本―24

<本―24>

・ 読書中:ジェーン・グドール『森の旅人』

177. 『あなたの人生の物語』d テッド・チャン ハヤカワ文庫 2003年

アメリカSF界の芥川賞直木賞にあたる?ネビュラ賞ヒューゴー賞を受賞した短編集です。と言われてもすごさがわからないわたしは、ブラッドベリやディックのような作品かもと期待しました。かなり読み応えありでした。

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『バビロンの塔』

古代シュメールの物語。ブリューゲルの絵『バベルの塔』やエジプトのピラミッド、万里の長城が思い浮かんだりしながら読み進みました。ある石工が塔の製造工程を記録しながら、なにを感じ考えていたかを綴る。地面から頂上までは歩いて一か月半かかるほどの高さ。作り方の説明がリアルで意外で、もう面白いのです。電気機械がなくひたすら手作業で上へ上へと粘土や石を積み上げていくのが。ドキュメンタリー調で飽きさせない。歴史上の土木工事をSF的に描写しているところがわたしたちの想像を超えている。途中の作業回廊には人びとが生活する場所がつくられ、石工達はまるで旅行者のように迎えられながら登ってゆく。まもなく完成する「空の木」@TOKYOも思いうかぶなか、もっと壮大で奇想天外な話なのだとわくわくした。 頂上へ近づいてゆく主人公の空間感覚はあまりに非日常てきで、めまいがしそうだった。長期にわたり空中で生活していると、どっちが上で下なのかわからなくなるという。足を地面につけていない無重力状態に似ているのは、わかるようなわからないような。頂上の丸天井にいよいよ穴を開ける時がやってきて・・・ラストは予想もつかない展開だった。聖書ではおなじみの結末だけれど。




  『あなたの人生の物語』 

みんなの感想では、これがピカイチなんですって。なのにわたしの脳みそはまだ進化中のようで(退化の可能性も)さっぱり意味がわかりませんでした。 言語学者が宇宙人と初対面して宇宙語を習得する・・という表むきのストーリーに重ねて、通常の時系列から離れた形で娘の人生を語ってゆく奇抜な構成になっている。(らしい) 内容は理解できないながらも、いま見えている「過去・現在」と同様、未来をも見透せることができたなら・・という想像で書かれたのだろう。過去に、未来に起きるできごとを知らない自分がいて、あの時の自分は今より幸せだったようなそうでなかったような、懐かしさだ。

思い出は透明な葉っぱのようにしだいにしだいに積もってゆき、ときどきくずれかけたり風に飛ばされて消えていったりもし、すこしづつ養分をふくんだ土になってゆくのだ。


『地獄とは神の不在なり』

テッド・チャンは宗教にどういう考えを持っているのかはっきりわからない。キリスト教の天使が突然舞い降りる事件を通して、人生と神に懐疑的だった一人の男が信仰を得てゆく話。といっても単純な回心物語ではなく、幸不幸にまったく理由のない 不条理な現実に対して、読んでいる人がどうとらえているのか、どう生きたいのかと問うているような、SFというより普通の小説に近い話だった。 主人公が信仰を得たのは、受動的な行動だったように見えてほんとうは能動的な行為だったのではと思えた。・・あるいはその反対なのかもしれない。


『顔の美醜について』

”カリー”という未来の想像物の「美醜失認処置」をめぐるTVドキュメンタリー風物語。その処置を受けると、顔の美醜は見えても、審美的判断ができなくなるという、変わった神経回路になるという。さまざまな人物が出てきて賛否両論、多種多様な立場からカリーへの意見を述べてゆく。(菜食主義をめぐる『ビジテリアン大祭』に似ているかな。) 心はなぜ外面の美醜にはっきり表れず、別のものとして在るのだろう・・と考えたことがあったので、とても面白く読めた。美に惹かれ憧れるきもちや本能、審美感と、社会的な平等(意識)をどうすり合わせていくかの方法の一つが、カリーなのかな。カリーを社会全体で受け入れるかどうかの議論とかもあった。
人についてよくいう「印象」は、言葉には表わしにくい〈そのひとの本質〉ではないのだろうか。白人文化もどこかで批判しているのかもしれないし、人種差別のことも出ていた。
 かなり読み応えのある作品ばかりでした。(他の作品は未読です) おすすめ本★   (2011.3月)




176. 『たぶん僕はいま、母国の土を踏んでいる』  李朋彦  2010年 リトルモア

在日三世のカメラマンが、祖父母の生まれた朝鮮半島と日本を往き来しながら、母国や家族への思いを綴った、自伝といえる一冊。韓国籍や在日の知り合いはいないけれど、中学の親友が在日の人だった。彼女は今どうしているのだろう、いつか再会したいと長いあいだ思っている。
一人の在日韓国人の人生を辿ってゆけば、そこにはやはり戦争をはじめ多くの歴史を経てきた日本とアジアがあるのだなぁと感じる。著者の祖父母が新天地を求めてやってきた1920年代の日本。大阪、関東大震災朝鮮戦争済州島事件の痕・・・。 歴史を経糸とすれば、交わる横糸は日本で生まれたアボジ(父)とオモニ(母)、そして著者兄弟たちの家族史だろうか。

1980年前後の争乱期の韓国。新聞で私が読んでいた事件やできごとが、そのころ何度も韓国へ渡った著者の眼には、とても緊張にみちた国の様子として描かれている。戒厳令の夜や、突然兵士に呼び止められフイルムを取り上げられたこと、スパイと間違えられそうになったりなど、ついこのあいだのことだったのだ。
貧しく女性ゆえに勉強できなかった著者のオモニが、どうしても夜間中学に通いたい、字を習って社会に溶け込みたい、と夫にうったえる場面は痛切だった。明治から昭和初期のたくましい日本女性たちと彼女らが重なってみえた。  (2011.2月)




175. 『脳は若返る』  ジーン・D・コーエン 

「衝動」というものを重視しているのに目がとまりました。わりとマイナスイメージで使われる気がしますが、この本では <衝動+エネルギー+自信 → 潜在能力の開花> とされています。衝動や欲求、熱望、憧れ、探究といったインナープッシュは、生命の力だそうです。そういえばドスト作品は「ふいに」何かをする人物がものすごく多い。

衝動体験というのは、人間が成長するための原動力で、人によって大きく異なる。創造的なことをしたい、誰かのために尽くしたい、 精神世界を見つけたい衝動。快適さ、安全といった基本的なものを求める動きよりも個人差が表れるという。読んでいると励まされる本でした。

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「老いながら 心理的課題をすべて解決しないまま、他の分野に入ったり、新しい経験をしたり、創造、社会的活動で活躍や成長を続ける人もいる。」




『大地』 

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そんなふうにおまえはまみえるだろう

さまざまな状況下で思いもかけないことに

無限へとひらかれた恐るべき辺境

その辺境を行く探検家のかたわらにいるのは

愛しきもの 秋のなかに迷い込んだ動物だ

どんな変化が生じうるのか 大地から時間 味わいから石舷

光の速さから地球のありさまへと

誰に見ぬけるだろう  影にひそむ種子が

もし 森の木々が髪のように しずくを

馬たちの蹄の上にしたたらせるなら

愛しあう者たちが寄せあう額に

もう打たない心臓の灰の上に したたらせるなら そのときに?

この惑星は 千年を迎えるこの絨毯は

花ひらくことができる 

だが死も休息も認めはしない

豊かな実りの周期の錠は

春ごとに太陽の鍵であけられる

そして果実は滝となって響きわたる

地のきらめきは上り

そして口へと下る

そして人間はこの王国の恵みに感謝する

・・・・・ (抜粋)



 パブロ・ネルーダ 







174.『脳の力大研究』  林成之 2006年 産経新聞出版

衰えつつある脳力に、それでも喝を入れたくて。 実はこういう本がけっこう好きだったりします。 著者は「脳低温療法」を発見した救命救急センターの医師で、専門用語を使いながらも、脳の活用法を誰でも無理なく実行できるように説明している。ハウツーものと思って読んだけれど、生活のヒントになるし、脳蘇生治療の最前線も少しわかった。 脳やこころを科学する…大正時代に賢治が夢みたことが、医学の進歩でだんだん実現してきたのだなぁ。まぁ科学で解明しなくても、文学は大昔から人のこころを探り、光をあて、煌めかせてきたのだろうと思います。

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* 昏睡状態でも意識はある

植物状態のようになっても本人には意識があり、反応できないだけの場合もある。回復した人々の多くが、周りの様子がわかっていた、と言う例。聞こえないだろうと勝手なこと言ったり、話しかけないのはよくない。・・・という説明には、身近な例を知っているだけに納得できた。介護士さんらが患者にしきりに話しかけているのを見て、聞こえているのかな、、、と思っていたのはまちがいでした。 話はさらに「無言の対話」まで発展してゆきます。 直接会話していなくとも対話できる、というのは、テレパシーでなくても感じる場合があるのは不思議。


* 自己保存の過剰反応はリスクを伴う

これもかなり面白い説明だった。自己保存の最終過剰反応は戦争だ。個人でも本能や本性が働き過ぎると他者を傷つけるリスクがでる。 欲望や自我が強いとスケールの小さな考えを誇大化し、品格を下げる。耳が痛すぎてちぎれそう。


* 性格の暗さが脳の障害に影響する

性格というよりも心の方向、だろうか。「前向きな考えの人」は脳機能を活性化しやすいから、脳障害が治りやすいのだそう。「そうした方が、結局は気持ちよくなれる」という経験を何度も繰り返してゆくことかな。

* 決断と実行を早くすることが、心を連動させて高める

これも心しておきたい言葉だ。何をするにも決めるにもぐずぐずする自分には。「決断の遅い人は決めるのに自己保存が強く出る。立場に固執しているので独創的な考えを生み出せない。」 


* 言語によって周波数が違う。日本語は最も低い125~1500ヘルツ。そうなんだ。

* 子どもの教育に一番いいのは、好きになれる指導者を見つけること。人間は興味のないものや嫌いなものから自分の脳を守ろうとするので、何度も叱ったりする嫌いな人の話を真剣に聞かないし、記憶しようとしない。

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心を、脳科学や医学面から考えた本なので面白かった。救急医療現場で脳の障害を最小限にするため、スタッフが日夜尽力していることもわかった。(2011.2月)




173. 『知られざるきもの』  戸田守亮 

着物のルーツを知りたくなり、読んでみました。

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縄文時代土偶や埴輪にその形がみられるように動物皮の「貫頭衣」だった。四角い布を二つに折り、頭がはいるよう真ん中に穴をあけたデザイン。これは世界の古代史ではよく見られ、現代でもチュニックに採用されている永遠のデザインであるのがおもしろい。そののち中国の影響で上下別の二部仕立てになってゆく。

唐文化のファッションは日本に来てすぐ広まったらしく、聖徳太子が来ていたあの長い着物も、最新スタイルだった。長く垂れた服は、このあいだ読んだ古代ローマのトーガに似ている。ローマ~中東~アジア~日本 という文化の流れがあるのだろうか。一般庶民はドングリで染めた服を着るよう決められていたらしい!

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身のまわりの品についてもいくつか。昔は上位の人は「冠 かんむり」を被って位を表わす習慣で、金属加工の技術の粋を集めて作られていたそうだ。髪の毛というのはその人の一番上にあるものなので、非常に大切に扱われていた。

首飾り、髪飾り、帽子なども歴史は古い。B.C3世紀には倭の壱与(いよ)が勾玉の首飾りを付けていた。でも7世紀から着物に推移したため、アクセサリーは廃れていき、明治になって復活したという。着物とアクセサリーの関係はわかる気がする。現代では着物にピアスやブレスレットはOKでは…という人もいて、時代と共に着こなしも変化しているのだと思う。

平安時代はこれも中国の影響で、刺繍が施された爪先が高い靴を履いていた。その後ワラジ、下駄、草履などになり、明治以降はまた靴になった。人間の作るものってほんとに多様だし、似ているし、変わっていくのだと思う。

戦国武将たちがお洒落だったというのも知って、興味深い。上杉謙信の「柿渋の陣羽織」とか、織田信長の鳥の毛をびっしり使った羽織など、羽織に凝った武将が多かったそうな。本に載っているのは主に身分の高い人びとの服なので、庶民の服はどうだったのかな。もう少し知りたかった。

この本では中国やアジアからの影響を詳しく載せてあり、いまも奥地にいるヤオ族、ミャオ族などの写真が多数あった。贅を尽くした華やかな「冠」など、質素な生活の中の豪華さが珍しい。
著者の趣味なのか、万葉集など和歌をところどころに引用しているのも、雅な雰囲気でいいなぁと思った。


  わがやどの花橘のいつしかも玉に貫くべくその実なりなむ   大伴家持

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出雲の阿国は踊りだけでなく着物に革命をもたらした。それまでの伝統的でマンネリ化していた着物に、傾(かぶ)くこと・・祭りとファッション性、<いびつにこそ潜む味>をもたらした。ファッションは、いつの時代も先端をいっているのかな。

この本で初めて目にした「容儀(ようぎ)性」という言葉が印象に残った。着物は見た目の美だけでなく、動きや所作という動態美を持つと書かれてあり、ぉよよとなりました。衣服のみではその人を表わさないというか、内面から発している精神状態が着るものを完成させるということ? 見た目や服装は、細かいところにおくゆきのようなものが現われるのかと思う。
着物以外に、服飾文化についてわかったことが多くて面白かった。(2011.2月)


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アリス・マンロー『小説のように』

2009年のブッカー賞を受賞した本。(ブッカー賞ってなに?)短編集で、カナダの女性作家のだった。ぱらぱら読んでいると、最後の「あまりに幸せ」という作品が、ソフィア・コワレフスカヤを描いたものだとわかり、んん?となる。 彼女はロシアの有名な数学者。知ってる人は知っている(知らない人はぜんぜん知らない)、かのドストエフスキー『白痴』のモデル三姉妹の一人なのでした。ドスト氏がどんな風に出るのかなぁと期待しながら読んだけれど、ほとんど出なかった(笑)。




172. 『ビヨンド・エジソン~12人の博士がみつめる未来』 最相葉月  2009年  ポプラ社

 このところ偶然に「群像」を描いたものばかり読みました。『俺俺』は現代の若者、『聖なる10人の人びと』は聖人の、『風の花嫁たち』は女性、『古代ローマの食卓』はローマ人の、そしてこの『ビヨンド・エジソン』は科学者で、『オリーヴ・キタリッジの生活』はアメリカの小さな町の群像。異なる時代と知らない国の人びとを知るほどに、彼らについて知りたくなります。

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 『ビヨンド・エジソン』は、さまざまな分野の現役科学者へのインタビュー集。仕事の内容のほかに、「なぜ科学者になったのか」、「科学的にものを考えるとはどういうことか」など、専門語も交えて、一人につきかなりページを割いています。科学音痴のわたしにとって、理系の人には尊敬をもちながらも、ちょっと異星人のように感じていたけれど(実験のどこが面白いのかなぁ?という素朴なギモンで)、文系人間にもやさしく科学を教えてくれる内容でした。(理・文というわけ方ももう古いですね)

 インタビューでは、科学者たちが大きく影響を受けた「伝記や評伝」を教えてくれるように頼んでいて、それがおもしろかった。同じ科学者であるエジソン、シュバイツアー、藤原正彦キュリー夫人中谷宇吉郎、霊長類学者らの評伝があげられるなか、ネルソン・マンデラ国語学者大槻文彦モーツァルト、探検家をあげた人もいた。

 「真実をつかみたい」という気持ち。「自然」という現象に対してロマンを感じ、生涯を通して探究できるテーマの宝庫であると感じている点。わたしが美しいと感じる芸術や作品と同じように、科学者がながめる自然の世界、宇宙というのもまた、とてつもなく美しいのだろう。彼らの探究心は、心や精神をつきとめたい・・と願う人びとと同じなのだと思う。

 半分を女性に選んでいるのは、女性科学者への敬意とエールをおくりたいと考える著者の計らいだろう。読んでいて、こんな分野で女性が活躍しているの??という驚きは大きかった。
また科学者たちが日ごろ考えたり心がけていることがらは、科学分野に限らないものだと思った。すこし抜き書きしてみるとー。


<化石の研究は、第一に実物や標本をじっさい見て手でスケッチすることが大事。スケッチが研究すべての基本になった。 好奇心を持ち続けること、得意なものをいかすこと。(恐竜学者)

常に上(新しいもの、未知なるもの、理想)をめざせ。チャレンジしていれば、うまくいかない時があってもすぐに浮きあがれる。「線香の火を消さないように」(寺田虎彦)。 自分の科学の母胎を大切に思うこと。 (物理学者)

社会の多くの人があたり前と思っていることに、なぜ?と疑問視し研究することで、少数の人や障碍を持つ人が生きやすくなるよう、考えていく。(音声工学者)

人間は使うもの・道具によって、違うことをしてしまう。IT技術に慣れた人たちの思考の源と将来にわたる変化とは? (情報科学の研究者)

ひらめいたことと全く関係ないものを結びつけて、新しいものを導いていったエジソン

自分の手足を動かして実験する。誰もやらない難しいテーマこそ挑戦せよ。

最終的に本当のことだけが残る。それがわかる時、自分は生きていないかもしれないが、本当のデータを出すことを生きがいとしている。(脳神経科学者) >



彼らを取り巻く問題・・・世界の研究者やライバル達との競争、科学者の雇用の実態、研究者としての不遇、性差別などはほんとうに数多い。にもかかわらず「現象を理解したい、法則を突きとめたい」という願いのもとで永遠の努力を続けているのだな、もうこれは誰にもとめられぬ人間の本質かなと思ったのでした。 (2011.1月)




171. 『古代ローマの食卓』 パトリック・ファース/ 2007/東洋書林

ソクラテスプラトンの食事を知りたかったので。古代ローマの政治文化は数冊読んだことがあるものの、食べものの専門書は初めて。フェリーニの映画に『サテリコン』というのがあり、ものすごく贅沢で、健康にはどうなの?的な食風景だったっけ。。

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本の前半は食文化ぜんたいの説明、巻末に実際のレシピが載っています。2千年も前の食事なのに豪華絢爛、美食そのもの。日本では弥生~古墳時代です。手に入るあらゆる食材を使い、料理法にこだわり、精巧にこしらえ、食事が人生の目的なのかと思えるくらい、貴族から庶民までみな力を入れて食べてます。気づいた特徴としては、奴隷がおもに料理をし、冷蔵庫がなく、新大陸の食材がなかったので今のイタリアンとは少々異なっていたこと。当時は腐らないようにハーブやスパイスを多く使い、ソースはバーベキューソースのように”こってり濃いもの”だった。

ふだんの私は簡単なスパゲティやラザニアを作るくらいなので、現代との違いがあまりわからなかったです。料理よりも風習や生活の方がおもしろく感じました。

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・食べ物の模造は芸術とされ、大いにアリだった。(プルーンをウニに見せかけるとか。) 偽物というわけではなく、技巧として楽しむのが好まれたらしい。
・贅沢を取り締まる法もできたが、誰も見向きもしなかった。
・共和制期から、パンは無料になった。(へぇー!)

