学と表現に深い陰影をもたらしていたのを感じた。またそれにもかかわらず、「人生はゆるぎない確かなものではない、という悲しむべき知らせが、なぜか心の重荷を軽くしたのである」と思うに至った点に、すこし驚く…。いろいろ考えてわたしなりに感じとれたものがあったのでメモしておいた。タゴールの思想と人となりを深く掘り下げ、見つめている評論。

< この体験はタゴールにとって大きな分岐点となり、もともと孤独でメランコリックだった詩人にとっては、むしろ生きる原動力になった面もあるのではないか。そして生きるということはタゴールにとっては書くこと、とりわけ詩を書くことにほかならなかったのである。> 




184.『同じ時のなかで』 スーザン・ソンタグ  2009年 NTT出版

 読めるかな?…とわかるところだけ拾い読みしてみました。
政治や9・11についての時事論はやはり難しかったけれど、文学や美について語っている部分は、すこし理解できた。硬質な、といったらいいのか、論理的で深い知性を感じる文だった。

『バーデン・バーデンの夏』という、耳にしたことのある本が紹介されており、「ドストエフスキーの愛し方」という章があった。あの本は、ソンタグが発見したから日本にも翻訳されたのだと気付く。ロシアの医師ツィプキンが書いたその準フィクションを、とても読みたくなった。
ソ連の厳しい体制の中でどういうことが起きていたのか。亡命を希望していたが死ぬまで叶わなかったこと、作者の人物像についての想像。ソンタグの紹介に、ぜひ読みたいと思った。抑えた文章、感情は排し、論理的に『バーデン~』を分析している。ツィプキンとドストエフスキーの炎が、ソンタグの文によって輝きを増しているようだった。

ユダヤ系のツィプキンは、大のユダヤ嫌いだったドストエフスキーに、絶えず苦悶しながらも、愛していた。
その姿にソンタグが注目していたのがとても印象に残った。理解しがたい愛 を見極めようとする眼。


”作家の職務は、精神を荒廃させる人やものごとを人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること。 盲信を起こさせないことだ。
多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに見る眼を育てることだ。

  美しいものに圧倒される人の受容力は驚異的なほどにたくましい。きわめて厳しい混乱のさなかでも持続する。”

 ++

『バーデン~』の紹介に出ていたので、『アンナの日記』も拾い読む。(著者アンナ・ドストエーフスカヤはドスト夫人)
意外なことに、彼女はドスト氏と性格が似ているように思えた。日記の内容がドスト作品を地でいってるような。
情熱と矛盾にあふれた夫を穏やかにつつみ、いつも笑顔な夫人…というイメージではなく、感情のゆれやすい悩むことも多い人だった。
あとでどう変化したかは知らないけど。。奥ゆきの感じられる女性だ。
得意の速記で書いた長い日記。よくこれだけマメに書き残したもの。





183.『我にやさしき人多かりき -わたしの文学人生』  田辺聖子 集英社 2011

田辺さんの小説は、読みやすくユーモアがあって庶民うけするとばかり思っていた。題にくらっとなって手にしたら、豊饒な古典の知識と美しい言葉づかいにびっくりした。過去の自作の解説、夫のこと生活のこと、過ぎし日々のエッセイもある。

「カモカのおっちゃんシリーズ」とか、どやねん?…なんて心の中で思っていたけれど。
どこか力を抜いていても細やかな観察。…「まぁええやん、いっしょうけんめいなんやな、ごくろうさん。」
という風な、大阪弁ののびやかなもの言いとか、芯のやわらかさみたいなところに、早く気づいて読んでいればよかった。

++

源氏物語』も現代訳していて、後学のためにちょっと読んだら面白かった。
登場人物の美質を、あますところなく描いた物語なのだなぁ。(たぶん) 繊細な心もよう、人物たちのやり取りは、ほんとうに典雅な情景だと感じる。古語のはらむ美しさ、奥ゆかしさを、まだまだ私は知らない。

それにしても、肝心な場面はいっさい出てこないのが妙。
まるでああいったことはどうでもよろし。まえうしろの歌の読み交わしこそがメイン、尊いのじゃっ!(←カモカのおっちゃんのものまね)と紫式部が思っていたかのようでした。     (2011.初夏)

   ・・・・・・・・・・・・・・


 震災のあと、自分の中でいろんなことが変わってきていて、とくに読む本、言葉の意味の受けとり方が違ってきたとおもう。
人の文章でも、震災前に書かれたものか後かが気になる。とくにそれで何かがわかる というのでもないけれど。。

 無常という言葉に、ともすれば震災の風景が吸いこまれる気がして、いやいやそう考えるのは危ないなと思う。世の中は無常だ...と思ってしまうと、ときに、無力感や諦念につながるから―。なにかがなにかの因果とか報い、と思うことも今はなくなった。

___________________________________

 

読書感想「本の窓」は こここまでで終わりです。

 

本の窓 25

+++ 本 25+++

 182.『東北学/忘れられた東北』 赤坂憲雄 /講談社学術文庫/2009



□1 みちのくへ再び―

 ちょっと東北へ行ってきました。赤坂憲雄氏の本に導かれての再訪で、なにができるか、なにをすればいいのか…長いあいだ考えていました。(三日のために2か月ほど準備して。) 行っては迷惑になるだろうか。知り合いも土地勘もないところに無謀では…などと考え過ぎて行けなくなりかけ、早く行ってしまおうと決心したのでした。