・食事風景によく出てくる寝椅子。だいたい3台がU字型に並べられ、主賓や偉い人、その家の家族、友人・・などと座る場所が決まっていた。というか寝そべる。お行儀悪いとか誰もいわない。

・当時から食事はフルコース。盛大な宴では「前菜」として豚の丸焼き100頭とか! そのあとの食事の豪華さはもうとんでもなく。。

・宴会(シンポジウム)のテーマがいろいろあった。(プラトンの『饗宴』が好例。)哲学的議論のほか、どうでもいい話題も多かった。 ex.アルファベットはなぜAで始まるか。。鶏と卵はどっちが先。。レスリングは最古のスポーツか。。とか延々と。

・食事では男性が花冠をかぶって、香水も付けていた。正餐服はトーガという長い布を巻きつけたあれでした。(彫刻なんかでよくみかけます。)
・食ベている最中は、議論のほか舞台装置を作って催し物もやり、活気をつけていた。詩の朗読、歌、踊り、演技、剣術、曲芸、手品・・・ディナーショーみたいなものを連日連夜やっていたようです。ある詩人が「あまりの酒池肉林…」と嘆いている文も残っているとか。

・招待客への「手土産」がすごいものだった。くじ引きなどで行われた豪華版。たとえば家具、楽器、衣類、日用品、本、彫刻、絵、動物、奴隷、職人、料理人・・(人間もなの ^^?) なんでもありでした。盛大な宴を開き、みやげを豪勢にふるまって、自分の勢力を示すのが風潮だったようです。

・火への敬意とか。一家に一つの祭壇の火は、主婦が消してはならないものだった。日本でも昔からトイレならぬ台所の神様があって、祖母や母は「おくどさん」と呼んで、火や水の荒神様を神棚にまつってた。

キリスト教が広まるにつれ食事も質素になっていった。


現代と驚くほど似ている面があるものの、古代ローマの方がさらに贅沢な食事だったのでは?と思えました。ヨーロッパ文化の源は、豊かな食文化にもあったのかー。おもしろ珍しい本でした。 (2011.1月)







170.『風の花嫁たち~古今女性群像』  大岡信/1975/ 社会思想社

題名の「風の花嫁」は、ココシュカの絵―『嵐』の別名に由来している。本に登場するどの女性も内面に嵐をかかえ、同時に大空を渡る風の花嫁にふさわしい精神を持っていた―。 実在した古今東西の女性たち34人が紹介されています。うち日本の女性は10名。彼女たちはみな個性ゆたかで、強く、烈女あり悪女あり、普通の人あり、歴史的に知られた人もあれば知られていない人もいて、たいへん魅力的な女性論になっています。

それぞれの女性は5,6ページだけの紹介なので、詳しい生涯や人柄などはわからないけれど、いかに時代を生き、愛し、死んでいったかいきいき描かれています。 女優、歌手、作家、政治家、有名人の夫人、芸術家、画家の母、遊女、モデル、女スパイ…職業や身分もさまざま。有名な男と関わりがあったために歴史に名を残した女性も多い。

図書館で借りたとき、何度も手にとられたことがわかる摺りきれた古い本だった。みんなによく読まれたのだなぁと思い、わかる気がした。女性ならいくぶんかは思いあたるような、時代やおかれた場に不自由さを感じ、抵抗しようとした人びと。運命にもまれながらも自ら切りひらこうとした女性たち。こういった人たちの群に入る人もそうでない人も、彼女らの心もちはすぐにわかり、なにかを感じると思う。

悪女や毒婦という「呼ばれ方」の偏りや社会から呼ばれたわけなど、読んでいるとつくづく感じる。リルケニーチェが恋したルー・サロメという人がすごい。男性遍歴が多く、破滅型の女性に見えたのは、占有される愛を拒んだためだった。男性たちに大きな影響を与えながら、精神分析医で文筆家として活躍したらしい。

いろんな年代の女性にお薦めしたいです。女性のいいところもそうでないところも魅力として描いているので、身近にたのもしい友人や姉さん、伯母さんがいてくれるように思うのですね。(同じ生き方ができるとかしたいとは思わないのですが・・・笑) いつの時代どの国にも、壮絶で数奇な生を送った女性たちがいたし、ありふれた自分と似たひとがいたのだなぁと思う。  (2011.1月)

<風の花嫁たち> 
   マリリン・モンロージャンヌ・モローエリザベス・テーラー、 ジャクリーン・ケネディジョーン・バエズ 、 ダリ夫人ガラ 、 シモーヌ・ヴェーユ、  ルー・サロメ 、 ゾフィー・フォン・キューン 、 ゾフィー・タウベル・アルプ 、
和泉式部 、 巴 、  出雲のお国 、 おあむ 、   建礼門院右京大夫北条政子 、 今泉みね 、 福田英子 、 佐々城信子 、 与謝野晶子 、
プリヤンヴァダ・デーヴィ 、 マリー・デュプレシス  、 アルマ・マーラー=ウェルフェル 、 ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル 、 キャサリンマンスフィールド 、 シュザンヌ・ヴァラドン 、 キキ 、 マタ・ハリ 、 二人の女歌手(ビリー・ホリディ、エディット・ピアフ) 、 ニュッシュ・エリュアール 、 魚玄機 、 則天武后 、 預言者の妻たち 、 クサンチッペ 


  +++ (うちの本の感想の目次。NO1から下へ、だ~っと並べているだけなので見にくいですねぇ。反省)




169. 『10人の聖なる人々』  島村 菜津 , 引間 徹, 三浦 暁子, 高林 杳子/ 2000年/ 学習研究社

― 現代に愛を体現し20世紀のともしびとなった10人の生涯―

ダミアン・デ・ヴーステル   自らの命を捧げたハンセン病救済の先駆け
ピオ・フォルジョーネ    孤独と苦悩のはざまに生きた奇跡の癒し人
マキシミリアン・コルベ  身代わりの死を選んだアウシュビッツの聖者
ゼノ・ゼブロフスキー    焼き跡を駆けめぐったサンタクロース
北原玲子         『社会の吹き溜まり』に咲いた一輪の花
ヒューゴ・オフラハーティ   4千人の命を救ったヴァチカンの秘密工作員
エディット・シュタイン    アウシュビッツの稀有利と消えた聖女
神谷美恵子         ハンセン病患者に見出した生の輝き
カンディド・アマンティーニ   無私無欲に生きた20世紀最高のエクソシト
マザー・テレサ      (紹介文より)


このうち6人は知っていた人でした。とても印象に残ったのは、カンディド・アマンティーニというエクソシスト。昔この題名の映画があり(未見です)、伝説か作り話だと思っていました。まさか本当にいたなんて。こういった感想を書いていると、(また神秘系か・・)と思われるのがオチですけど^^、生涯に心動かされるものがあったので書きとめておこうかなと。

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はじめは悪魔祓いなんか、まゆつばものでしょ?と思っていました。読んでいくと仕事の大変さや”特殊性”がわかってきて、ゾシマ長老(←『カラマーゾフの兄弟』に出てくる有名人)ではないかと感じたんです。 日本でいえば陰陽師、現代ではカウンセラーに近いでしょうか? エクソシストの主な仕事はカトリック教会における「告解の秘跡」と悪霊祓い。信仰心に加えて、人間性など非常に厳しい条件を求められるというんです。修道士として一日8時間の祈りと瞑想もします。(静かなイメージのある祈りや瞑想って、けっこう体力気力を使う行為なのでは。)

アマンティーニはトスカーナの村の職人の家に生まれた普通の少年だったらしく、12歳の時に修道院で暮らすことを決め、37歳の時に任務を許可されたそうです。(25年の修行があったというのは長いですね。)当時1970年代にはイタリアでエクソシストが30人くらい、今は200人になっているそうで、増えている理由が知りたいです。
仕事についてはほぼ独学で、心理学も学んでいます。フロイト心理学が広がり、悪魔憑きのほとんどは精神の病であると認識される中、なお <目に見えない知性を有する存在>(どちらかというと悪の)に人間が影響を及ぼされる可能性を感じた経験もあったそうです。心理学と神学を融解させて(?)お祓いをする…というところが興味深いです。

アマンティーニ神父は、不合理に見えるできごとや病の意味するところを一瞬で見抜き、張りつめている心を汲み取り解放させることができたそうです。全身全霊をもって相手と対峙したために心身ともに消耗したというのを聞くと、現代のカウンセラーとはすこし違う仕事だったようにも思えました。 宗教的な医療行為がどういった効果をもつのかよく知りませんが、地下茎のようにあらゆるものが繋がっているこの世のできごとが、精神の病や不具合を生じさせ、悪霊祓いの対象になる場合があるのだろうなと思いました。 著名になる一方で、彼自身は無名で没することを望んでいたらしいです。

彼ら10人は、私たちとかけはなれているようで、実はごくふつうの人であるようにもみえました。  (2011年 1月)





ひとひらの言の葉>

_光のなかで、人は他者の創作した物語を読む。闇のなかで、人は自分の物語を創作する。

_ある種の本は、後世に書かれる本の予兆だという考えがある



_わが書斎の本のどこかのページに、この世界における私の秘密の経験を描いた完璧な記述があるかもしれない。  (「神話としての図書館」)

_ボルヘスは目に見えない図書館の空間を、けっして書かれない自作の物語で埋めるのを楽しんだ。ときにはそれらのために序文や要約や評論を書いてみることさえあった。(「空想図書館」)

_大きな図書室には天からの宣託やテレパシーの交流といった偉大な力がある。

( A・マングェル『図書館 愛書家の楽園』より)

     ***************

こころざし深き人にはいくたびも あはれみふかく奥ぞ教ふる    

茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合にせよ      利休


<読書メモ>

イードのエッセイ論文『晩年のスタイル』から、ジュネがパレスチナ解放運動に深く関わっていたのを知りました。ジュネはアラブ人を心から愛しており、そこにエロティシズム的なものがあろうとジュネの心は西洋を脱しアラブと革命に向かっていたのだと述べています。ジュネの文学や活動についてはほとんど知らないので、追々調べたり読んでいきたいかな。

  「この戯曲(ジュネ『屏風』)の壮絶で倦むことのない、ときには滑稽ですらある劇場性のなかに発現する偉大さとは、フランスのアイデンティティ―帝国としての、権力としての、歴史としてのフランス―のみならず、アイデンティティという概念そのものを、慎重かつ論理的に解体することにある。」

  「彼がアラブ人と最初の接触をしたとき、たとえ彼らとは異なっているし今後もそうだとしても、彼らを享受でき、アラブ人といると心なごみ、そうしていることが贈り物でもあると感ずるような者としてアラブ人空間に入り込み、そこで暮らしたのである。」

イードは音楽や映画についても詳しかった。ヴィスコンティモーツァルト、特にグレン・グールドについて多く語っている。作家や芸術家たちの <晩年の作品> についての考察ではアドルノがよく出てくる。アドルノってサイードの師匠?どんな人なんだろう。読んでみたい。

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『1Q84』という題は、ヒロイン青豆が感じた現実のずれ、パラレルワールドを表すために「question -?」を入れて1984年にしていた。もう一人の主人公 天吾の父親の職業…受信料の集金人についてかなりのページを割いており、印象に残った。

<…そのあとの日常風景がいつもとは少し違って見えてくるかもしれません。でも見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです。>

…人物の心理描写はほとんど書かれていないのに、彼らの心性は強く響く。  




168 .『俺俺』 星野智幸 2010年 新潮社

時どき町なかでそこにいるはずのない息子を見つけて、びっくりしかける。もちろん他人の空似。いまは昔より顔立ちがみな似てきているんじゃないかと思える。どうなんだろう? 詐欺を思い浮かべる題名とは全然ちがう、現代人の特徴をすごくよく捉えた物語だった。

始まりはオレオレ詐欺で、騙(かた)った人物と自分がいつのまにかすり替わり、「俺」が増殖してゆくという、ドストエフスキー『分身(二重人格)』にもちょっと似た話。若者が希望を持ちにくいのがピンときたというか、自分もその一人だった?と実感。。

主人公の「俺」だけでなく、両親、友人、同僚らの日常がかなり均質で、別の誰かに入れ替わっても続けられるだろう風景。現実には全く同じでないにしても、行動、欲しいもの、考えること、将来までもが「似たものを選ばざるを得ない」ようになっているのは、わかる気がする。もちろん平和でありがたい状態なのだけど。。「流れやすさ、染まりやすさ。他人を自分のつっかえ棒や鏡にしている。」 「何かよくわからないが耐えがたい感じ」や焦燥感が、リアルだった。

この小説には出てこないnetの匿名掲示板には、無数の「俺」や「私」がいて、自分が考えたことを誰か代わりに書いてくれてる気になることがある。「人と同じ」という安心感と、それでも自分はやはり違うと言いたい感覚。。とても奇妙で、今までの現実には無かった空間なんだなと思う。PCユーザーは「ほかの誰か≒見えない俺」に同化しやすくなり、だから反発もしやすくなるのかもしれない。

95%くらいが似ている「俺」同士は、物語のはじめはお互いの記憶を引き出しあい、完璧に理解しあえる関係だった。けれどしだいにイワシの大群が泳いでいるのを見ているようで、イヤな「俺」に気づき、争うようになる。それは「らせん状に降りていく生き方」であり、他人ばかりか「俺」自身を削除したくなってゆく。「俺らに仕込まれた自動的な生き方は、強力に俺らを支配している」感覚。意志は奪われ、いや最初から与えられていなかった、という思い。よく耳にする閉塞感ということばが少し身近に感じられました。

作者の意図なのか、ここには悪意のある人しか登場していないけれど、実際には善意の人は多い。けれども主人公がアルバイト先で体験したような、殺伐とした人間関係やいじめなどは、現実に多く起きていると思う。ほかにも疎外、自由、教育、家庭モンダイも込められていたと思います。

無限に増えるかに見えた「俺」の描写が続き、最後はどうなるのかと思ったら、すこし光が見えてほっとした。急ぎ足のラストはちょっとものたりなかった。答えは書かれてないけれど、肥大した自我を捨てる、自分への誇り、他者への真の受容…などがヒントかもしれない。

星野氏作品は初めてで、かなり楽しめました。(第5回大江健三郎賞の受賞作品です。)  柴田元幸なども読んでみたいし、平野啓一郎も再読をと思っています。 (2010.12月)




167.『始まりの現象 意図と方法』(『Beginnings ~Intention and method』)  E.W.サイ-ド 1992年 法政大学出版局

年の始まりに、初めて読んだサイードの感想を。哲学の本で難しかったので拾い読みだけです。もの作りする時の新しい発想とか作り方がどこから出てくるのか知りたかったから。(ゴッホダ・ヴィンチの手記なんかにも書かれているかもしれません。)

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「ひとつの始まり―あらゆる創造、活動において何がみられるか。その瞬間の態度、心構え、意識における特別なもの」を探ろうとしている。それは「たとえ抑圧されている時ですら、その後から続いて出てくる第一のステップだ」という。ごく簡単なメモと感想です。

第1~第6章: <始まりとなる発想/始まりの現象についての省察/ 始まりを目指すものとしての小説/テキストをもって始める/文化の基本要件/結びーヴィーコ

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基本的には「始まり」は、単純な直線的成就であるよりはむしろ、回帰と反復とを内意している活動である。

(私たちは「始まり」から一直線に伸びてゆくものをイメージしがちだ。後戻りしたりスパイラルを描きながらあちこちへ進むものをイメージした方がいいかもしれない。その先は見えているようで見えない。)

・ひとつの始まりは意図を持っているがゆえに、それ自体の方法を創造すると同時に、それ自体の方法でもあるということ。

(自分で意識する/しないに関わらず、始まりには何かの目的やもくろみがある。モノ作りする時には、新しい作りかたを編みだすとともに、<作り、考え始めること>そのものが重要という意味だろうか? つまり「始まり」がなければ、そこにはなにも無いのだ。)

・始まりは差異を作ること。その差は慣例的なものと新しいものの相互作用の上に立っている。

(何かの始まりは、今までにあったもの/古いものとは別の、差のあるもの。その差は、今まで使ってきた/経験したものを用いながらも、まったく未経験の、どこか新規なものを取り入れることだ。二つの組み合わせ、掛け合わせ、応用。)

・始まりにおける「選択」が大事。ある作品の始まりとは、他の作品と決別し、それとの関係を作り上げること。

(始まりは、多くの中から何かを選ぶこと。その選びかたは、始まりに続くものを決める。サイードがいう「作品」とは、広く人が活動し作りだすものをさすと思う。今までのものと同じでは「始まり」といえない。始まったものとの関係を創ってゆく行為。新しいものとの関わりだけではなく、古いものの作り直し、結び直しも、「始まり」に入れられるだろう。)

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memo> わたしたちの外部にある何かの「始まり」へ目が向くのは、そこに<動き・新しさ・エネルギー>があると感じるからだろう。自分の中にもそれらが既にあって、「始まり」に与りたい、共有したいと願うからだろうか。「始まり」にはそれを行う人の違いがはっきり表れる。今まで経験してきた多種多様な積み重ね、プラス真似があり、どこか独自性があるだろう。

そこに強い力が在り、よく考えられてセンスを全開にしていると、新しいものが生まれる瞬間がくる(…時もある)。 自分が想像した以外のもの、かんがえた以上の作品がうまれる場合があり、とても心地よい刻(とき)だ。刻とは打ち記すこと。どこか楽しみながらも、ぎりぎりの状態で創りだしたものを、刻んでゆくような。 いい「始まり」は他の「始まり」を誘うのかもしれない。

哲学の本も、けっきょく自分でものを考えるための手がかりやヒントなんだろうな。  (2010.12月)




166.『哲学者とオオカミ』 マーク・ローランズ/2010/白水社

野生のオオカミ(名はブレニン)を11年飼っていた若き哲学者の手記。生活の記録とともに、兄弟、友、息子であったブレニンから得られた、人間と動物、愛と友情、死と幸福についての哲学的考察になっている。(* 思い出した、、沖仲士で哲学者だったホッファーにちょっと似ています。)

一匹オオカミという言葉や生きかたのようなものに漠然と憧れていたわたしの浪漫ちっくな夢とは別の、ほんものオオカミの生が描かれていた。ブレニンとの共同生活は変わった形だけれども、文明を原始の眼で見ているような、タイムスリップして狩猟時代へ戻ったような、ふしぎな感じをもった。
とても良かったので2010年のベストブックに追加しておこうと思う。感想より引用や抜き書きのほうが、本の魅力を伝えられるかな。。 

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― わたしたちの誰もがサル的であると思う。人生についての話からオオカミ的なものは消去されてしまった。・・・サルの策略は最終的にはなんら効果を生まないだろう。知恵はあなたを裏切り、幸運は尽き果てるはずだ。いちばん大切なあなたとは、そのあとに残ったあなただ。

― ここには、オオカミと人間とのあいだの空間においてのみ生じうる、ある種の思考があるという意味で、わたしのものではないのだ。

― イヌやオオカミは人間以上でも人間以下でもない。彼らの本質が実存には先立たないこと。一種の敬意をもち、ある種の倫理的な権利を与えなければならない。オオカミは遺伝の掟に盲目的に従う操り人形ではない。オオカミは順応できる。人間に劣らず、自分に与えられたカードでゲームができる。うまく使えると自信をもち、学んだことが好きになり、もっと学びたくなる。


(* 著者はブレニンと暮らしたほとんどのあいだを、仕事は別にして人と交際しなかった。なぜオオカミを飼うことにしたか。人間嫌いという言葉も出てくるけれど、ほんとうはそうではないことが本の最後でわかる。動物の倫理的権利を考えるなかで、菜食主義者にもなっている。ブレニンには人と動物の境界を超えて、じぶんの影か分身のように接している。とくにブレニンを看取るまでの描写には胸動かされた。ブレニンは弱いものいじめをせず、自分より強そうなイヌには敢然と向かってゆく性質をもっていたらしい。人生の同志とも呼べるブレニン。もともと哲学を専攻していた著者は、オオカミによって思索を深め、大変な生活(室内や車内をボロボロにされるとか…)を引きうけることで、他の人には味わえない人生の苦さと甘さを味わったのだと思う。)


「― わたしたちの知能は無償で与えられたものではない。進化において選択の余地はなかったとはいえ複雑さ、繊細さ、芸術、文化、科学、真実、人間の偉大さと呼びたいものすべてを陰謀や詐欺という代償を払って買ったのだ。」
文明化されないオオカミの特質。サルの社会的行動についての比較。 

「― なぜわたしはブレニンを愛したのだろうか。イヌやオオカミはわたしたちの魂の、久しく忘れられていた領域の奥底にある何かに語りかけるのだ。そこにはより古いわたしたちがすみついている。このオオカミの魂は、幸せが計算の中には見出せないこと、本当に意味のある関係は、契約によってはつくれないことを知っている。」

「― アリストテレスなら、この愛をフィリアと呼んだだろう。これは群れへの愛だ。
感情はフィリアではない。愛にはたくさんの顔がある。愛するなら、これらすべての顔を見渡せるほど、強くなければならない。フィリアの本質は、わたしたちが認めようとするよりもはるかに厳しく、はるかに残酷である。フィリアが存在するためには、どうしても必要なものが一つある。これは感情の問題ではなくて、意思の問題である。自分の群れへの愛は、群れの仲間のために何かをしようとする意志だ。どんなにそれをしたくなくても、それに対して恐れや嫌悪を感じても、それに対して最終的には高い代償、耐えられるよりもっと高い代償を払わなければならないとしても、そうする意志である。それが群れの仲間にとって、一番良いことだから、そうすべきだからこそ、するのだ。」

★ おすすめの本です。




イードがエッセイで書いていたジャン・ジュネの姿は、作品から受ける印象とは違ったものだったそうだ。<激しさと厳しい自制心と、敬虔ともいえる静謐さ>を表わしたジャコメッティ作の肖像画そのままだったと。ジュネを読んでみたい。

書いた/書かれた言葉の氾濫。内容そのものではなく、美しいと感じるかどうかで判断してみよう。プラトンの比喩に照らして。なにかをうみだしているか? 

ずっと前から憧れの作家はソンタグアーレント、サイードの三人。わたしには無理めな本なので敬遠していたけれど、わからなくてもいいから拾い読みしようか。

本の窓 23

[ 本  23] 

 <2010年 ちょっと早い今年のベスト3>

一年に24冊読了したので、ベスト3を。。読んだ本は次のリストです――(タグを省略しているので見づらいです)

142. 「国連新時代」      (評論)  外岡秀俊 143. 「むかし道具の考現学」  (解説書) 小林泰彦 144. 「高校生のための経済学入門」 (解説書)

145.「聖なる幻獣」  (解説書) 146. 「木綿伝承」   (解説書)  147.◆ 「なぜ私だけが苦しむのか?」      (哲学/宗教) クシュナー  148. 「フィンランド~森の精霊と旅をする」  (紀行) 149. 「漁師とドラウグ」           (小説)  ヨナス・リー 150.◆「藤田嗣治 手しごとの家」       (評論) 151.「キャラメル工場から」「機械の中の青春」  (小説) 佐多稲子 152.◆「実践するドラッカー 思考編」    (ビジネス書) 153.「京都生活雑貨」            (生活書)

154. 「身体をめぐるレッスン 3」     (哲学)   「いまぼくに」/「詩の本」      (詩集)谷川俊太郎 155.◆ 「民藝四十年」・「用の美」・「手仕事の日本」 (評論など) 柳宗悦  156. 「シャドウ・ワーク」              (社会学)I・イリイチ 157. 「ゴーディマ短編小説集」            ナディン・ゴーディマ 158. ◆「日時計の影」・「樹をみつめて」・「清陰星雨」  (随筆)中井久夫 159. 「身体をめぐるレッスン 4」      (哲学) 160. 「鶴見俊輔 いつも新しい思想家」     (文芸) 161.「アイヌ文様」            (解説書)    162.「サイン・シンボル事典」       (解説書) 163. 「日本語で書くということ」      (評論) 水村美苗 164. 「戦争のかたち」          (写真集) 下道基行 165. 「うまれるかたち」         (写真集) 柳宗理
166.「哲学者とオオカミ」



この中から クシュナー『なぜ私だけが苦しむのか?』、柳宗悦『民藝四十年』、中井久夫『樹をみつめて』、*追加 ローランズ『哲学者とオオカミ』
の4冊を挙げたいと思います。



 どれも哲学系でしょうか? 柳宗悦中井久夫は続けて読みたいなと。(そうそうドラッカーも幻獣もよかった。)

 このごろメディアの書評や広告をあまり読まないので、話題の本から浮いているものが多いような。面白そうな本、必要な本はもう読みつくしたような錯覚をおぼえるこのごろ、そうではないのですね。 友人知人のほかに、面識はないものの密かに敬愛している読書人のかた、ブロガーさんが何名かいらっしゃり、いつも本選びの参考にさせて頂いています。感謝。 なかなか思うように読書できない時期もあるなかで、孤独にほそぼそと読んでました。「ものづくり」の周辺を来年もうろうろしようかな、別のジャンルにいくのもいいなと思ったり。年末までに感想を追加するかもしれません。ひとまずこれにて。。 ことしも地味な感想におつきあいくださり、どうもありがとうございました*

* いま読みたい本・・マングェル『図書館~愛書家の楽園』、佐々木中『切り取れ、あの祈る手を』





F 165.『うまれるかたち』  柳宗理 2003/能登印刷出版部

 柳宗悦の長男でデザイナーの柳宗理(1915~)の金沢での展覧会カタログです。「バタフライ・スツール」のデザインをした人。ひと目で、あーどこかで見たことあると思いました。そうした一般に知られているのに無名なデザイン ―アノニマスデザインというのをめざしていたそうです。経歴を見るとドイツのバウハウスやイタリアデザインと関わったり、アーツアンドクラフツ(イギリスの民芸運動)の影響がある方でした。柳氏が手がけた多くの製品が紹介されており、家具をはじめ食器、工具、工業デザイン、インテリア、エクステリアなどどれもどこかで目にしたことがあり、シンプルで温かなラインが記憶に残っていました。うちの無印良品の急須はこれに似ているなぁと感じたり。

 彼の基盤は「売るためのデザインではなく、人間の心によりそう生活のデザイン」であると言います。(人の心によりそうかたちとは、ずいぶん抽象的でわかりにくい。。) 日本文化を背景にしながらも、東洋西洋の垣根を超えたデザインなのだと。父宗悦がデザインしたものより、宗理氏のはもう少し洋風の要素が加わっていると思いました。<デザインが薄っぺらなものにならないように、使い手とのコミュニケーションを失わない>ーなど、心に記しておきたい言葉もありました。

 織物の産地で昔は織り手の名前を出すことはなかったけれど、現代では作家名を出すといった例。オリジナリティに関わってきて、どこに個人のそれがあるか…なんのために名前を出すのか…難しい問題です。本の中でも三宅一生と対談しており、現代が求める要素も変化する中、最終的には 名前なしに世の中に使われるデザインを評価したいと言っています。

 何かがうまれたり創造される瞬間ってどういうものなんだろう・・といま興味があるので、バタフライ・スツールが生まれたきっかけが面白かったです。アクリル板を自由に曲げていてたまたまそういう形になった、いわば手の中から自然にわき出た形なのだと。センスや意図で「つくる」以外に、「しぜんにうまれる」部分も大きいのだろうと感じます。

もののデザイン/文様から、文化やアートにつながるものへと浸っていきそうです。  (2010.11月)


ほんとうは自分は思いやりのない人間なのだとわかった時 なにも書けなくなる。
   




164. 『戦争のかたち』 下道基行  2005/リトルモア

 飛行機のための防空壕・・・掩体壕(えんたいごう)というのがあったと聞きました。日常の生活からすっかり忘れ去られ、もう何に使うのかわからなくなった戦争の遺物たち。日本各地にぽつぽつ残っているらしく、バイクでそういったもの(トーチカ、砲台跡、監視塔など)を探して旅をした写真集です。たぶん著者はこうした写真を撮るのだけが目的ではなく、旅した土地に身を置くこと、風景の中でそれらをみつめることで、「かたち」の過去を体で感じていたのではと思いました。

 トーチカは何かの本で見たことがあり、小さな穴があいた四角い箱のような要塞です。穴から敵を監視したり射撃するものだとか。なにかこう、石ころだらけの海岸にぽつんと立っている表紙のトーチカは、シンプルで美しいと思ってしまいました。モダンなオブジェかモニュメントに見えて。。でもどこか、人の入るのを永遠に待っているような、奇妙な佇まいです。あぁそうだ、そこに物語を考えずにはいられないタルコフスキー的な像なんですね。 

 密閉された箱であるため他に使い道がなさそうなトーチカに比べ、飛行機の秘密格納庫だったという掩体壕は、おわんを伏せた形で片側が開いているため、今でもなにかに使われているんですね。倉庫、納屋、作業場、公園の中の小山とか、頑丈そうな家にまでなってるし。使い方がたくましいなぁと感心。というかどこにも移動させようがない巨大なコンクリートの塊に、もはや諦めているような。ある壕の上には草も樹も生え、古墳みたいに。(数百年後にはほんとに古墳と間違われるかもしれない。) あとは天の岩戸や原爆ドームを連想しました。 どれも孤独に取り残された雰囲気だけれど、かなりな存在感と異様な姿のまま埋もれかかっています。たぶん実物を見たら、写真よりさらに圧倒されるんじゃないかな。

 じっと見ていると一個一個が異界への入り口のように見え、小説でも書けそう。(絶対もうだれかが書いていると思う。笑 すこしシュールでユーモラス。ぽっかり空いた空間が怖いです。) 後記にトーチカを作った人との対話や、実際の使い方のイラストもありました。 この写真集を見たあとだと、どこかで掩体壕を見てもきっと気付きますよ。 (2010.11月)




163. 水村美苗『日本語で書くということ』 筑摩書房 2009

むかし辻邦生氏との往復書簡を読んで印象の深かった人。『本格小説』はざっと読んだだけ。正統派の小説を書ける人なのだと思いました。

本の中に漱石『行人』の論評がありました。五年前に書いた『行人』のじぶんの感想を読み返したら、水村氏の解説と同じように感じた所と、わたしは考えなかった所があった。『行人』は、ひとことで言うと「見合いか恋愛か」の問題なのだって。エ?と思うほど単純なのですが、言われてみればそう? 主人公の一郎兄さんがなぜあれほど悩んでいたのか。それは個人的な愛情の問題を超えた、深淵なる普遍的な愛の問題・・・ではなくて、「社会機能としての結婚制度」に悩む話であったのでした。いえほんとはもっと複雑な事柄も含まれているらしいですけど、結婚制度に落ちつけてしまえば、わかりやすいんです。意にそまぬ見合い結婚をした一郎兄さんにとって、妻の気持ちがわからないのも詮無いこと、かといって恋愛至上主義も疑っているような(←自信がない読みかた)、生まれついての高尚な「悩める人」だったのですから。愛なんぞにこだわらなければ平安でいられただろうに。