震災の関連サイトで情報は多く集めていたものの、自分で計画を立てて遠くへ行く経験に乏しかったので、余震が起きたときの移動手段、非常時の予想、自己完結型といわれる準備、地図などを調べ、できることやりたいことを最小限に絞りました。なにせ携帯電話ももっていないうえにプリンターが壊れ、ネットでしらべた列車の時刻を手帳に書き写す… という、デジタルかアナログかわからない旅のはじまりでした。  


 < 笑史、 歴史を笑う。いったいどんな歴史を笑えと老人は幼い孫に教えたかったのだろうか。
笑史は蝦夷である、という。あのマツロワヌ異族の民・蝦夷を滅ぼし、かれらの歴史を闇に葬ったヤマトの歴史をこそ笑え、と老人は教えたのか。
わたしはただ、この東北の地のそこかしこを欲望の促しのままに、ひたすらに歩きたいと願う。
東北はいま、わたしのあらたな巡りのフィールドとなった。かぎりなく私的な、東北へ/東北から――。>  『東北学/忘れられた東北』より



□2 鬼が舞う―


 なにか二つ以上のものが結びついた時、強く印象にのこることが多い。東北にこの本を携えていたら、先月読み終えた『日本再生ー東北ルネッサンス』の対談者だった井上ひさしと、TVに映る吉里吉里町やひょうたん島、地元発の新しい産業となった「復興の薪」が一気に結びついた。

「東北の人は寡黙なばかりじゃない。いったん話しだすととまらなくなったり、お茶目な面がある。」 どこかで読んだのを思い出した。被災された人が日記をアップしたり、ほかの人を支援する活動をはじめたブログを読むうちに、その言葉を確かめたいと思うようになった。でももう東北は元気になりつつあると思うのは、早いかもしれない。言葉にできないまま思いを抱え込むしかない事情の人も、きっと多くいるはずだと思う。


『東北学/忘れられた東北』は内容が濃く、東北の奥深くわけいり、いくえにも折りたたまれた歴史や地域、文化をおもてにだそうとこころみている。各章は物語のような内容で、文学の香りのする題がつけられ、山林地方が多く取り上げられている。
列車は福島ー宮城ー岩手と進んだので、秋田・山形についての章は読んだだけだったが、新幹線にゆられながら広げた本に出てくる土地が近くに在る・・「達谷の窟」はさっき通った・・などと思いを巡らせ、地名の由来や人びとの暮らしが身近に感じられた。

著者は柳田民俗学からこぼれおちた人びとを丹念に探しだし、新しい眼で眺め、芭蕉が語らなかった東北について語ろうとしている。 読めば読むほど東北のことが謎になり、北や南の文化、アジア、環太平洋へと向かせてくれる。自分の内なる「西南のまなざし」も意識するようになった。


北上市鬼剣舞(おにけんばい)を見たいと思ったのは、賢治の詩『原体剣舞連』が、悪路王と呼ばれたアテルイを描いていたと聞いたため。 東北芸能は農耕から発生したものに限らず、狩猟や山の神や修験者に由来したものもあった。とくに剣舞蝦夷とよばれた人びと、戦に散った人びとの怨霊を鎮める念仏踊りだったというのを読んだ。





鬼剣舞は動きが躍動的で、踏みしめる足さばきも扇も、たいそう力強かった。庭、加護と呼ばれる踊りが一時間演じられ、太鼓のリズムと横笛の響きが耳に残っている。踊り手たちは、こんどの震災へのみんなの思いを集めて踊ろう、心を奮い立たせてほしいと願ったらしい。初夏の空の下 鬼たちの舞は山を越え、海岸に漂う人びとの魂へとどいただろうか。


<東北がみずからの言葉で語りはじめる時、大いなる地殻変動が起こるだろう。都/辺境というまなざしの構図が壊れ、もうひとつの豊かな東北が起ち上がってくる。>



□3 夕暮れの光原社にて―


 猫の手にでもなれば…と、物資を送っていた縁で、岩手のある支援グループの手伝いに。有志で始められたそこには、外国や全国からおおくの品物や支援するひとたちが集まり、日ごとに水の輪のように活動が広がっている。

被災者の人が今どのような生活をされているか、応援・支援のようす… 一葉のような体験ではあるけれど、行ってみて実感できたことが多い。生活品も食べ物もまだ足りていないし、住んでいる場所や形によって、さまざまな支援が必要とされている。義援金の配布の遅さを知ると、募金先や方法を考え直そうと思った。
作業所では、送られてきたどんな品物も無にしないようにと心づかいされているのを感じた。 新しい問題や悩みをみなで相談し、手探りで解きながら進んでいるのがわかる。

社会福祉協議会のボランティアセンターにも、たくさんの人の知恵と支え合う気持ちが集まり、どこからそんな力が湧いてくるのだろう?と思うような、強力なバックアップ態勢が築かれている。支援する人たちの情報共有のためのミニ新聞まで発行されている。行政と手を携えた地域復興プランも出るようになって、ボラセンが将来、地域のコミュティセンターやサロンになる計画もあるそうだ。