明治時代には女性にも自由意思があるとか、主体であるという社会通念が薄かった。漱石は近代ヨーロッパを知っていたから、いちはやく女性の人格?といったものを感じ取り、まことの愛や人の生き方とは何ぞやを、宗教すべてに通じながら作品群のなかで探り出そうとしていたのだろうか。 あぁでも今では女性はもはや「結婚か未婚か」を選びながら生きているのを、漱石先生はなんとおっしゃるかしら。いつだったかイマドキの若い男性が、思いあまって彼女に「仕事とボクとどっちがだいじ?」とつめよる話を読んで吹きだしたっけ。 

自分が見落としていた視点を教えてくれたのはとても勉強になった。ただ一つ『行人』の最後に出てくる友人Hについてほとんど書かれてないのは残念だった。Hさんはほんとうによき理解者で、一郎兄さんの心情、人となり、苦悩を、双子のようにわかっていた人だと思う。あの部分はかなりよかったのに。

『行人』以外の作品解説も面白く、別のを読んでみようかと思った。漱石先生はなんといっても奥深さがあり研究書も多い。時代とともにたくさんの解釈や読み方ができそうだ。  (2010.10月)





< もっとも長い旅は 内面へむかっての旅である。
自己の運命を選びとって、おのれの存在の根源をたずねつつ
(根源があるのであろうか。)
旅路に立った者は、いまだにおまえたちのあいだに留まりつつも、・・・>

D・ハマーショルド 






162. 『サイン・シンボル事典』 ミランダ・ブルース・ミットフォード/三省堂/1997

[本書の内容]
 文字のない文化からつながってシンボルとサインの本を。大型のビジュアル本で、子どもでも面白く読めます。もう少し由来についての詳しい解説があればと思ったくらい。 サインやシンボルというのは、「神秘を表わすための象徴言語」だと言うんですね。観念に生きる人間にとって、高度な象徴性のある記号や図像は文字を補うものとして存在したのだとか。古今東西のそれらが1160点、イラストや写真で紹介されています。分類など―

・神話と宗教に関わるもの… 神話、古代、ユダヤ教、キリスト、ヒンズー、仏教、イスラム、自然霊など
・自然… 太陽と月、天と地、宝石、庭園、植物、生物いっぱんなど
・人間… 人体、ダンスと劇、魔術、楽器、性、服飾、王権、道具武器、死、建築など
・象徴体系… 象形文字、数、文様、色、錬金術フリーメーソン、占星、紋章、国際記号、身ぶり、文書

(記号・・・自己規定のためのしるし。象徴・・・記号より深い意味をもつ表現、と区別されています。)

[感想]
パラパラ見ているととても楽しかった。へぇこんな形にこんな意味があったのか、とか 妙な模様だなーと感心したり。自分でも意味を考えられるところが面白くて。なんだろう、夢判断に近いようなところがあるんですね。なにか判らないものを読みといてゆく行為は、謎がとけてゆくほどに胸おどり・・。文字を補うどころか、その形、そのデザインそのものが強く奥深い意味をもっているし、たしかな伝承体といえるのではないかと思いました。

そういえば絵文字入りの文というのもあった。パソコンの絵文字や顔文字だって現代の記号。あまり微妙な表現はムリだけれど、顔文字の効用ってかなりある ^^。逆に何かをごまかすこともできる。

興味深かったのは、フリーメーソンの秘密の図像数点。ほんものかどうか誰も証明してくれないだろうけれど(笑)、簡単な絵に深い意味が込められているのだとか。(見てみたくないですか?) シンボルやサインというのは、見る人に意味がすぐ理解できると同時に、意味のわからなさ、秘され隠された部分がすこしあるために、人の興味を引くのだろうか。一定の集団や思想文化を共有している人だけにわかる・・・というのも文字にはない価値だろう。世界各地で似たサインやシンボルが生まれているので、古代の文化交流がかいま見えそうだ。

むかし般若心経のもとになったといわれる、長ーい600巻の「大般若波羅蜜多経」を見せてもらえる機会があった。サンスクリット文字をすべて漢字に直していて、ちんぷんかんぷんで私にはただの記号だったが、意味を知りたい気がした。 本書では「文書も象徴体系の一つ」だという。

現代の記号・シンボルといえば、さまざまなロゴだろうか? 売買の対象になるほどで、あらかじめデザインされたロゴがネット上で売られているのにはびっくり。個人の記号を創りますという商売も見かけた。むかし蔵書票というのも消しゴムで作ったっけ。他の人の書票は今まで2,3枚しか見たことがない。

文体とか文章スタイルも、集まれば個人の象徴になるのではと思う。 ネット上のニュースや話題って、絶え間なく流れてゆく記号みたいに感じるときがある。
シンボルやサインは、「とっつきにくいものを近づきやすくする」こともできるみたいだ。   (2010.10月)


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ここ数年、すこし混みいった文章や物事を理解するときに、もどかしさを感じたり、理解できないままになる。脳はしっかり退化モード。文を書くこと、ものを作ることが、少しでもブレーキになればいい。

「…である。」という書きかたがどうしてもできない。かといって「…だ。」もどこか乱暴な気がするのです。ですます調はまどろっこしい時がある。外見はわりと女性らしいと言われるのに文章は男性と間違われることも多い(汗)。



161.『アイヌ文様』 杉山寿栄男 編著 /1992年

 模様やデザインへの関心がしだいに強くなっている。アイヌの模様はエキゾチックだなと思っていた。図書館で探すと詳しそうな本があって、初版が大正時代のなの! 図版は多かったけれど写真が不鮮明なので、むかしの新聞を見ている感じ。民芸館で実物を見たことのあるアットゥシ織と呼ばれる綿入はんてんに似た服から、見たことのなかった花ござ、煙草入れ、装飾品、日用具、盆、刀、織物道具まで、白黒写真で600点が紹介されている。ほとんどはあのぐるぐる渦巻きと、弧線の一部を切り取ったような文様。それから自然を模したものが多い。

珍しいと思ったのは、S字型のお盆。なぜわざわざ作りにくい形にしたのか。祈祷と関係あるのかな、ユニークだと思う。 イクパシュイという、お酒を飲む時に髭を押さえたり上げるためのヘラも初めて見た。この刀の形をした物には、先祖代々のしるしをつけ子孫へ贈るのだとか。「祖印」という家ごとの印がおもしろく、家紋のようなものだろうか? 象形文字のようだったり、いちばん傑作なのは「熊の足あと」そのまま!(お茶目なイメージです) それから木の墓標とか、鮭の皮でできた靴も初めて見た。(鮭の靴は考現学の本でも紹介されていたっけ)

文様の伝来のしかたを考えると、編者は「すべての民族のある時代の文様は、似るのが自然。だが一致よりも異なる点に特質を見るべき」という。渦巻きは原初時代にはよくある文様で、シンボル事典によると水の渦をはじめ風、植物のつるなど自然を模したものから、エネルギーを生みだす力を表わすようになったのだとか。


渦巻き文様(モレウ)はアムール河地域にもよく似たのがあり、古代の交流が想像されて、アイヌとの細かな違いを図で比較していたのがわかりやすかった。

巴(ともえ)紋(三つ巴を表わすアレ)も渦巻き紋から発達したのだとか、アイヌは木器のみで土器はないとか、本土の原始時代の土器文様は七五三の数が多いとか、トリビア風な説明も珍しい。 それからアイヌ文様には括弧 { } のようなアイウシノカというのが多いこともわかって、すっきりした。すっきりしたけどじっと見ていると目がまわりそう。。(じっさい渦巻紋は何重にもすると目に強いので、少なくしているのではと述べられている。)

編者は「今やアイヌは風前のともしびだ・・」と心配していたけれど、これが発行された年に、のちにアイヌ文化を復興することになった萱野(かやの)茂氏が生まれたのは偶然と思えない。(偶然なのだろうけど)

この間から考えていた、
アイヌ文様 ~萱野氏を紹介した本~『文化の三角測量』に出てきた無文字性 ~たまたま聞いた詩の朗読 ~ 口承文化>
といったものたちが、すーとつながった。今までふやほやしていたもの(霞がかかった形容)が、ちょっとくっきりとなった。    (2010・10月)

(追記) 「アイヌ文様」は今や誰が見てもそれとわかるほど有名で、そのわかりやすさや一種のデザインが、手軽なアイヌ理解のようになっているかもしれない。文様から興味を持った彼らの現実や歴史を、私はあまり知らない。あるものにどういう風に入り込んでゆくか、、、手探りであれやこれやいろんな方角から眺めて、誤解もふくみながらやっと見えてくる感じでいいのだろうか?  異質であるものや文化に対してどういう目で見ていくかは、とても大きな問題につながると思う。多文化共生とか植民地主義とか人類学とか。自分自身の日ごろの態度も問われながら。
大きな視野をもつ人にとって、どの人がどれくらいの範囲でものを見ているかは、一目瞭然なんだろうな。





160.『鶴見俊輔 いつも新しい思想家』  河出書房新社

中井久夫氏の本から辿っていった「KAWADE道の手帖シリーズ」。鶴見氏の著書はあまり読んでないけれど、とにかく面白そうな人。彼の思想を知るほどに、巨人という形容があてはまるんじゃないかと思うようになった。丸山真男吉本隆明とも交わった、ベ平連の人、思想の科学の人。米寿の現在も「もうろく帖」とかを書いて出版し、自分の老いや死を鋭く見つめ続けている。この人の対談がまた活気があって話しだすと止まらない感じで、あっちこっちに話題があふれてゆく。。73歳のときにマンガの『寄生獣』に徹夜で読みふけったりするほど、元気というか、少年のような心もちには驚く。
中井氏との対談、自選著作アンソロジー、他の人による著作の紹介、エッセイなどが載っていて、鶴見氏の全体像をざっと見わたせるようになっている。

プラグマティズムを日本に紹介した人として知られ、ひとことでいうと「土法」にたとえているのがわかりやすかった。土法とは珍しいことばで、それぞれの地域に昔から伝わる慣習法のようなものらしい。文中にvernacular という言葉も出てきて、イリイチの言っていたのはこれかなと。(自ら学習した知識を指していたようだから、正確には異なるだろうか?)「その土地固有のもの」、建築用語では「土着・原産の」という意味らしい。土地のcommon law は混沌の中から法律が出てくる場合もあるそうで、すんなりまとまるのではなく、いろんな要素や条件の混ざり合い+人びとの話し合い+暮らしの問題解決から形成されたものだろうか?入会(いりえ)権とか。(法のことはよく知らないので違っているかもしれない。)

「いろはカルタ」の考察が独特だった。日本のアンソロジカルな伝統・・・組み合わせ自由な文化の自在性とか。

プラグマティズムの弱点を考えている所もおもしろい。「この主義で切羽詰まることもある。その時は自制心がだいじ。人間は曼荼羅なので、いろんな人を受け入れる余地は残してある。でもこの主義は妥協しやすかったり、逆風への抵抗を貫くことが難しい」とか述べている。 なんだかこの人は正直に自分や思想のまずさ弱さもさらけ出しているから、固まってないし自由でいるのがいいと思う。  (2010.10月)

+++

(追記) 本のどこだったか、「自分の説や思想を真反対から疑ってみる」とあった。相対的にみるとかとりあえず疑うというより、もっと強い自己否定の試み。そうしたギリギリまでの心境は、鶴見氏が三度の大きな鬱を体験したところからもくるのだろうか。




159.『交錯する身体 ~身体をめぐるレッスン4』  2007年 岩波書店

シリーズの4巻め。身体についてのさまざまな問題と考察の中で、わたしが目にとめた個所はやはり心に関するものが多かった。このシリーズ(4巻)は面白い。(2冊しか読んでないけど)  身体とはぜんぜん関係のない内容に飛んでったりする箇所も頭に残る。なぜこう難しげな本を読んでるの?・・という感じなのだけど、素人やフツーの人が哲学してもいいんじゃない? というか読むのが好きなだけなんです。

 ノートに書き抜いたフレーズから―。


* 筋肉の難病のため、常に介助を要する女性の例 ― 「体から外へ出たい!」 心は自分なのに、体を動かすのは他人 ― ここからくるアツレキ、もどかしさ。

―「自作の歌を歌うことで、華のあるからだになりたい。」「人とは楽器のようなもの。楽器は鳴らさなければならない。鳴らすのはわたし」

* 抑圧される性愛。異性主義への疑い― 対つい(カップル)の親密さと暴力について。 多様な家族が許容される社会とは。 生殖のための結婚(近代社会の家族) → 個人の感情、愛情にもとづく家族(未来の形?)へ

  * 生殖医療の問題。非配偶者間人工授精 ―父親がわからない、自分は誰なのか?  血縁の父を探すのではない、自分の存在の根拠を知りたいという気持ち。―関係者みなにとって真実は話さない方がよい という日本の親の考え方は50年の流れがあったが、すこし変わりつつある。―「血縁の有無」を厳しく問う社会のほうが問題では?という問いかけ。

* ゲイの人が書いていたエイズ感染の報道の仕方の問題 ―異性愛主義の社会を問い直すこと。近代の性規範に代わる多様な性のあり方を尊重する社会とは。

* 摂食障害 ―身体の存在そのものが重要な要素であること。言語とは別のコミュニケーションの手段? 身体感。

* 「身体は特定の人から向けられる特別の感情によって、包み込まれ、翻弄される。
その感情は愛と呼ばれることが多いけれども、それは常に両義的なものであって、解放へ向かう可能性と同時に、錯誤に陥る危うさを秘めている。」

* <絶対に正しい愛のかたちというものは存在しない。愛が正しくなりうるのは、それが自分自身を絶えず問いなおす場合である> 

* 「遺体」の埋葬の変化 ― つい昔までは遺体がある期間置いておかれ、残った人びとにとって大きな意味をもっていた。あの世とこの世を分け、つなぐものとしての遺体。 しきたり、世話、手順 ―今のあっさりとした別れ方、埋葬との比較。


・・・・全体の感想。 身体というのは、それだけで独立してあるとか、自分だけの所有物ではない。思っている以上に他の人との関係がつよく出てきたり、社会との関わりがある。社会の規範や価値観に大きく左右されるものなのだ。(けれどもだから身体を理性や意志と、うまく相談しながらやってゆく、つきあってゆくこともできるかもしれない。かな?) 「交錯する身体」とは、他の人と、社会と、自分のこころと交錯するという意味だろうか。

反対に、体の外へ出たいと願う難病の女性の文章が、病気になった時を思い出して強く印象にのこった。意志では動かしにくい病気を得た自分のからだは、不安で心細くて孤独だ。それでも病になにか意味を見つけ出したり、病にとらわれるだけではない自分、全部をひっくるめて受けとり、別のかたちにしながら生活していく―。    (2010.7月)




158. 中井久夫 『日時計の影』2008/ 『樹をみつめて』2006/ * 『清陰星雨』2002  みすず書房

フランスの詩人ヴァレリーの翻訳のことを読んでいたら、どこかで聞いたことのある中井久夫という人を思いだしました。神谷美恵子の『本、そして人』の解説を書いた人でした。調べてみると精神科医で専門の著書が多く、エッセイストとしても良好な読者感想を受けている方のようです。

3冊は新聞などに掲載されたエッセイで軽く読め、内容は身近な話から深刻な話題まで多分野にわたっていました。治療医としての体験談や時事評論、読書の話、昔の思い出、阪神大震災後のトラウマ治療、河合隼雄氏ら精神科医たちとの交流、戦争につての断想などです。難しい専門の話も平易な表現で、時にはくだけた話し言葉に近い文がまじっていて、簡潔で読みやすいです。自称プラグマティストなのに、人や自然に対するまなざしにはそこはかとない慈愛を感じ、深い教養がある方なんだなと思いました。静けさの漂う本です。

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日本人について、現代では対外的に「地の塩」としての働きを期待できるのではと言い、「立て直し」が得意で、数人の気の合った者で力を合わせる時にもっともよい仕事ができる。でもジリ貧に弱いとも書いてあった。(下の谷川俊太郎『若さゆえ』は海外青年協力隊のために書かれた詩です。)

<中国人の自己像は、山水画によく描かれる「孤船」ではないか>という。甘え・もたれかかりを許さない国民性や「信」への強さなど、私はよく知らないけれど、中井氏の見方を興味深く思った。異文化の人との交わりから見えてくるものとして、<国民が自尊心を何においているのか、何を人間であることの大切な条件としているかわかる瞬間がある>というのも印象に残った。


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言葉や翻訳についての文も多かった。 <言論は因果論を性急に打ち立てやすいが、その関係づけの多くは短絡的か部分的である。性急に因果関係を求めない「脱因果的思考」をめざしたい> という。ことばを信じつつも、陥りやすい弊害を突いた意見かなと思えた。

シンクロニシティについては、ユング派のそうした理論を <偶然を偶然としつつ、そこから自由連想によって思いがけないヒントを得ることもあり、全く人間世界に存する発見論的なものだと思う> として意味をもたせていたのに なるほどと思った。