土地の人には「ここのことをまわりの人に伝えてください」、「ぜひ被災地を見て帰ってください!」と言われた。こうした地元のひとと、他の地域からあつまってきた見知らぬ支援者が、協働して作ってゆくネットワークができつつある。斬新なノウハウや知恵が蓄積され、バージョンアップして他の地域や団体にも共有されるといいし、次の災害への備えと参考になればいいと思う。

 ++


夕暮れの街を歩き、「光原社」というお店を訪れた。一歩入ると、外からわからなかった路地と中庭があり、小さな喫茶店や民芸店なんかが並んでいる。
いちばん奥には…北上川が流れるベンチも待っていた。 



マヂエル館という建物には、思いがけなく賢治の自筆原稿が展示されていた。そして高木仁三郎氏の人生を方向づけたという、
『われわれはどんな方法でわれわれに必要な科学をわれわれのものにできるか 一時間』 という言葉を見つけた。

光原。 光のもと… 出会った人たちにその名をかさねつつ、店をあとにして急ぎ足で北上川を渡った。


□4 倒れた樹々の中をバスは走る―


 名取駅から仙台空港ゆきの往復バスに乗り、降りてゆく客を見送っていたら、一人だけになった。住宅地を通っている時はモダンで新しい家がたくさん建っていて、仙台の都市化を感じた。もう仮設住宅が並んでいるのが見えた。

小さな川と道路を通り過ぎた時に景色は一変した。

原っぱのような更地が続き、遠くに曲がった松の木が立っている海岸がみえる。
あちらこちらに、根元からなぎ倒された木や、鉄の棒がそのままになっている。
ところどころ窪地に、浅い池のように水がたまっている。

ぽつん、ぽつんと家が立っているので見ると、二階はもとのままなのに一階はすべて壊れており、片づけたあとなのかドア向こうの景色がすっかり見えている。
涙ぐんで地面を見ていると、家の土台だったような跡がたくさんあった。
遠くで作業している数台のトラック以外は誰もいなかった。





これが現実なんだ。……何もかもなくなったのだ と思った。

そっと手を合わせた。

「あの日の前には戻れない。でももっといい町にする。」 被災された人の言葉が、この時ほど実感できたことはなかった。空港や周辺はかなり復旧していたけれど、ほかの沿岸地域は三か月前の状態の地域も多い。行く前はどこかに重いものを抱えて落ち込みがちな気分で、津波の跡を見たときの衝撃を想像して不安だったのに、ありのままを見たことで、ここから進むしかないんだと静かに受けとめられるようになった。

帰宅して数日たち、明け方のまどろみの中に浮かんだのは、「陸が海になったんだ。岩ごとおしよせる黒い海に・・」という津波の微かなリアリティだった。

係員の人たちはバスを見送りながら深ぶかとおじぎしてくれ、運転手さんも最後まで丁寧なアナウンスをしてくれた。東北で出会った多くの人たちを、ずっと覚えていたい。



□5 旅の外のなにか(無常を超えるもの)― 

 東北という大きな山の麓でみあげた景色はほんのわずかで、中腹あたりも頂きも未知のままだ。そして世界にはもっと知らない土地がある。…
いち早く復旧がなされた新幹線では、思い浮かべていた「道の奥」の遠い感じはなく、意外と近いんだなとわかった。といっても駅を離れると、車なしでは不便なように感じられた。 土地の特色をすこしでも知りたいと目をこらし、家を囲むように点在する防風林や、道ばたの地蔵さまの群れに気がついた。遠野や沿岸部にも行きたかった。
このような深い思いで旅したのは初めてで、短い時間ながら私にとって大きな体験でした。東北の人の明るさ、やさしさ、たくましさを少しでも肌で感じられたのは幸いでした。 


    ++

後半はぜんぜん本の感想になっていませんね。… 最後に、北上で偶然見ることのできた賢治の詩碑〔二川こゝにて会したり〕 についてちょっとだけ。




 
安藤元雄さんという方によると、「賢治はどうやら、一つの水に別の水が流れ込む川の合流点にこだわりがあった」らしく、「異水流入のモチーフだという。 私には「異水流入」が、異なる文化や民族、ヒトが出会い、交じりあってゆく喩えに思える。源流も性質もちがう二つの川が、温度差がありながらも濁流となりせめぎあい、変容しながらひとつになって流れゆく眺め・・・。自然のまじかで生きた賢治の鮮やかな心象スケッチだっただろう。悠然とした命のながれのようにも、どこか日本が変わってゆく兆しのようにも思える。    

(二川こゝにて会したり)
(いな、和賀川の川水〔みづ〕雪代ふ
夏油〔げとう〕のそれの十なれば
その川ここに入ると云へ)

藍と雪とのうすけぶり
つらなる屋根のかなたより
夏油の川は巌截りて
ましろき波をながしきぬ


  +

ありがとう 東北。                 






”Gregorian Chant Benedictinos”   グレゴリオ聖歌 祈り 


   ++

181. 『市民科学者として生きる』高木仁三郎岩波新書/1999 

題名で目を引かれた<市民科学者>という言葉…あまり聞き慣れないこの語は、編集者が付けたそうです。著者(1938-2000)が死を目前にして綴った貴重な自分史としても読めるし、1950年以後「核の時代」の反原発運動の歴史としても読めます。考えたら二十年以上わたしは東京電力を使っていたのに、福島県原発があって、なんだか危険な気はするけれど、国や大きな会社が安全というのだからまぁ安全なんだろう・・と思っていました。たぶん大多数の人も同じだったのではと思います。関心を持ってこの本を読むと、実は大きなリスクがあったのだとわかります。原発施設が自分の近くではなく他の地域にあったという事実にも、なにかいたたまれなさを感じました。

ふつうの人や文系には、原子力のことはよくわからないし難しいです。だからこそ、専門的な数値や情報を出されてもわからない人むけに、市民の目線で説明してくれる科学者やジャーナリストがいてほしいですよね。
高木氏ははじめ核研究者として仕事に没頭し、一時は核施設に勤めていたものの、しだいに周囲の人が問題意識や切実感に欠け、大きな組織に埋もれて疑問や反対の声をあげようとしないことに失望したといいます。意見を言えない雰囲気・・いつのまにか自己を規制してしまう(遠慮して控えめな美徳にもみえる?)のは誰でもあることですが、著者が組織を出た決意には深い意味があると感じました。
核エネルギーの可能性を研究していくうちに危険性に気付いて、プルトニウムが不可思議な動きをして、いまだに解明できない」と述べていたのがとても頭に残ります。  他の研究者はわからない事や問題意識があってもそれを言えないでいたと指摘しています。氏は誰かを批判する時も、それなら自分のやっていることは正しいのか?という問いかけをいつも持っていました。迷いや弱さ、反省をありのままに述べ、研究に専念して社会的な問題から離れているべきか?と悩み続けたそうです。

 ++

反核運動は政党やイデオロギーとからめて見られたため、あくまでも一市民として活動したかったそうで、関係者へ情報公開を求めたり、ヨーロッパの団体と連帯したり、原発を勉強する出前講座をおこなっていました。1980年代はドイツなど世界で環境にかかわるNGO活動が始まり、当時は高木氏も有名でしたが、90年代~今世紀にかけては原発推進が主流になったのを遅まきながら知りました。 そして全国で反原発運動が広がり、1988年は日比谷で2万人のデモがあったのに、どうして下火になってしまったのか。今なら安全神話は崩れたと皆思うけれど、原発がうまくいっているように見えた時期は、危険を訴える声は消えてしまっていた。各地の原発で小さな事故があったのに、、、。そうした原発への人びとの<関心の変化>には、現在と将来、そしてじぶん自身も含め、多くを考えさせられます。

同じ研究者でも、推進派と反対派にわかれたのはどうしてだろう・・。原子力エネルギーが危ないと知っている研究者が、「でも推進していこう」と「やっぱり危ないから止めよう」に分かれた。 後者は「原子力エネルギーの危険を、自分の利権を離れて、将来にわたって真剣に考えることができたこと」でしょうか? 当時は反原発運動が高まった一方で、運動や著者への<圧力>も激しく、精神的にきつかったことが文の端々からうかがえました。この辺りは、ぜひ一読されてみてください。

 ++

三里塚闘争など地方で出会った人びとが熱心に勉強していること、土地をほんとうに知り尽くし、慈しんでいるすがたに驚き、自分が歩く道の光となった。また周囲に助けられたし、本気でなにかをすれば誰かが助けてくれるものだと述べています。脱原発を主張した科学者というより、「どうすれば科学は人間を幸せにできるか」をいつも考えていた、ひとりの市民でした。  

氏は「自分の生きている間は原発は止められないかもしれない、しかし将来必ず世界の原発はなくなるだろう」と書いています。これから日本人がどうするか・・・世界が注目しているだろうと感じます。ほかにも原発運動のはらむ問題として、大量消費社会のライフスタイルのこと、差別を強いる点、中央集権型の巨大技術とエネルギー市場のかんけい、核兵器開発と国際政治の力学のことなど、この本一冊で、いま現実に問題となっている事柄の多くが理解できる内容です。
原発のことに限らず、災害や危機についてわたしは関心や意識がなかったんだな・・と思えただけでも読んでよかった。とてもおすすめの一冊です☆  (2011.4月)




<各民族の主たる栄光は、その中の作家たちから立ちのぼってくる。> 18c-ジョンソン

「作家がすべきことは? 言葉を愛すること、文章について苦闘すること。そして世界に注目すること。」  S・ソンタグ


江戸時代の北上川は交通路だったが、明治23年東北本線が全通してからは街道もさびれた。
岩手の峠には、交流物資を集めておく「お助け小屋」があった。
アテルイの物語から「原体剣舞連」へ。詩の力強さ。
古代の米はコシキという容器でむして食べた。


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180. 『新日本風土記  東北編Ⅰ』 宮本常一編/国土社/1976年

 東北へ行くまえの旅情と感傷にひたっているあいだに、現地の復興は着々と(所によってはすごく遅く)進んでいるようです。手にしていた観光ガイドの明るさと「新日本風土記」の地味さの違いって……。通り過ぎる者と土地に暮らす者とのあいだの境界は大きいようにもみえるし、土地の人びとに寄り添えばそれはすぐに超えられるものかもしれないと思います。