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精神科医療についての文も、とても印象的なものが多かった。
< 処方する行為は究極は真心です> <治療は医療者と患者の協力である> <「いまはそうは思えないかもしれないが本当は大丈夫だよ」と患者に告げることが大切> と述べて、患者との対話、声かけ、小さな声で聞く など詳しい説明もよかった。

阪神大震災を経験し、その治癒や多くの相談にのった話にも引きこまれた。人間は悲惨な体験や感じかたを言葉で表現して減圧できるが、動物やペットはそれができないから、ストレスがじかに寿命に関わるーといった考察もしている。トラウマについては、<最後まで見捨てないこと以外に有効な対処法を発見できていない> と述べていて、精神的困窮者にむかいあう難しさと、それでも希望をもとうとする思いが伝わってきた。

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空間の力・・・<家や地域のちからは微弱であることが多いが、持続的に働く時 無視できない力を持つ> として「旧家」をあげていたのもおもしろかった。家のたたずまい、庭のようすから住人の精神状態がある程度わかる というのには同感。場や土地の力っていうのかな、けっこう磁力があるのを私も感じる。そこから離れたいとき、心を自由にするにはどうしたらいいだろうか。やっぱり本を読んだり考え続けることかな? あとは一度そこに浸りきって中から眺めてみるのもいいかもしれない。

<自分に立つ力を与えているのは自分が飛ぶことはできないという状況だ> という言葉とか。

鶴見俊輔と中井氏の対談(他の本だけど『道の手帖~鶴見俊輔』)も面白かった。鶴見さんてどんな人とでも面白そうな話ができる人だな・・。鶴見氏がアメリカでヘレン・ケラーに会った時、彼女が"unlearn" という言葉を使った。これは忘れる意味のほかに「学びほぐす」意味もあるんじゃないかと。この言葉、おぼえておこう。

あと意外に思われる「弱い人間関係のすすめ」とか、三歳のとき祖父から自由に使っていいと庭の一部を与えられ、いろんな植物を植えてうれしかった話とかも良かった。 

最も読みごたえのあるのは『樹をみつめて』の中の「戦争と平和についての観察」という小論文かもしれない。<戦争へと導く道は論理的で声高である。>

三冊とも読んでよかった!おすすめです。  (2010.10月) Amazon 中井久夫氏の著作

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<memo> 柳宗悦に続いて中井氏の本も三冊並行して読んだ。読むといっても今までのように最初から最後までじっくり読むんじゃなくて、ざっと目を通すのを繰り返す。内容はだいたい頭に残るみたいだし、読み方を変えてみるのもいいな。


追記* イリイチの本から思い浮かんだ婦人団体は、シャドウワークから出る一例としては限られた例だったかもしれない。ほんとうにやりたいことやできること、与えられたものを何かに生かそうとする女性は増えているんだろう。それが主婦であってもなくても、考え、試みて 暮らしていくこと。




157.『ゴーディマ短編集 JUMP』 ナディン・ゴーディマ  岩波書店

南アフリカの作家の小説はたぶん初めてじゃないかと思う。正直にいうとアパルトヘイトや人種差別は、わたしの日常からはかけ離れているなぁと感じた。以前『カラーパープル』という映画を見て暗ーい気持ちになった。最近はそういう深刻で重い話は見ないし読まなくなっていた。

わたしは世界や社会について知らなさ過ぎると思う。いままで積極的に知ろうとしてきただろうか。よくわからない。 アフリカのことは講演を聞いたりNPOに寄付したり、表面での関わりしかしてこなかった。抽選でアフリカ旅行が当たるとか、特派員になって滞在する機会がなければ、一生関係ない国と人々かもしれない。 でもまぁ同じ時代に生きているというだけで、見えない関係があるのだ たぶん。

(そう思いつつ並行して読んでいた下の『シャドウ・ワーク』に、偶然ゴーディマの初期の小説『バーガーの娘』に触れた部分があった。「家事労働をしている人、主婦は、産業社会でアパルトヘイトされている」とか書いてあり、ぎょ?となる。思わず身をのりだしたりして。)

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物語は面白くてどんどん読めた。話の背景や状況は複雑で、出てくる黒人と白人の関係や事情というものがすぐにはわからない。 最後まで読んで、あぁそういうことなのとわかって、どんでん返しでラストへというのが多い。語り手はさまざまな年齢、男女、階層にいる人たちで、内容も全く異なっていたのは飽きなかった。

作家はアパルトヘイトにただ抗議したり黒人側に味方する立場ではない。フィクションだけれどたぶん現実に近いことを淡々と述べ、心理描写なども抑えた書き方だ。彼女の冷静で醒めた眼を強く感じた。ゴーディマが南アフリカにずっと住み、書き続けたことには、すごい個性だな、ディーネセンみたいだと思う。国をまるごとまな板に乗せるなんて、日本では高村薫犬養道子山崎豊子たちだろうか。(あまり読んでないけど。)
彼女の見たアフリカの一面から、わずかなところだけでも南アが見えたと思う。人種差別が差別ではなく「あたりまえ」と決められていた社会。でもそれは遠い世界の昔のことではなく、身近にもあるのだろうという気がする。(追記)それからアフリカは、ただ飢餓と戦争と野性の動物がいる土地・・・ではなく、もっと豊かで奥ふかい地域なのではないか?という予感もする。ただ知らないだけなんだ。  (2010.9月)




156.『シャドウ・ワーク』  I・イリイチ 2006年 岩波現代文庫

この思想家(1926~2002)も初めて読んだ。少し難儀しながら文体に慣れないまま読んでいると、現代の家事労働や主婦について書かれた部分があり、身につまされる。(シャドウワークとは賃金労働を補完する無賃労働のことで、長い通勤時間や受験勉強も入ってる!)
何となく著者のいいたい意見はわかり、ではどうしたらいいのか知りたくなる。具体的な答えは示されておらず、自立、自存の精神でおのおの生きることが大切だと述べる部分がおおい。「読者が自分で考えるのが答え」だと。

「社会や他人から与えられた人生を、なにも考えず疑問を持たずに受け入れることの危うさ。自分が選んだのだ、満足だと思っていることが、本当はそうではないかもしれない、ということに気付かない問題」とか。

よく「家事は労働か」「出産育児はどういう意味があるのか、お金に換算できるか」などと議論されることについて、わたしも考え、右往左往してきた。体力、才能、やりたいこと、家庭の事情などをはかりながらだった。

 イリイチは一見家事を否定しているようにも、逆に生活やすべてのことをもっと昔風にした方がいいと言ってるようにも見える。けれどそうではないみたい。科学と経済と社会とに流されてやしないか? 学校、病院・・そのほかの既成の社会制度に依りかかって大切なことを忘れかけてないか? と言ってるように思える。この「大切なこと」って何かは、やっぱりはっきりと書かれていない。コンピュータや消費生活についての考察も、現在進行中の問題としてとても考えさせられる。よく出てくる”ヴァナキュラー”という言葉も十分にわからないままだった。(独学と関係ある?)

思いだしたのは、ある婦人の団体だった。宗教の信仰が土台にあるものの会員の思想信条は自由だ。家庭の運営や家事育児を重視しながらも、職業をもつ人も尊重される。 社会活動を計画したり資金を集めたりは、自主的なもので強制はない。家事いろいろについて互いに教えあったり勉強していた。性差にかかわらず、家庭を「誰でもが携わるのに価値のある、生命を守るための営み」とかんがえていた。家事は義務でも労働でもなく、工夫しがいのある豊かな創造を秘めた分野なのだった。 もしかしてあれがイリイチの理想に近いのかなぁという気もした。

他にも地域の平和や環境についての考察と評論などがあり、やはり「各コミュニティで、固有で独自の主張とやり方が明示されねばならない」とだけ述べられていて、う~んと考え込むのだった。  (2010.8月)




155. 柳宗悦 『民藝四十年』岩波文庫 ・『用の美』世界文化社 ・『手仕事の日本』岩波文庫   

無名の人びとの手仕事の美しさに感動し、同志たちと「民芸」というジャンルを作った柳宗悦(1889~1961)の本をいくつか読んだ。民芸に囲まれた土地にわたしも育ったせいか、朴訥さを感じるそうしたものが好きだ。地方ごとの農漁山村にあった手仕事は、有名な絵師や工芸家達の作品に比べて「下手(げて)もの」と呼ばれ、すこし格下に見られていたらしい。

『用の美』(上・下)は彼のコレクション写真集だ。ざっと見ていると、美しさより先に力強さを感じる。たとえば壺の柄や色合いは武骨で質朴だ。おごそかに立つ老木のように存在感があり、人々が長いあいだに磨きぬいてきたんだなぁと思えるセンスがある。柳は民芸ならなんでも好いとしたわけではなく、俗に流されたり弱まったり雑になったものには厳しかった。彼が美を認めた品じなは、芸術から影響を受けたものもあるようだ。民芸と芸術の境は私にはわからないけれど、大ざっぱにいって「ふだんの生活で使われる用具」で無造作で自由、凛とした美しさを感じさせるものが民芸だろうか。

『手仕事の日本』では20年かけて各地の手仕事を訪ね歩いて集めたものを紹介している。北はアイヌから南は琉球まで、彼がいかにそうした品物に敬愛を抱いていたかわかり、ほとんど偏愛といってもいいほどの入れ込みようだ。愛着はただ品物に向けられているのではなく、それらを作ってきた人々や土地の歴史、文化といったものにも向けられているのを感じる。また都から遠く離れた地方ほど土着し伝統を守った粘りづよさがあるとして、東北や山陰をとりわけ称賛している。その表現が、ぜんたいに熱い! さらに国内のそれらをナショナリスティックに誉めるだけでなく、世界各地の手仕事へ敬意を払っていたようだ。

濱田庄司河井寛次郎、富本憲吉、柳らが運動をおこしてから七十年、全国の民芸事情はだいぶ様変わりしているのではと思う。大正~昭和20年前ころの当時も、すでに廃れたもの、勢いを失ったものがあり、その変化を嘆いていた。現代の大きな変化は、やはり生活の洋風化と産業の変化、国際化だろうか。日用品はあらゆる国のものが入ってきていて、民芸品なのか工場製品なのかわからないものも多い。
国内の民芸では、素材はたとえばわらで作られたものが少なくなり、蓑(みの)だの背当てなどは博物館で見たことがあるだけだ。反対に陶磁器や木工品はわりと継承されている所が多いみたいだ。一方で久留米の絣や奈良の麻、金沢の漆など、素材や形をアレンジしたり新しく創って人気を復活しているところもあって、世界に通用する品も出てきて頼もしい感じだ。

神秘詩人のブレイクの研究をしていたこと。民芸に目覚めたのが朝鮮の陶磁器からだったこと。江戸期の「木喰(もくじき)上人」の仏像を発見して業績を明らかにしたことなど初めて知った。芸術全般に詳しく、仏教も深く理解していたようで、民芸論がそのまま芸術論や人間についての深い考察となっているのではと思う。(柳田国男とは同時代の人だったが、一緒に仕事をしたり影響を与えあった跡はみられない。柳田に比べて柳宗悦はまだ十分に研究されていないとも聞く。)


現代の益子焼

物はどんなものでも、とくに時代を超えてきたモノは、作った人だけでなく使った人、それを残そうとした人たちすべての遺産なのだなと思う。

とりあえず「日本民藝館」にはいつか行かなきゃ。それから民芸は今もみんなの家のどこかでささやかな位置を占めていると思う。ひととき茶碗やお皿を手に取り、「どこの産地の何焼きなの?」とたずねてみるのもいいと思う。たとえ「ワタシはアジア出身の多国籍でして、百均で・・・」と答えたとしても、雑器としての実用と美がすこしでもあると使い手が思うなら、(柳先生は怒るかもしれないけど)それも民芸と呼べるのではないかしら。   (2010.8月) ★お薦め本です

Amazon 民芸や柳宗悦に関する本




谷川俊太郎『いまぼくに』、『詩の本』 



若さゆえ


差し伸べられた細い手
助けようとしてきみは助けられる
その手に
求めてやまぬひたむきな心
教えようとしてきみは学ぶ
その心に

凍りついた山々の頂きを照らす朝日
重なり合う砂丘の柔らかい肩に昇る朝日
市場のざわめきをつらぬく朝日
それらは同じひとつの太陽
だからきみはふるさとにいる
そこでも

底なしの深い目がきみを見つめる
その目にあなたは読むだろう
太古からのもつれあう土地の物語
きみは何度も問いつめる
きみ自身を
地球のために

そして夜人々とともにきみは踊る
きみは歌う
今日を生きる歓びを
若さがきみの希望
そして私たちみんなの

若さゆえありあまるきみだから
目に見えることを与えることは出来る
だが目に見えぬものは
ただ受け取るだけ
それが何よりも大切なみやげ
きみの明日



    +++++


できたら


素顔で微笑んでほしい
できたら

愛に我を忘れて
その瞬間のあなたは
花のように自然で
音楽のように優雅で
そのくせどこかに
洗い立ての洗濯物の
日々の香りをかくしている

かけがえのない物語を生きてほしい
できたら

小説に騙されずに
母の胸と父の膝の記憶を抱いて
涙で裏切りながら
涙に裏切られながら
鏡の中の未来の自分から
目をそらさずに

時を恐れないでほしい
できたら

からだの枯れるときは
魂の実るとき
時計では刻めない時間を生きて
目に見えぬものを信じて
情報の渦巻く海から
ひとしずくの知恵をすくい取り
猫のようにくつろいで

眠ってほしい 夢をはらむ夜を
目覚めてほしい 何度でも初めての朝に





谷川俊太郎の詩集いろいろ




154.「身体をめぐるレッスン3 ~脈打つ身体」  岩波書店 2007年

どんな本か知らないままタイトルで手に取った本。体にまつわるいくつかの側面を著者数名が論じています。身体が不自由な人、ゲイの人、看護職、研究者などさまざま。本からの引用・要約と、思ったことなどをすこし。

+++

◆ <神話学者ケレーニイによる生物の二分類、ゾーエーZoeとビオスBiosの紹介。ゾーエーはあらゆる生物をふくむ無限の生で、ビオスは個別的で表情を持つ生をさす。
イメージとしては・・悠久の流れという「大きな命の河」があり、その流れに一瞬うかぶ水の泡としての私たちの生。>

<ビオスはもともと強くありたいと望む存在で、知識を身につけ、薬で性格をよくする(より社会化する)などを願う性質をもつ> といわれる。たとえ気力をなくしたように見える人の中にも、生きよう生きたいという願いは潜在しているのを感じる。

近年の風潮―性格を調整し、積極的なものに向けるやり方に著者(金森修氏)は疑問を持つ。「明るく活動的に」というのも社会の求める一つの形なのだ。それがよい場合もある一方で、強迫的になると、できない人や自身を責めたりする。社会が求めるものを疑い、よく考えてみること。まぁしんぎんしながらやってゆこう。

  身体はもちろん性格までも変えようとする遺伝子工学、美容整形、薬や機械での自己補強―についても批判されていた。 人間性が持つ振幅の広さ奥行きの深さを、「社会性」という一元の位相にそろえ、平板にするのではないかという疑問に、なるほどと思う。
健やかでしなやかな精神・身体を持ちたいと願うのは、何のため?というところがだいじかなと思う。その行為が過ぎたり、ほんとうの姿ではないものになろうとすると、体やこころがきしんだり悲鳴をあげるのではないか。

◆ 日本でただ一人ウエアラブルコンピュータ(WC)を身につけている塚本氏の話も興味深かった。WCはあまり普及しないのだとか。障害者に便利なのだが、割高になる。 健常者むけに開発し安くして障害者に普及させる案とか。
「ビデオ、写真などで記録がとれると、再生できるものがある というだけで人が生きていく支えになる」という文に、そうかぁと思う。人は思い出があるから未来へ続けてゆける気もする。

◆ <現代は「感情労働」というのが多くなっている。医療や教育など対人関係が必要なサービス業でそれが求められる。肉体労働や頭脳労働に代わって、現代の特徴となっている。感情を定められた状態にしたり保つような仕事。>
感情のコントロールはたいへんで難しい。その技術も仕事のうちなのだ。

(追記)「エモーショナル(感情)」を捨てる―という文を読んだ。
ふつうエモーショナルが豊かであると人間的に魅力があるような気がする。けれどもとくに否定的な感情を捨てることは、その人の魅力を減らすことにはならないし、我欲から離れてむしろ楽に生きることができるという説だった。自然にわきあがる自分のエモーショナルをそのまま表現するのではなく、いったん沈静させて熟成させる・・人の話も肯定も否定もせずに受けとめる・・というのがいいんじゃないか。できるかどうかわからないけれど、このごろ そうできるといいなと思う。