地域研究者による青森、岩手、宮城、福島の歴史・風土の紹介があり、古代から昭和40年代くらいまでの歴史がざっと書かれた各章を宮本常一がまとめています。このあと読んだ赤坂憲雄『日本再考』がとてもわかりやすかったです。宮本常一の著書はまだ読んだことがないのですが、代表的な本『忘れられた日本人』だけでなく50冊もの全集があるのです。すごいです。ある作家や思想家の全集がどれくらいあるか知ると、一生を費やして探した宝石が目のまえにさしだされたようで、私なんかいつも感動してしまいます。

陸奥の国東北は「馬と金(きん)」の大産地だったとか。九世紀ころ、馬は国の安危にかかわる問題で、馬政と呼ばれるほど馬の生産、飼育、管理などが当時の重要政策であったのでした。軍事馬の買い漁りで市場が混乱したとか、今では想像するばかりですが、東北に馬にまつわる祭りが多いのもそのせいなのでしょうか。 金(きん)は世界遺産になった平泉中尊寺にふんだんに使ったほかに、奈良の大仏造営の最終段階で金がなくて困っていたとき仙台藩に天恵のごとく金が出た!というので、都は大騒ぎになったらしいです。

珍しい「オシラサマ」という家守りの神様―。広く東北に見られる木製の人形で、馬と女性の頭の二体で一組になっている。遠野物語に登場し、娘と馬との悲恋の民話が元にあるそうです。代々その家の女性が布きれをかぶせて大事にしまっておく…といういわれも興味深いです。 青森のイタコについても説明があり、イタコといえば寺山修司を思い浮かべ、ねぶたやみちのくの祭りになぜか血沸き肉躍る私は、もしかして縄文DNAが濃いのでしょうか?

ヤマトからの圧力に抗い、長い時代を耐えてきたみちのくの人びとが内奥に秘めている力というものが、しだいに私の中で形となってくるようです。東北というひと言ではくくれないだろう重層的な地域のすがたは、森に分け入ってゆく時のように目をこらさないとみえそうになく、たくさんの豊かな姿をこれからも見せてくれるかもしれません。ネットやニュースで見聞きする人びとの姿と言葉は、あの土地が培ってきたのだと思いたい。 支援物資に”胴長を希望”する 漁師の恰好をしたい漁師さんには、海が好きなんだな、また働きたいんだなぁとしみじみするのでした。

津波と洪水については警鐘が鳴らされていました。体験者である古老の話や伝承が大切だーと。

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新日本紀行 東北』 NHK出版 

こちらは昔TVで放送された番組の書籍版で、各地の人びとや祭り、習俗などを映像と綿密な取材でまとめてあり、かなり古い記録だったものの興味深かったです。(いまも「新日本紀行ふたたび」という番組で続いているようです。) 

その中の「黒川能」について調べていたら、ちょうど数年前の新しい取材が再放送されると知り、観ることができました。土地に根づいた能や神楽は、今も各地に残っているのですね。参加者にふるまう豆腐焼きの大豆を育てたり、道具や舞をみなで手分けしてになう・・・年に一度の祭りのために生きるくらしがあること。   (2011.5月)  




 「〈力〉がたたいて自分に裂け目を開いた時に 衝撃から気をとり戻して裂け目を閉じ、自分を固まらせるために意識的に使えるものごとを、選びぬいておかねばならん。」 

<人間の根源的な二つの欲求は、翼をもつことの欲求と、根をもつことの欲求だ。>




 「ヘナロの愛は <世界> なのさ。大地はヘナロの愛を知っていて、彼をいつくしんでいるのさ。
だからヘナロの生活はあふれんばかりに充実していて、どこにいようと ゆたかでいるのさ。
ヘナロは自分の愛するものの道を旅してゆくのだから、どこまでいっても完全なのさ。
これが二人の戦士の執着だ。この大地、この世界。戦士にとってこれ以上に大きな愛はないのさ。」    (『気流の鳴る音』)

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<対戦相手は当時最強と言われた木村名人。 一方、阪田は16年ぶりの公式戦のうえ、齢はすでに66。 一時代を築いた棋士とはいえ、棋力のピークはとっくに過ぎ去っていました。
日本中が注目する世紀の一戦、しかも阪田不利と叫ばれる中、後手の阪田は自分の最初の手で突然、「端歩」を突きました。 勝負師ならではの奇策に、日本中のファンが熱狂したと言います。
後手でありながらなお1手損とするこの指し手は、関西の棋界を背負う阪田のプライドが指した一手だったとも言われました。 とにかく、ファンの度肝を抜いたこの一手は、それから長く棋界の「謎」となったのです。>   TVアーカイブ

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 ふっとおもうのは。 映像で見る被災地は、点の風景。点は散らばっているように見えるけれど、ほんとうは500キロメートル以上も連なっている――このことはどうしても想像できない。低空飛行で海岸線を追いかける鳥ならぜんたいが見えるかな。

  濁った海中に、家や、誰かが使っていた道具が浮かび、沈んでいる写真・・・「海の中にいまあるもの」に気づかされる。魚はどんな景色をみているのだろう。人間がいなくなった田畑をかけ回る牛や犬の目には、なにが? タルコフスキーの映画でトロッコがゆっくりと進む草原と廃墟を思いだす。

  いちばん悼まれるはずの 人の姿は、どこにもない。ひとりひとりの「名前」として、不明者の数としてだけ在る。

全国の放射能濃度がじわじわ上昇しているのに気付く。うっすらといつのまにかモヤがかかるように。風評じゃなく実害なんじゃないかしら。

  今までになかった新しい支援方法やアイデアがたくさん出てきて、賛同者も多いのを日々感じます。とくにネットではすぐ人が集まり、支援が始まるのがみえる。みえることがさらに人に伝わり、増えて大きくなってゆく。




 ぐうぜん古本屋で見つけた『市民科学者として生きる』―。プルトニウム研究者で「市民の科学」がライフワークとなり、脱原発運動をされた方です。原発問題についての知識がたくさん得られます。店先で立ち読みしたわたしは、著者が宮沢賢治の羅須地人協会に共感して人生の道すじをきめた―というひとことに即買い!となり。これ、とてもおすすめです★ 原発にもっと関心を持っていればなぁとくやんでいます。 (また感想書きます)  『市民科学者として生きる』 高木仁三郎 岩波新書  


 < 多くの専門家のなかにあきらめを超えた一種のニヒリズムをみた。困るのはこのような諦観が現状の危機を放置するどころか加速する方向に動くことだ。 背景には商業主義によって新たな欲望が掘りおこされ続け、人びとの不満感を解消、回避させてしまう事実がある。 科学技術の進歩もそれに責任がある。 あきらめの浸透が希望を抑えこんでしまっている。>




179. 渡辺信夫『東北の歴史再発見』/河西英道『続・東北ー異境と原境のあいだ』/『東北の歴史Q&A』/『司馬遼太郎 講演集』 

東北の勉強をしています。(といっても本を手あたりしだい借りて読んでいるだけですが・・。なににつけても「まずは本から入る」スタイル。)ほんとうはよく知らないので秋田と山形はどちらが北だっけ?…と迷うのは東北のひとの 広島と山口はどっちが西?という感覚とおなじかと思います(汗)。
太宰の青森、賢治の岩手、奥の細道、凶作と冷害、寒い…という自分のイメージはいつの時代の。 数冊の感想をまぜこぜに書いてみます。

* 仙台藩伊達政宗の国際認識 ― いままでの歴史研究では、近世大名の国際認識が問われることはなかった。というのは一地方や地域というものが国家を超えて直接 外国と国際関係をもつ ということが想定されたり研究されてこなかったから。ところが1613年の慶長の遣欧使節では、当時は珍しかった洋式船を仙台藩自らが造り、幕府の承認を得ながらも、かなり自主性をもった対等な直接取引をイスパニアにもちかけたらしい。中央政権に従う藩政だけではなかった・・・という点を強調した本がありました。

* たび重なる冷害や凶作から近代化の中で遅れた東北、貧しい地方という理解がなされてきた(また差別や支配の対象となった)が、それはなぜだったのか?という疑問が、東北を語る人や研究者のなかで起こったのが近年らしいです。

  * いろいろ読んでいるうちに民俗学とのつながりが見えてきました。柳田国男宮本常一のほかに、江戸時代に東北をフィールドワークしていた菅江真澄(すがえますみ)(1754~1829)という旅人がいたこと、最近では赤坂憲雄という人の書いた本も注目されているらしいこと。
(東北の本を探していて松岡正剛氏のサイトで赤坂氏の著書が取り上げられたのを発見。ついでに高村薫の『新リア王』や『神の火』が原発や東北を題材にした作品だということも知り、それは読まなくちゃと。。)

* 大震災で被災した工場や現代産業について知ると、「米、農、漁業の地域」というわたしのイメージがすこし時代遅れだったこともわかってきました。日本の産業の何分の一かは東北が支えていた・・・という実感をもったのです。
読んだ本では、昭和の中ころまでの歴史や産業しか書いてないのもあり、原発や最近の工業については、私もまだよくわかっていません。
県や地域ごとに「都市化した所とそうでない所」とが分かれてきたのではないか。 近代化した新幹線の駅周辺や中規模の都市はにぎやかでも、その外側は昔ながらのコミュニティや村が残っていたり、もっと奥は過疎化している感じでしょうか。国内の一極集中状態が、そのまま県内に反映しているのかなと想像しています。

* 東北は芸能の宝庫だそう。そういえば東北三大祭りは、なぜあれほどエネルギーがみなぎっているんだろう。民謡、踊りにしても多種多彩で、<雪に埋もれた地味な地方>という言葉ではくくれないものがあるなぁと思いました。
祭りを調べていくと  黒川能という山形県に伝わる神事能や、福島県相馬 野馬追 という勇壮な合戦があるのを知り、鬼剣舞鹿踊りとともにぜひ見てみたいと思いました。民俗芸能に表れているのは、人びとのエネルギーであり、畏怖の心なのではないか…と感じます。

* 司馬遼太郎の講演「東北の巨人」によると、古代より東北は平安貴族や西日本にとってあこがれの地であった。西行芭蕉吉田松陰らはすぐれた紀行文を残しており、人文の伝統を見直すべきだと言っています。まだ太宰治は破滅型でも自堕落でもなく、「聖なるものへのあこがれ」をもっていたと強調していて、現代でも人気の衰えない太宰の秘密をさしているように思えました。