<仕事に追いまくられる身体は、精力的とはいえても躍動的とはいえない> ・・躍動的って?・・ちょっと考えた。 

◆ <危機・・・精神や身体の危機というのはいつ誰にでも起きる。それは人を生の新しい段階ステージに向かわせる経験のこと、それを考え抜くことで私たちには生と社会との新たな一頁が開かれる> 
免疫学者で能作家、数年前病気で倒れてのちも精力的に活動されていた故多田富雄氏を思い出した。
病気に勝つ・負けるといった単純な分け方ではくくれないのだとおもう。どんな人のあり方でもその人らしいものであり、それをわたしはただ見ているしかない。そして時(機会)が与えられれば関わりあったりもしながら。。

◆ セラピーカルチャーについて。ネットでもよく見かける。こういったものへの疑問も指摘されていた。
ただ一つ <仲間と真の感情を共有する> 、<自分への何となくの承認>が自分の存在意義でもあると。
でも何かの映画にあったように(『ファイトクラブ』だったかな?)、仲間同士でさらに傷を深めてしまう場合もあって、じつは全く関係のない人、もの、動物、自然etc....からセラピーされることが多いのではないかと思う。
真の感情 というのが大事。表面的だったりほんものではないとマズイかも。

◆ 看護師や理学療法の現場からの声も、ふだんは聞けない内容でおもしろかった。医療の現場では、知識よりも先に身体が動いて実践している場合が多いそうだ。行動しながら患者を観察し、つぎつぎと能動的な働きが始まる。自分でも意識せずに見方や看護のやり方が変わり、更新され、新しい方向ややるべき看護が見えてくる・・・。なるほどなぁーと思えた。慣れた看護という行為にとどまらず、患者と交わり、世話する中で、絶えず新しい創造とでも呼ぶようなものが生まれている。そしてそれは時には患者にもしっかり伝わり、患者の生命を支えているのではないかと。一方的に支えているんじゃなくて、ほんとうに支え合っている雰囲気。もちろん文章には出ない困難さも日常の煩わしさもあると思う。

理学療法、リハビリは最近の医療現場ではとりわけ重要になってきている。働く療法士達もさまざまだと思うが、中には患者と互いに向き合い寄り添うなかで、そこに生まれる毎日のできごと・・うまくいかないことも含めて、相手への働きかけというものを、心身ともに丁寧に見ていこうとする。患者から与えられる気付きも自身の気付きも、両方を表現してゆこうとしている人たちがいるのを知った。

*身体という誰でもが持つマテリアルをいろんな角度から見ようとしていて、読み応えのある本でした。 次は『身体をめぐるレッスン4』を。(2010.8月)  



 

本の窓 22

本+++ 本 22+++


知るや君      島崎藤村


 こゝろもあらぬ秋鳥の
声にもれくる一ひとふしを
        知るや君

   深くも澄める朝潮あさじほの
底にかくるゝ真珠しらたまを
        知るや君

   あやめもしらぬやみの夜よに
静かにうごく星くづを
        知るや君

 まだ弾ひきも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音ねを
        知るや君


【知るや君】口語ver.

ないてるだけの とりたちの
こえにかくれた そのきもちを
しってるかい

ふかくてすんだ うみのそこ
ひそむしんじゅの きらめきを
しってるかい

なにもみえない よぞらにも
ほしがしずかに うごいてる
しってるかい

こいをしらない おとめにも
むねにひめてる こいごころ
しってるかい

NHK「シャキーン」より)

+++



『Ride on Time』  山下達郎  ♪青い水平線をいまかけぬけてく・・・アメリカの大自然 / 『LOVELAND,ISLAND』 ふたりのダンス

『Just the way you are』 Billy Joel サックスかっこいい


 + +

ドストエフスキーの物語はときどき底なしの絶望のようなものを感じる。それなのに無限の多幸感とか祝祭空間も描ける。

お金をじぶんの自由に使うことができると、かくじつに行動範囲が広がる。心身の自由度を決める。

memo

 HPをはじめてからまもなく7年になります。開設のきっかけはドストエフスキーや本の感想を書いておこうと思って。ついでに登場人物一覧も作りました。
そのころドストは今ほど知られていなかったような…。数年後に新訳が出て話題になり、今やメジャー作家の仲間入り。(めでたしめでたし。。?)
コンテンツの内容にほとんど変化がなく、書くことは地味で色気もなし。生活感や現実みが無さすぎな文でよいのだろうかと思いつつ、150冊分の感想はささやかな財産とも感じています。一番良かったのは、ネットをしていなければ読まなかっただろう本を教えてもらえたことです。読んで下さっているみなさま、ありがとうございます。


   +

今年の夏はとりわけ長く感じる。最高気温が毎日更新され、クーラーのない所は暖房がききすぎた部屋のよう。でも珍しいことにまだ夏バテしない。毎年、気分に負けているのかもしれないと思った。自分の体=夏に弱いという思いこみを変えたい。

シュタイナーは相手(話し手)の言うことをただ受け入れよ、自分の感情はなにも足さずに。と言ってたようだけど、それがけっこうムズカシイ。すぐなにか言ってみたくなる。

シンクロニシティという現象はあるなあと感じます。
互いに合わせたわけでもないのに、書いたことばが他の人のと一致したり、似ているといったことがよく起きます。
でもなにもかもシンクロと感じるのは、勘違いだろう。何を感じるかは受けとり方しだいなので、ほんとはわからない部分が多いのだ。違いのほうが多いのだから、それを探し大切にしよう。

   ++

 できる範囲でとことん考えてみるのは、養分や深みになる。なるたけ違う方法でかんがえるように試してみる。同じところをぐるぐるじゃ進んでない。

 言葉を自分に都合のいいようにとか、酔うために受けとろうとしていないか。
誰のものでもなく昔から伝えられてきた言葉として、受けとめたり書くように。

書く人の二つの面。書かずにはいられない、という衝動。玉三郎玉置浩二が「自分には踊ることしかない」「歌しかないと思った」と話していた。
そうせずにはいられない「なにか」は、自分を駆り立てるもの、自分を支える動力源がある。
書きたい、踊りたい、歌いたいという欲求のもっと先にあるのは、本能と同じものだろうか?
もう一つは、思い感じたことを、他の人に伝えたいという願い。
生みだす苦しみも伴うけれど、それより大きな悦びを感じる。

・・・なんだか生意気なことを書いちゃったような気がする。




坂東玉三郎さんは一度だけ舞台を拝見したことがある。そこにいるだけで美が凝固しているようで、ふとしたしぐさに神経がゆきとどいているのが伝わってきた。
人間なのに人ではないような立ち姿。清楚な妖艶さ、といったら俗っぽい表現になるけれど。『風姿花伝』の花にあてはまるような人だ。

ワイダ監督の『ナスターシャ』を見たとき、ムイシュキンからナスターシャへの変わり身をショール一枚で遂げた場面が印象的だった。
初の男性役だったらしいが、ムイシュキンの包容を感じさせる女性性とナスターシャのきりっとした男性性という、小説の二人の不思議な性質と心もちをみごと表現していたと思う。
 (『ナスターシャ』はドストエフスキー『白痴』をアレンジした作品で、夢幻にあふれた映画でした。)




153.『京都生活雑貨』  2006/光村推古書院 

京の雑貨は和風の中にモダンなデザインを活かしているようです。伝統工芸は宮中の生活用品などを作ったのが始まりとか。
本では赤、白・銀、黒、藍・紫、茶、緑と色分けしながら雑貨を紹介しています。京都ならではと思えるのは、伝統柄の季節の花、動物、雪月花といったモチーフ・型をうまくアレンジしているところでした。
絵ろうそくでは繊細な花柄を大きくし、色をシンプルに。形も四角のキャンドルで、洋風の部屋でも使えそうにしている。
かわいらしさは残して、ナチュラルなデザインにしているのに目をひかれました。 和紙ピアスなんかも珍しい。

京のブランドで知っているのは鳩居堂や松風堂くらいで、くわしくないです。京都いがいにも金沢、福岡、東北など、各地域で新しいデザインやモノが創りだされているようです。
海外のものはわかりませんが、たぶん日本には世界中のデザインが集まってきているのでは。
多くの情報を集めつつも、自分が作れる量と時間は限られているので、何をどこまで取りいれるか思案します。 (2010.7月)




ものづくりをしている友人たちと話していたら、「作品をつくっている時は、もう髪ふり乱してて…」と言う。そうそう、作っているときは無我夢中で、化粧やかっこうなどぜんぜん気にしてない。きっとわたしもすごい形相なのでしょう。
手元をみつめながらでき上がった形だけを思い描いてる。鶴女房が「ハタオリスガタハミナイデネ」といったのは、一心不乱なようすがいつもとあまりに違うから・・・と狸の女房は思ったのでした。

 ++ 

頭の中で考えていることは、じぶんでもなんだか立派だなぁとか、ぜひ文字にしなくてはと思う。
でも文字にしてみると、なんだ、たいしたことないか、平凡だなって思う。 なにが足りないの~?
・・やっぱり今の自分しか見せられないのだ。まいいか。


男性の視点ってすごいなと感心することがある。女性特有の身近でこまかいモノの見かたを超えた、全然別の方向とか遠くを見ている。

 ++






152.『実践するドラッカー・思考編』 上田惇生監修/ 2010

話題のドラッカーです^^。以前読んだ『仕事力』とかなり通じました。「知識労働者に」とありますが、さまざまな職種にあてはまると思うし、計画や目標に向け活動している人にもアドバイスの宝庫では。

「卓越性と強み」。これを伸ばすことが組織、社会への貢献になる というのが 主張の大部分です。(世阿弥の衆人愛敬や内村鑑三の考えと似ている。かもしれない)
卓越性とは資質をみがいたあとにできてゆくもの。あまり考えたことがなかったのですけれど、私にもあるようです。たぶん一つは作文。もう一つは色とデザインを組み合わせて新しいカタチにすること。
今やっていることの価値付けができたし、小さな目標ができた時期と重なりタイミングのよい本でした。すこし自信が持てました。卓越性は「成果」として表わさなきゃいけないとも。(やってみた結果を、来年すこし報告できればと思っています。)

高い倫理観や自律心を持つことも求められており、自分でよく考えるしかないようです。 他を抜粋すると―

・ 真摯さだけは後天的に身に付けられない。これがない上司は部下からすぐわかる。

・ 卓越性の追求― 
自分で意識して作るもの。発揮できる分野と能力を決める。
それを得るため時間、エネルギー、お金を集中させる。強みを徹底的に利用する。

(強みとは誰にでもあるもの。好奇心の豊かさ、ゆるぎのない忍耐力、互いを生かし合う力、プレゼン力、純粋に感動する力・・。)
強みを持っているだけじゃ宝の持ち腐れ。また弱みを直さなくてもいいのだ、それは時間の無駄だ というのにふむふむ。。

・ 適材適所は自分で行う。適所でないと思ったら変える。仕事に自分を飽きさせないために、視点を変える。
「予期せぬ成功」が起きたらそれを追求する。→チャンスがそこに存在したということだから。棚からボタモチをもう一回ねらう。(違 
・成長のためには、「教える」のがいい。ドラッカーは95年の生涯で60年以上教えたらしい。企業で働いていた人かと思ったら、組織には向かないと悟り教育の仕事に卓越性を見出したのだそうです。
「出し惜しみしないこと。すべて出し尽くすと不思議なことに空になったスペースに最新の知識や情報が入ってくる」 ←ここんとこだいじ? 自分の知識も他の人からの集積。人に自分の持っているものをすすんで伝えれば、自分にもそれだけの分、いえそれ以上のものが返ってくる気がする。

ドラ教授は「何によって憶えられたいか」と聞きます。
刺激的な言葉です。名前でなくても何かひとつ。記憶してもらえたら最高だろうな。

最後に「実践」の強調。この本読むだけじゃ読んだことにならない、実際に行動を―と。実践といっても大勢の他人がいるのだから、ひじょうに難しい。でもなんとかやりこなしている人たちを知っているので、モデルとして見て、自分もと思います。説明よりも、生身の「人」というのは力強い影響力をもちますね。ドラ先生も人の力を信頼しています。

なんだかまとまらないし、ドラッカー思想のはしっこを知っただけですが、ふだん縁のない本もよんでよかった。(2010.7月)  (また追記するかもしれません。消したり書いたり。。)



wikiより~
「彼の著作には大きく分けて組織のマネジメントを取り上げたものと、社会や政治などを取り上げたものがある。
本人によれば彼のもっとも基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。
そのためには個人としての人間と社会(組織)の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ピーター自身が選択したのは後者だった。

著書の『すでに起こった未来』では、みずからを生物環境を研究する自然生態学者とは異なり、人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定している。」




memo

・ 何かに注意を向ける というのは自分が動かされる可能性を含むこと。
影響というはっきり目にみえるものから、砂粒のように微かに残るものまで。
注意を向けた対象に、いつのまにか動かされるかもしれない。全身が変動するかもしれない。

・ 見ること聞くことで、わたしは驚き、日々新しくなる。 時間とともに自分を入れ替えてゆく。そして読むこと、書くこと。 味わい、におい、さわることも。

・他のひとの”よい文章”は、あとで読み返したくなる。気になって、言葉がわたしを引きとめ、急に自分も何か書いてみたくなる。







151.『キャラメル工場から』『機械のなかの青春』 (日本文学全集)  佐多稲子

女性作家の中ではかなり地味で、マイナーだろう稲子さん。
中学だったかに読んで、女の子が工場で働いてた風景をおぼえている。再読してみて たった十ページの短編だったのかと忘れていた。
病気がちな父親に行かされたキャラメル工場で日がな働く主人公は、13歳だ。病人がいて母親のいない一家を一人で背負っている。
女工哀史かマッチ売りの少女か…という寂しい味わいだ。作者の実体験に近いらしい。

主人公はただ学校へ行って勉強がしたいとおもう。自分がなぜこうしているのか理解しながらも、幼くて父に抵抗することばも言いだせない。
祖母は彼女を哀れに思い、電車賃を節約して片道二時間歩くおくり迎えにつきそう。
主人公はずいぶん大人びている。特にしっかりしていたのか、大正始めころの少女達がこんな風だったのかわからない。 あの少女たちがかつていたことを覚えていよう。後には 共産党活動を描いた作品も数編書いている。小林多喜二と同年代に生きた人だ。

ドラマチックじゃないし面白さが薄いけれども、つい『工場日記』を思い出してしまう。ヴェイユを佐多さんはたぶん知らなかったと思う。読んでいたらどんな感想を持っただろう。(調べたら佐多稲子の4年後にヴェーユが生まれていた。ついでにドラッカーヴェイユと同い年!)

<追記>
「アフリカの日々」のイサク・ディネーセンがアフリカでコーヒー農園を経営していた1910年代が、ちょうどキャラメル工場の時期と重なっていた。比べるのはおかしいけれど、たくさんのことが違っている。

+ 観劇 +

『父と暮らせば』で井上ひさしの劇を初めて見た。主人公の娘は原爆を受けてひとり生き残った。好きな男性も現れたのに、なかなか自分の気持ちを素直に伝えようとせず、父は理由がわからずやきもきする。(父はもう実在の人ではない)
劇の終わりに、「うちはしあわせになったらいけんのじゃ…」と言って、生き残った自分を責める。
舞台の二人に 原爆資料館や祈念日に集まっていた人たち、累々と重なり亡くなった人々、溶けたガラスビンや屋根瓦がだぶって見えた。ここの感想ではとても足りないたくさんの思いが心に満ちた。

劇などのように、人のからだと言葉が動くけしき というのは、見ていてなにか自分の中に埋もれていた、ぜんぜん違った記憶とか感情とかが、突然引き出されてくる気がする。 

井上ひさしは、深刻で重くなりがちな話を笑いに変えてぽんぽん打ちだし、観客を泣かせ、そのつりあい組み合わせは絶妙だと思った。さすがひょっこりひょうたん島
原爆のようにたいへんなできごとを、ちょっとの話で伝えられるわけがない とも劇中で言っていた。

言葉が「音」と「からだ」に乗って空間に放たれるとき、熱く濃密な気流が生まれ、渦巻いていく。






 『アフリカの日々・やし酒飲み』 イサク・ディネセン、エイモス・チュツオーラ /世界文学全集 河出書房 

最初のほうだけで、読み切れませんでした。
「アフリカの日々」は昔みた映画「愛と哀しみの果て」の原作なのだとか。(女性だったとは知らなかった。) 映画は20世紀初頭のアフリカを舞台に、愛と冒険に生きたひとりの女の半生を描いた一大ロマンス。ぼ~としていた私はアフリカというものがピンとこなくて、印象に残っていなかった。
 原作はすこし違っていて、デンマーク人の女性が単身農園を経営しながらアフリカの自然や文化を冷静に見つめていく自伝のような物語。理性的で行動力をもち、スケールの大きさを感じる。

  「やし酒飲み」は、黒人男性が書いたということしか知らずに読みかけた。神話のような幻覚のような、よくわからない物語だった。幻想文学はなじみがなく、マルケスは一冊読んだだけ。乱歩やポーなど幻想譚はわりと好きだけれど、ベールか壁があるみたいで入りきれない。突き抜けられればすごく面白い世界が広がってるのだろうか。

北欧の作家で探していたら、最近話題になっている新世界文学全集の一冊だった。他のもよさそうな作品ばかりで、これから読みたいなと思った。




150.『藤田嗣治 手しごとの家』  林洋子著/集英社新書/2009年

ずっと昔 叔母に教えてもらって初めて見た彼の画は、透き通ったロウを思わせる白い肌の少女と白猫で、どこか神秘的だった。 藤田嗣治(1886~1968)のことは日本よりフランスで評価され、死ぬまで彼の地に住んだことくらいしか知らなかったが、多くの手しごともこなした彼を紹介している本を見つけて興味を持った。

彼は明治19年生まれ。当時の男性には珍しく、裁縫、木工、写真、ドールハウス、染色、陶芸など身の回りのものをたくさん手作りしていたという。
マルチアーティストのイメージだ。ピカソ岡本太郎のように次々と芸術の他のジャンルや生活用品に関心が向かい、あふれる創作意欲をかき立てていった。
自分の手で変えられるところは変え、作れるものは作ってしまう。 なんだかわかるなぁ。美しいものを手もとに置きたい気持ちが大きくなると、奥さんだけでなく食器、布もの、人形、家具、はては住んでいる家まで、自分のこだわりと美意識でととのえ愛でたくなる。蚤の市が大好きだったというのもうなづける。
今でいうとインテリア総合プランナーとかライフデザイナー?