* 現代の東北の姿、課題について――東アジアは海と空のインフラ(港と空港)を充実させてきているのに、東北は立ち遅れている。国際化のなかで国を超え、「地方 対 外国」or「地方 対 外国の地方」が手を結んだり交流することが大事ではないか、という提案も。またいままでは自治体、企業中心の地域作りであったのが、住民(NGO)をまじえての国際活動や、独自の外交に乗り出すべきではないかなどの知識も得られました。ふだん人文系しか興味がないわたしも、読書がもたらす広がりを感じられました。東北 とひと口にいっても地方ごとに特色があるし、人と同じでどの切り口からどう見ていくかで、まったく異なる姿を見せるのでしょうね。

全体として自分は東北について無知だったんだな。ということがわかりました。   (2011 4月)

  ***

読んでいる本・・『新日本風土記 東北編』『新日本紀行 東北』『日本再考』




「 有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自己の責任において行ったものであった。指示を待った者は何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求した者は現場の足をしばしば引っ張った。」  (中井久夫

  * 

  「核が生み出す放射能を的確に防止しうる技術の開発が極度に困難であることは、確認済みの科学的真理である。 

 また、蓄積され続ける猛毒物質プルトニウムは、夢のエネルギー源どころか、容易に兵器に転用されうるところから、世界政治を不安定にし、情報機密を増大させ、人類の生存を脅かしている。

核技術の本性とは、まさにヒロシマナガサキを焼き尽くした破壊性、暴力性なのであり、それを人間がコントロールしようとする努力は失敗し、数多くのヒバクシャと環境汚染を世界のいたるところで生み出してきたのである。」

 高木仁三郎 『市民科学者として生きる』 1999




書く(5)文章で何かを伝える、ということが大切なのはもちろんだが、それでは実用的な文章になる。言葉の配列、リズム、響き合いに注目して、自分の文章のクオリアに耳を傾けることが肝要である。 3時間前 » kenichiromogi 茂木健一郎

書く(4)文章を書く時には、論理性、構成ももちろんだが、「読み味」が一番の基準となる。文章のクオリア。自分の書いたものを読んでみて、どんな印象を受けるか。音楽と同じである。そして、クオリアの一部に、論理性が含まれる。 kenichiromogi 茂木健一郎

書く(2)インターネットの時代になって、書くことの重要性が増した。文章が文化的遺伝子となって、偶有性の海を浮遊する。力があれば、遠くまで届く。書くことがもっとも基本的な「生きる力」の一つとなりつつある。 3時間前 kenichiromogi 茂木健一郎





178. 『世界と日本の災害復興ガイド』 兵庫県震災復興研究センター/2009/クリエイツかもがわ


大震災からひと月が経ちました。厳しい寒さの残っていた東北にも春めいた陽ざしがさしこみ、優しい風が吹きはじめたでしょうか。

たくさんのことを見て聞いて、まるで夢をみているようだった。日本全国の人世界の人が同じように東北にくぎづけになっていた。メディアに映る景色と比べ、いつもと変わらない西日本の生活が不思議でしかたなかった。わたしの日常と東北の人の日常はもしかしたら入れ替わっていたかもしれないと思う。TVから流れる崩壊しつくされた海岸とガレキの残骸を目にしながら、被災者のおじさんおばさん若い人たちが、それでも笑顔で「また一からやり直しだ」と言うのを聞くたびに、信じられない思いがしつつ東北の人びとの粘りづよさをおもった。

数週間後、途中でストップするのを心配していた新幹線から降りた東京駅では、構内が暗いのと人が少ないのにすぐ気がついた。まぶしかった照明が落とされ、地方の駅のようなおちつきと心地よさを感じた。この状態が続いてもいいんじゃない?と思った。長いこと行きたかった日本民藝館は臨時休館で入れなかったけれど、行きと帰りに二度も見ることができた渋谷駅の岡本太郎明日の神話」にあふれるエネルギーは、そのまま津波と大地震を思わせた。まん中には骨だけになりながらすっくと立つヒトガタ。彼を囲む景色には火の玉、ロケット、大波、海底、空飛ぶ鳥・・・大自然と、人間が作り出したものたちが蠢いていた。運命に翻弄されながらも、自然のなかで生きるニンゲンそのものだった。東京のど真ん中に津波が押し寄せたのかとめまいを起こしそうな巨大な壁画だった。

外国から日本がどう見られているかを知り、誇らしく思えた面とシビアに見られている面(原発)を感じた。 国内の報道は人の死をあらわす場面を映すのを避けているせいか、外国の報道写真の方が冷静にありのままを映していて、遠方にもそのようすが伝わってきた。現地のほんとうのむごさは、経験し、眼で見た人にしかわからないだろうけれども。世界の人びとがこんなに日本を応援してくれていることに、感じたことのない嬉しさがじわっとわいた。ソ連の記者が北方を返してあげたいとまで言ったことにもびっくりした。(びっくりした二番目は、原発事故処理に使われた水だのおがくずだの新聞紙だのの高級な素材。)


声にならない声を言葉にするとは? 人びとの表わされにくい声や言葉は、まだほんの少ししか流されていないし、聞こえてこない。中井久夫氏が書いているように、そうした言葉はこれからすこしずつもれてくるし、埋もれたままになるかもしれない。私たちはじっとそれらを待ち、耳をすまし、想像しなければいけない。ありのまま、起きたままを、べつの形で。声にならない思いは、いつかことばに。。