ミシンで自分のシャツや妻の服まで縫ったというから、技術や布への入れ込みようもわかる。縫いものをする自画像もあるのだ。 アトリエでの絵画制作と同時進行で裁縫をやったらしく、親近感を感じてしまう。どんなもの作ったのかなぁ。かなり奇抜な服も作ったらしい。藍染を配したちゃんちゃんこがあったり、使っていた布裂を見たら、やっぱりセンスいいなぁと思った。 布はヨーロッパ製もあれば日本の縞木綿もあり、広い範囲で集めたようだ。手しごとの品はどれも玄人はだしで、特にミニチュアハウスは自宅を部屋ごとに小さく精密に作り上げており、趣味なのか本職としてやっていたのかわからないくらい。

フランスにずっと暮らしていたと思っていたけれど、日本やアメリカにも住み、海外旅行をしたりと、生涯彷徨した人だった。「私は死ぬまで旅行者でおわろう」という言葉も残されている。旅先からの葉書や日記、手紙類が山ほど残されており、絵手紙が多くて、見ていて楽しい。優れたエッセイストでもあった。
著者は「彼にとって造形活動だけでなく、書くこともまた豊饒な手が生み出す手しごとだった」と述べている。

戦争画を描いたことなどで日本の画壇で長いあいだ評価されなかったと知った。自画像や静物、風景画などは意外に素朴なタッチで描かれているのもある。
自分の美意識に適ったうつくしいものや外国の品々、民芸品を収集していたのは、小林秀雄や芹沢けい介と同じだ。おかっぱ頭で有名な Foujitaが畳に座って書きものをしている写真もあって、お洒落で時には奇異なかっこうもしたパリジャン時代とはまた違っていた。 エネルギッシュで自由、心から生活と美しきものを愛した人だった。 (2010.7月)

 小箱




・ 小林秀雄の随筆を読んだ。反語と逆説とちょっぴりの諧謔。独特の小林節かなと思った。悪く言ってるように見せながら、褒めるとこはさらりとほめ、淡白なようで強いこだわりを感じる所がたくさん。「大審問官」の批評を読んだ。「中原中也との思い出」もよかった。

・ 瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読みかけたけど、話が濃すぎてだめ…。青鞜社に関わった女性たちを書いたもので、語り方や物語は好きなのに、何となく読み進められない。もっとあっさりしてほしい・・。


・ また同じころ、橋本治の評論を何冊か読む。この人もほんとに独特の見方で、誰にも迎合しない感じだ。(ちょっと説明がくどいけど…) まえに読んだ小説はとても面白かった。

 < ある秩序から別のそれへ移行しようと思った人間は、適合を望む新しい秩序に合わせて身体秩序の改変を図る。
・・・自分のいまいる秩序からの脱出願望、発想が訪れれば、”他人”という形をした 自分の必然をインスパイアする者は訪れる。>

・ 明治から昭和にかけて活躍した文人の随筆なんかも少しだけ。 
あまりじっくり読んだことがなかったので面白かった。河上徹太郎大内兵衛小泉信三矢内原忠雄。  福沢諭吉の門下生たち。

・ 河合隼雄も。

<耐えるだけが精神力ではない。新しい手段を考え出す、方法を変える、考え方を豊かにする、個性的な打開策を打ち出す、これらも精神力。>

<一番生じやすいのは180度の変化である。ゆえにまた元に戻ることもある>

++++



* 伊藤若冲の画集を買った。わくわくしながら見たのだけど、前は魅力的に思えたたくさんの画が、どうしてだか迫ってこない。
毒々しいように思えて、なんだか引いてしまう。みなぎるエネルギーを内面にたたえ、生命を謳歌しているのに。
彼の画は、対象と同一になってるように存在感が出てる。描いてた瞬間の彼はすごく爽快だったはずで、絵筆三昧、法悦状態だったんじゃないか。
後世に残るような絵を描きたいと野望をもっていた。
肖像画の残っていない彼が、ニワトリの目の奥にいるようにみえた。
鳥は画の中で永遠に生きている。




149.「漁師とドラウグ」 ヨナス・リー 国書刊行会 1996年

同じく北欧の小説ってどんなのだろうと探して偶然みつけた。今度はノルウェーの民話に題材を取ったという幻想短編集。
荒れ狂う冬の海が舞台の表題作は、全体に暗く、最後まで救いがない。アザラシに銛を打ち込んで殺してしまった漁師の船が、アザラシ頭の海獣(ドラウグ)にとりつかれ、乗っていた妻と六人の息子が奪われてゆく。
読んでいたのは夏の昼間なのに、北海の夜と嵐の中に放り出されたように、気持も沈みかける・・こういう物語を読むのは楽しくないかなと思いつつも、異世界のような場所へ次第に引き込まれてゆく。大自然の厳しさと言ってしまえばそれまでだけれど、そこにあるのは、海と闘わざるをえない運命だ。

漁師という生まれ。また目の前にある海から逃れられない人びと。得体のしれない巨大なものに襲われようが、過酷な結末が待っていると予想できようが、自らの知恵とエネルギーと意志で闘おうとする。逃げない。というかまるで自らを試すように立ち向かっている。彼らはバイキングの末裔なのだなぁ。。
ヨブ記や『白鯨』も思い出した。(読んだことはないけど)  ドラウグがどうしてもトラフグにみえてしまう・・。   (2010.7月)





148.「フィンランド・森の精霊と旅をする - Tree People (トゥリー・ピープル) 」 リトヴァ・コヴァライネン, サンニ・セッポ   2009年 プロダクション・エイシア

「北欧」というキーワードで探した本。無限にある本の中から宝探しをするように、たまには耳にしたこともない本を自分で見つけたくなった。
フィンランドの森と神話と人々が、映画のように写真でつづられていた。(ちょっとメルヘン風。)タルコフスキーを意識しているのかと思うのもあった。

カウリスマキ映画で見たことのあるヘルシンキの街並みとは異なる風景だった。森閑とした神秘的な光景が、ただ延々と広がっていた。
国の先祖はクマだったという。死んだ熊を天に返す松の木があったり、アイヌを思わせるような習俗や伝説もある。

村の家いえのそばには、守り木 と呼ばれる一本の高い木が立っている。モノクロの写真に郷愁をさそわれる。
森の松の幹を削り、亡くなった人の名と生きた年つきを彫っておく”カルシッコ”という木碑もあるそうだ。
自分のお守りの木 というのもあって、時にはそばに行ってもの思いにふける。木に相談でもするように。 夫婦でもその木のことは知らない。

寒帯の森は屋久島など熱帯森とようすが違っているのかもしれない。どちらにも精霊が飛び交っていそうだ。「千と千尋の神隠し」にもいたっけ。
フィンランドの森にはたくさんの精霊の名前が存在する。人と木は、はるかいにしえより森の中でつながっている。

森の奥深く足を踏み入れたときの吸い込まれそうな静けさと、いくばくかの怖さと。
射し込む陽の光は強くよわく感じられ、たった独りでこの世にいるかのような心寂しさ、包まれているような安らぎを思い出させてくれる。

森は心・・・心は森・・・  (2010.7月)






147.『なぜ私だけが苦しむのかー現代のヨブ記』 H・S・クシュナー 2008年  岩波現代文庫

1981年の初刊で、『善良な人に悪いことが起こるとき』という原題。著者はユダヤ教のラビで、ネットでよいらしいと紹介されていて、いつか読むんだろうなという気がした本。紹介している人の文に興味をそそられ、(それが未知の人でも)読んでみることが多い。

著者の息子さんは、早老症という難病にかかり十代はじめに亡くなった。 世のさまざまな他の人の不幸は、しみじみわかるのもあれば全然わからないのもある。 この前ある女性の伝記小説を読んでいて、産んだばかりのわが子をつぎの朝養子にだすという場面で思いもよらず嗚咽してしまった。 それは自分が子どもを生んだときの感情のきおくに重なるとともに、なにかをひき裂かれたと感じた体験と、どこかでつながったからだろうか。。(うまく書けないけれど。)

最大の不幸や苦しみに見まわれた人が初めに問うこと、一番のわからないことは、「なぜわたしがこのように苦しまねばならないのか?」という問いだ。

ふつういろんな慰めや、たくさんの宗教的な意味づけがなされる。その一つひとつを、自分で納得のいくまで著者は考える。ラビという仕事上の戒律や聖書の説喩なんかも、とことん考え直す。その結果 今まで考えていたのとは別の答えにたどりつく。それはユダヤ教に背くようなものだった。

わたしもほんとはこの中の説明の一つ・・どんな出来事も、(いるかいないか今のところはわからない)神のはからいなのだろう、とか、人間にはわからないような意味があるのだとどこかでなんとなく思っていた。 でも著者はそうじゃないと言う。答えに至るまでの考えかたが、そうか、そうかもしれないと深く共感できた。そういった心境にたどりつくまでの道が、どれほど長く孤独で 苦悩に満ちたものだったのか、、、それこそ私はわかってないかもしれないけれども。
祈りの意味、それから宗教のとらえ直し。伝統的な宗教の考え方とは違った、あたらしい信仰というものが、あるのかもしれないと思った。 ★おすすめ本です (2010年 6月)

      * パール・バック『母よ嘆くなかれ』を思い出しました。




146. 『木綿伝承 続 先人に学ぶ手わざと心 』 佐貫 尹著

ふだんたくさんの木綿(もめん)を手にしているので、ルーツを知りたくなり借りてみました。日本での木綿の歴史をはじめ、木綿にまつわる専門書です。

絹は弥生時代に製法が伝わっていたのに対し、木綿が作られ始めたのはかなり遅いんだとか。799年に天竺(インド)人がわたの種を積んで三河湾に漂着したのが最古。でもその種はうまく根付かなくて、しばらく時代があいて15世紀後半に国内で生産開始となったそうだ。(高級な絹より丈夫な木綿のほうが古そうだけど。)

綿がやってきた三河・美濃・尾張には織物の歴史があり、おおくの縞(しま)木綿が発祥した。

いちばん印象にのこった事・・・
今の木綿は消費者が入手した時にもっともよい性質が出るよう作られているが、着用とともに性能が下降する。
昔のもめんは最初は違和感があるが、工夫しつつ着心地が良くなるよう着る人が努力すると、着心地が最高の時にその織物にたいする愛着も最高となり、手離すことは考えられなくなる。・・・という違いでした。
現代の服は見た目に綺麗で安いから、手軽なぶん使い捨てのように買えて愛着もあまりわかない。昔の木綿はジーンズに似てごわごわしてるけど、使い込むほどやわらかく、なじんでくる感じ。しっかりした糸で織りも緻密になされているみたいで、針が通りにくい。

織りの配色で季節を表現するという項目も勉強になりました。
「三色で春をあらわせ」といわれたら? 若草、白、桃、黄などを組み合わせ形にし、なんとな~く春というイメージを創る。ぼかしを入れてもいいし、だんだん模様でもいいし、抽象的に描いてもいいし、どこかの景色に作ってもいい。

たくさんの素材・デザイン・つくり方で、なにもない状態からなにかを生みだす――織物に限らず、人間のやることの不思議をおもう。(2010.4月)




145.『聖なる幻獣』  集英社文庫

偶然目にした表紙が見たこともない動物の絵だったので、手にとって見ました。幻獣というとゲームのキャラクター?とか生活にあまり縁がなさそうだけど、一角獣とか絶滅動物とか、存在しないものには前から妙に惹かれています。 
読み始めると宗教に関係があって今の生活の中にも住みついているとわかりました。

人間はもともと聖なるものを必要としてきた。宗教、占い、集団的行為、救済、清め・・・主に神話や宗教生活の中に神とともに聖獣が住む、というあり方はごく自然なのかもしれない。
この本は昔のアジア、中近東、ヨーロッパにみられためずらしい聖獣たちのさまざまな種類、生態、また日本への伝播などを紹介してあった。(幻獣の系統だった説明などはないので、研究などされていないのだろうか。)

初めて見にしたのは、インドに発生したといわれる「キールティムカ」や「マカラ」という幻獣。それぞれライオンや魚をアレンジしており、奇妙でグロテスクな顔と体、強くて怖いイメージだ。

どちらも中国から日本へと渡ってきたもので、よくお寺の門や屋根飾りに見られるあの獅子のような動物の原型なのだとか。しゃちほこもマカラが原型なんだそう。 先日ごくふつうのお寺に行った時に、屋根の瓦や彫り物や狛犬をしげしげと見たら、ほんとにすました顔であちらこちらにキーラティムカに似た動物が鎮座していた。そしてもしやと思い家の仏壇を見たら、線香立てにちいさなキールティムカが彫られてるじゃないですか!
  いまの私は、聖なる動物ではなく、もとの意味の薄れた面白いデザインとして見ているのだけれども、見過ごしていたものにも意味があることがわかって面白い。

キールティムカは「ほまれの高い顔」という意味で、畏怖や恐怖を抱かせる存在だったそうだ。でも聖獣たちはそれ自体で存在することはなく、主役の神たちの聖性を強めるために作られたのだそうだ。

他にもキリンのように吉兆の意味もあれば、キマイラやグリフィンのように空を飛びたいという人の願望を表すもの、原初の世界を取り囲むという蛇、竜、ドラゴン。見た相手を石に変えるメドゥーサがいた。 ガルダ鳥やペガサスはヴェーダの言葉や歌を神へ届けるやくめだったそうで、<詩的発想と翼>との深い関係なども知った。あぁどこかで見たことあるある…と思いだす動物が多い。

  * ヴェーダ聖典によると、「言葉は私たちに聞こえるものとしては現れていないが、言葉そのものは永遠に存在している」とされていたそう。(…本文とは関係ないこういうところに感心してしまう。)
井上ひさしの『宮沢賢治に聞く』を読んだとき、賢治がもうれつに童話を作ったシーンがでてきて印象に残っている。小説の神さまが憑依したみたいに一晩に何百枚も書いたんだとか。
作家って、なにも無いところから言葉を生み出すようだけれど、それは既に書かれるべきものが存在していて、作家がそれを上手に自分だけの方法と言葉で或るかたちにするだけ――そんな風景も浮かびます。 あとは聖獣の意味としては、

 神 = 理性的な考え方 ーアポロン的/求心的態度
 聖獣= 理性を破る衝動 ーディオニュソス的/遠心的態度

という比較も面白かった。

著者は聖獣を生むような詩的発想は ”一般的日常的なイメージから抜け出そうとする態度、願望である”と述べていた。
それにしても。たった数十年のヒトの命に比べ、聖獣たちは何世紀もの時を経て、今もひっそりと息づいている 

本の窓 21

+++ 本 21 +++

       +  +

144.『高校生のための経済学入門』  小塩隆士 ちくま新書 2003年

苦手分野第二弾!の経済。現代女性は最低限の経済知識を知っておいた方がいいですよね。お金は私も好きですし。でも働いて得るのは大変なのに、使う時は光速で消えるのが実感・・; 経済の話題に事欠かない毎日で、みんなの関心が高く、絶えず動いている分野。ある時はぎらぎらと欲望だらけの面を感じるいっぽうで、なんでもこれでカタがつくというさっぱりした(?)面を持つお金です。 何に役立つのかわからないけれど世の中のお金のしくみについて読んでみました。

経済学とは、「何らかの制約の下で最適な行動を探す」という点は、へぇ-と思った。とても合理的な面があるんですね。どんなことにも制約はつきものだから、不自由や制限をかいくぐり、いろいろ工夫するところに知恵や進歩があるのかもしれない。この頃はやみくもな競争経済の問題点も出てきて、稼ぎ方も生き方も見直そうという人が現れつつあるらしい。 中国の急成長の裏側など、まだ知らないことがいっぱいです。 

本では聞きなれない専門用語や数字が出て、高校生向けにやさしく説明してあるのに、よくわからなかったです。価格と需要の奇妙な関係、供給の大きさの決まり方、物価、生産費用、市場メカニズム、費用逓減(ていげん)、不確実性、流動性 etc....