   阪神大震災のあと、見わたすかぎり何もかもなくなった土地にたたずむ夢をなんどか見ました。これが絶望というものなのかな・・と全身が感じるような夢だった。夢は3・11に現実になったようでした。けれども大きく違っていたのは、現実には、希望があったことでした。 今まで起きた多くの自然災害のあと、どのように復興したのか知りたくなり、救いをもとめるように本を読んだ。何年もかかりながら生活を再建していった例がたくさん載っていた。 大震災のあとにすぐ動きだし、いまも休みなくじぶんの持ち場で働いている人びとや耐えている多くの人びとと重なって、こんどもかならず・・・と信じることができた。
 (原発事故については本文に出てこず、複合災害としても予想されていませんでした。) 





『世界と日本の災害復興ガイド』には、1993年奥尻島津波からの国内9、国外10の自然災害の例が取り上げられ、被害実態と復興のようすをくわしいデータとともに載せています。読んでいると日本をはじめとして地球はほんとうに地震津波が多く、被害も大きいと感じます。またこんどのが阪神大震災を上回る規模で、特徴や違いもかなりわかりました。

どの災害も、あとに起きた災害の教訓や研究のもとになっていたり、支援方法や法律、救済策がしだいに充実してきて、被災してすぐ現地に向かえるよう準備されていたこともわかります。じっさいに国内でも自衛隊や公的機関、民間機関の救援が地震の翌日には集まっていたし、海外からの救援もたいへん素早く対応できるようになっています。その速さや整備は、一朝一夕にできたのではないのですね。

1か月たって国の復興プランや青写真もでてきています。これから先どうなるのだろうという漠然とした不安をわたしも感じますが、この本を読んでいると着実に復興は進んでいくだろうと信じられます。被災地の人々の中からも新しい町や村作りの素案がでてきたと聞きます。被災の事情によってはなかなか希望も持てない人がいるでしょうけれど、仮設住宅、しごと、教育、ライフラインの復旧などが少しずつ前に進んでいるようすで、大変な苦労と疲れのある中で、やっと前を向けるのかな…と思います。

本では2008年に「被災者生活再建支援法」というのができたそうで、かなり国の支援は充実しているようです。これらを被災者の人も知っていたらずいぶん安心できるのに、どうしてもっと宣伝しないのかなと思います。家を建ててほころぶ "ありがとうさぎ"を流せばいいのにね。 原発事故もいれると被害が大きすぎて法律どおりにゆかなさそうで、なんといっても国のお金が…(ない!?)という心配もありますが、せっかくの法律を、この時こそ素早く活かさなきゃです。

・ 暮らしの再建のための支援・・・現金の支給、特別の貸付け、減免・猶予、現物の支給 (32種類)
・ 住まいの再建のための支援・・・      〃  (19種類)
・ 中小の商工・農林漁業のための支援・・・  〃  (13種類)

○平成22年防災白書に詳しい表があります

阪神大震災との大きな違いは、ネット情報があらゆる場面で活用されたことと、原発事故が起きたことかなと思います。15年前は電話やFAXしかなく、いまは多くの人が携帯電話やPCを使うから、国内外にすぐつながるし情報を共有できる。かえって情報が多すぎて、どこにあるどのような情報を自分が受けとり信じていいか、すぐに判断できない面もあると思う。(キュレーターという新しい行為が必要になっているらしい。)いちばん情報が必要でほしい被災地の人には、通信手段のラジオ、TVが少なかったりして届かない。非常時の通信や情報が、いのちと直接結びつくのだなと思う。太陽電池の電化製品が増えるかもしれない。

この本では復興の注意点として、もとあったコミュニテイーを断ち切らないように復興することとある。けれども今度は町やコミュニティーを元通りにするのはかなり難しい地域も多いと思う。ふるさとから離別させられるのは、人によっては根なし草になったり故郷をなくすのと同じではとおもう。 そうした人びとも含め、亡くなったり行方不明になった人びとの魂を思うと、どうやって鎮めてあげればいいのだろう。誰が どう受けとめられるのだろうと思う。 ひと月のあいだに自分が被災したようで、疲れた気もする。クシュナー『なぜわたしだけが苦しむのか』を思い出し、わたしたちに力を与えてください…と祈っている。

それにしてもこのような大災害でも、最後は人の手によってすべてが行われていくのだなぁとしみじみ感じた。原発を冷やすのも人を捜索するのも、支援物資をわたすのも、現場にいる一本の手、一人のからだが動くことでものごとが運んでいく。
いままで読んできた本や文学って、今どんな役に立っていたり意味があるのかなと思う。宮沢賢治やヴェーユ、ドストエフスキーらたくさんの作家が教えてくれたのは、力をもたず、苦しんでいる人のかたわらにいるように ということ。手をさしのべ見守ることだったと思う。そうした行為を信じることが、私のなかでなにか力になっているのかもしれないと感じる。

人生の航路がおおきく変わった被災地の人びとはもちろん、思いもよらず考えかたや生き方の舵を切った人がほかの地域にも多くいると思う。10年ちかく前に東北に旅してからずっと、賢治が生きた岩手にはわたしのこころの一部が残っている。青森の刺し子をほどこした昔のボロ着や、ねぶた飾りを見た時もえらく感激したし。これからしばらくは東北を向いて本を読もうと思っているし、もう一度かならず東北を訪れたいと思っている。  

(復興ガイドを紹介するつもりが随筆になってしまいました。)  (2011.3月)
 

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