なんとなくわかったのは、 <経済問題について「これ一つでバッチリ解決」という理論や政策は無いのだということ。 お金の回り方にしても、一応型はあるようだけれど、予想が難しかったり予想通りにいかなかったり、理論が当てはまらない。でも国の重要課題なので政府がしっかり舵取りしなきゃならない。 経済も人が動かしているから民意が反映するし、時代や他国からの影響を免れない。>  といったことです。たくさんの深刻な経済問題があるのに、正解がないとは。。本当に困っている人達、声があげられない人びとを、どうにか優先的に救済してあげられればいいのに、と思います。

ところで以前「自分のためではないお金の使い方、直接の見返りを求めない社会的な投資が徐々に増えている」とかいう新聞記事を読んだことがあります。内村鑑三の本にもすでに書かれていたような。働いて得たお金や財産を、これぞと見込んだ人や事業に投資し、自分に利益が戻るよりも社会に還元する・・といった考え方のようです。人は時にそういった合理的にみえない考え方や行動をする場合があり、経済学で予想できないのはこれかな?と思ったりしました。(素人考えなので違ってるかも。)

やっぱり経済に興味が薄いせいか、全体に消化不足のまま終わりました(笑)。 (2010年 1月)




< P・クローデルが能の演技を「動く彫刻」と形容したのは、あらゆる視覚から演技の姿態が完全でなければならないという意味において、きわめて正しい。
 世阿弥は『花鏡』に「離見の見」を説く。演者の姿は観客の目、すなわち「離見」によってしかとらえられない。演者自身の意識する自己の姿は「我見」である。 演者が観客と同心になり、あらゆる位置からのわが姿を客観的に把握するためには、「離見の見」が必要だというのだ。この心の目によって、演者は目前左右だけでなく、後ろからの視野をうる。観客のあらゆる目を自分の目とし、自分の中に冷えたもう一つの目を持ち続けようとする、このすぐれた発想は、方形舞台の構造と無関係に考えることはできない。
もし実生活においてもこの「離見の見」を持ちえたら――。世阿弥の芸術論は常に人生論と深くかかわっている。>    (増田正造)




143.「むかし道具の考現学」 小林泰彦  風媒社 1996年

追記> 文中に河口 慧海というチベットを修行しながら旅したお坊さんの話が出てきます。彼がどのような旅をしたのか、著者が後を辿りながら旅装や道具を紹介していたのも面白かったです。「そういちの平庵」さんの記事にも河口慧海が出ていたのでリンク。

      ++

教えてもらった本です。民芸に興味があるので、いつの時代のどこのものでも形や色や使いみちを飽かず眺めます。とくに最近は裁縫、織物の道具に。

考現学は、「社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語」なのだそう。考古学よりちょっと身近に感じられる。昭和2年今和次郎が提唱したというのも初めて知った。やっぱり国連より肩がこらないです(笑)。

取り上げている道具は、「身につけるもの、運ぶ道具、狩猟の道具、旅の道具、家」など。主に外回り/アウトドア用品を紹介していた。
著者手書きのイラストが全ページにあり、とても詳しくいい味を出していて、道具の細かいニュアンスを伝えているのではないかと思った。たとえばミノや笠の一本いっぽんの藁の手触りのようなものが、正確ではない筆致によってかえってリアルさに近づいている・・といったらいいだろうか。
道具はなにも感情を持たない無機質だからこそいいと思う。自我の無いモノにふと憧れる。

珍しいものがたくさんあった。アイヌの民具は厳しい自然の中の暮らしを思わせる。「チカミコテ」というミトンの形のは、ついこの前作りたいと思ったアームウォーマーそっくり。 鮭の皮の靴とか、へぇーと思う。雪国のワラグツはほんとうにバラエティ豊か。見ていて感じるのは、その土地ごとの自然素材をうまく利用した、実に無駄のないデザインや作り方だということ。しかも時代を経るにつれ少しづつ変化&進化しているのがわかる。

昔は、鹿の皮を聖(ひじり)がよく着たそうで、鹿が神聖な動物だったことを知った。呪性があるとされ、角を杖の頭につけたりもしたとか。奈良や花札の鹿は、ただの鹿じゃなかったのだ。鹿男が主人公のTVドラマだってあったし。

作業衣やショイコでは、日本、ネパール、バングラ、ヨーロッパ、北米の比較もあって面白い。ショイコの構造を詳しく説明してあり、今でいうとビジネスバッグの中をどう区切り使いやすく工夫しているかみたいな。どの国のも同じ構造で、材料が違うのになるほどと思う。背当て部分につける「バンドリ」は色糸を使っているそうで、これはカラーで見たかった。全ページモノクロなのです。

雲水の旅支度とか、弁当箱のコレクション、火の道具なんかも珍しかった。今の神社のかがり火はあかりの原型だそう。アイヌの「カラ」という言葉が火を作る、もやすという意味だとか、火の神を中心に生活していたとか、知らない土地やむかしの暮らしようをすごく身近なものとして感じられる。今は使われなくなってしまった道具達は、世界遺産にもひけをとらない宝物だと思う。そういった物への筆者の愛情を感じた。

ひとつ、「ネコダ」というかわいらしい名前のものがあった。猫を入れるふくろ・・・・ではぜんぜんなくて、山仕事の背負い袋。ワラで編み、ひもを複雑に通して、何でもフレキシブルに入れられるナップザックだ。見た目がファッショナブルで(そうなん?)使ってみたいと思った。

今でも山ぶどうのつるで編んだバッグや小物は、手作り愛好者には人気なのです。 (2010年 1月)

―ネコダはこれだ
 




* 今年もどうぞよろしくお願いいたします。~竜馬もいいけど松陰もね。 
年末から流し読みしてた本より―


142.『国連新時代 オリーブと牙』 外岡秀俊 ちくま新書  1994年

ハマーショルドを読んだのがきっかけで、国連のことを少し知りたくなりました。でも世界情勢や外交問題は大の苦手。 基礎的な知識もないので新書版でも難しかったです。こくれんってニュースでは毎日耳にするけど、社会科で覚えたユニセフとかWFCといった略名称しか浮かんでこない。。(もう忘れたし。)この本が書かれた当時はガリ事務総長の時代で、冷戦終結まもないころの国連内部事情や、PKO活動の説明が主な内容でした。ちなみに歴代事務総長は、

1代目 トリグブ・リー  ノルウェー/ 2 ダグ・ハマーショルド スウェーデン / 3 ウ・タント  ビルマ  /4 クルト・ヴァルトハイム  オーストリア/ 5 ペレス・デ・クエヤル ペルー / 6 ブトロス・ガリ  エジプト /7 コフィー・アナン ガーナ  /8 潘基文 (2007年~現職) 韓国

となっており、常任理事国(P5という)以外の小国出身者がなる慣例がある。誰を推薦したり選ぶかなどは各国の思惑が働くとか。事務総長は国連に枠をはめられた活動でありながらも、資質や考え方により国連を改革したり、独自の紛争関係の調停も行ってきたそうです。

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国際連合は絶大な権力を持っているわけではないが、現在ほとんどの主権国家は加盟しており(192カ国 2006年)、地球の問題のだいたいは、まずここで話し合う仕組みになっていますね。
一番難しく思えたのは、「国連」を世界の国々がどう見ているか(重視しているのかどうか)、軍事問題や地域紛争についてP5や他の国がどういう考えを持ち、実際何をやっているのか・・・といったこと。(私ってなんも知らんけんおえんわ~。)日本がいま一応の平和にあることや、ほかの国を真近に切実に見てないからのんびりと言えるのでしょうか。

何十もある機関や組織には4700人(1992年)が働いており、世界全体では職員37,000人にもなるとか。大所帯。いろんな印刷文書の量がものすごいらしい。今はPCやネットで内部も変わったのかな。国連職員の給与の話なんかもありました。(国家公務員としては最高くらいの額だそう..っておいくら?)

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P5(米、英、仏、ロシア、中国)の拒否権は今でも強くて、特権としてあるそう。他の国からしたら、それってどうなん?とかなり素朴に不平等感残ります。
なお北欧諸国はずっと連携協力して国連内での活動体制をとってきたらしく、それだけ特別な地位を占めているんだそうです。小国でも力になれる例として紹介してあったこのページが面白かったです。

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平和と武力(オリーブと牙)の二面性を持つとか、国際情勢への関わり方なども詳しく書かれてました。思っていたよりもPKO(平和維持)活動が多いです。冷戦後は国連活動の出発点になったのがPKOだそうで、具体的にいまどこで何をしているのか、ほとんど知りません;(wikiでは現在17地域) 国連憲章にははっきり規定がなく、大まかに言うと <精神としては平和的手段を原則とするが、やむをえない場合は武力を派遣。でも武力行使のイニシアティブは取らず受け身が原則>だそうです。けれども現実の活動では武力行使になるとか、課題が多くて難しいらしい。

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少し前に日本が常任理事国入りを希望していたのを覚えていますが、下火になった?というか、なぜ立ち消えになってしまったのかわからず、調べてみました。どうも自国だけの貢献(国連予算は二番目に多く出している)や活動だけではだめで、近隣諸国との関係も重要、というよりそれがネックになってるらしいのでした。

国連という機関は「あらゆる国が参加し意見を言え、それが尊重される」という合意が全参加国に前提としてありますね。いつどんな理由でこの形が壊れたり、いちぬーけたと言う国が現れだすかわからないけれど、いま一応こういうものが存在してるってことは、進歩しているんじゃないかなぁ。。 と知れば知るほど、なんだか自信のなさげなありきたりなことしか書けない私なのでした。
一つの問題や事柄はほかのことへと繋がっている。アジアや世界のことを知らなくては。 (2010.1月)




+ ひとひらの言葉 +

<・・・ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケーの技術をもちいながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて 植えつけるときのことだ。
その言葉というのは、自分自身のみならず植えつけた人をも助けるだけの力をもった言葉であり、また実を結ばぬままに枯れてしまうことなく一つの種子を含んでいて、その種子からはまた新たなる言葉が新たなる心の中に生まれ、つねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。>  『パイドロス
 

本の窓 20

+++ 本 20 +++


 +  ひとひらの言葉  +

「・・・結局のところ人間は、「性格に基づいて」行動するというのではまったくないからです。その人の人格が、何ごとに対しても、自分の性格に対しても、まず態度決定するのであります。」  

「 精神的なものは、その本質からして状況に埋没することは決してありません。 埋没するどころか、状況から「離れて立つ」ことができるのです。状況から距離を保つ、距離をおく、状況に対して態度を取る ことができるのです。

この距離のゆえに、精神的なものは自由を有するのです。人間はそのつど、衝動を肯定したり否定したりすることができるのです。(…)人間は、どんなときでも「状況を超越する」ことができます。この超越はもちろん、その状況を「肯定」せざるをえない場合には、全身全霊を傾けて状況に関わっていくためであり、場合によってはまさにその状況に跳びこんでいくためでもあります。」 (V・E・フランクル

   +   +

「バリ・ヒンドゥ文化では、劇や舞踊や音楽の豊かさは、物語の大筋や楽器の種類によって成り立っているのではない。むしろ変化に乏しい。その代わりに豊かさは、パフォーマンスつまり上演・演技・身体的行為の即興性によって成り立っている。 熟知されたものの自在な組み合わせによって無限に新しいものをつくり出すのである。」

「われわれ一人ひとりの経験が真にその名に値するものになるのは、われわれがなにかの出来事に出会って <能動的に> <身体をそなえた主体として> <他者からの働きかけを受けとめながら> ふるまうことだ。」

「南型の知はさまざまな地域に土着的なものとしてどこにも在りながら、その深層において繋がっている。(…)それ以上に具体的なイメージを与えてくれたのは、ヨーロッパにおける南型の知の典型ともいうべきイタリア南部のナポリの知的伝統である。…ヴィーコピュタゴラストマス・アクィナス、ブルーノ、カンパネッラ、ポルタ、クローチェ…」 (中村雄二郎




141.『道しるべ』  ダグ・ハマーショルド   みすず書房 1967年

スェーデンに生まれ、1950年代に国連事務総長を務めたハマーショルド(1905~1961)の著作。著書というより日々の断想を集めたノート、20歳ころから書き始められた日記でもある。多くの困難な仕事をおこない、厚い信頼を集めていた人だと初めて知った。内省的で、ときに神秘主義的な文もあるこの本をゆっくりたどると、国連事務総長がこんなことを考えていたの…?という深い驚きを覚える。外交の職務に献身しながらも、あまり社交の場には向かない気質の人だったらしい。

+  +

一歩進むごとに足元を見おろしたりはするな。遠く見はるかす者だけが道をみいだすであろう。

<生>は、おまえの力にそぐわぬことを要求したりはしない。おまえの勲功は、ただ、逃亡しなかったというだけである。

おまえが試みねばならぬこと。―おまえ自身であること。そうして獲得しうるのはおまえの心のきよらかさに応じて、人生の偉大さがおまえのうちに映しだされること。


優れて内省的でありながら、外向的で行動力も持ち合わせている。二つが両立しており、車の両輪のように相互補完されて、彼という人をあらしめていたのかなと感じる。


   +   +

人生とはそんなにも情ないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの目のほうが濁っているのではないか。おまえこそ、成長しなければならない。

われわれの愛は、その対象を犠牲にする勇気がわれわれになければ、貧相なものとなる。われわれの生きようとする意志は、生が自分のものかひとのものかを意に介せずに生きていこうと思うようになって、はじめて確固たるものとなる。


複雑で日々緊張を強いられる仕事についての、秘められた苦悩、憔悴、使命感のようなメモもあったり、自分を鼓舞し孤独のうちに考えを重ねたり、過去現在未来、来世を詩につづったり、普通の人の日記と同じ部分と、職務が重大であるのを自覚しながら、どうすることが最善なのか延々と考えている部分がある。ところどころ世界史に残るできごとに関わった自らの判断をふりかえって、ゆきつもどりつ心を旅するような表現とか、哲学ふうの考察がみられた。(当時の時事が訳者の「注」として付けられています。)

なにかこう、ふつうと逆方向の考えかたなので、ヴェイユと同じく意味の重みを感じながらゆっくり読むことを求められる感じ。


  +   +

もし彼が生きつづけたとしたら出会ったはずの幸福を得られずにしまうことによって、<生>はどのようなものを失うのであろうか。彼が死んで苦痛から逃れたことによって、<生>はどのようなものを得たのであろうか。
―なんとばかげたことを語っているのであろうか!
<生>の内容を測定する尺度となるのは生きている人間である。そして、生きている人間の命数は、幸福だの苦痛だのとは別の標準によって計算せられるのである。

ハマーショルドも誰かの死を思いながらこれを書いたのだろうか。

言葉を探しているときに本を読めば、ふとそれが見つかることがある。いま自分を落ち着かせてくれるもの自由にしてくれるものは、本や人のことばであったり手で創る行為であったりする。それらが身近にあることに感謝。。

彼がこの職に就いたのは、大げさだけど人類の知恵のはからいといえるのかとも思える。たとえへこみそうな出来事が山のように起きたって、現代のマルクス・アウレリウスの気高さをおもえば、希望をもちつづけられる。・・・気がします。
みすず書房っていい本たくさん出しますね。お薦めです。





留魂録』/『ひとすじの蛍火 吉田松陰 人とことば』 関厚夫 文春新書  

  (後半)

 前半から間があいてしまいました。平行して『ひとすじの蛍火』という評伝も読んでおり、たまたま手にしてとても良い本でした。松陰の言葉にある「人生の四時(しいじ)」にちなんで「春夏秋冬、春再び」と章を分け、松陰を心より敬愛し、その人となりや生きた痕跡をあますところなく伝えている入魂の書です。歴史の読み物としても面白かったですし、私が本を出版していいと言われたらばこんな本を書きたい。と思えるような本でした(書けないでしょうけど)。 

・ 松陰の思想や考え方は突然現れたものではなく、百年以上前から多くの人びとの考えや社会の矛盾などが集積されてできたものーとわかる。彼より100年前の山形大弐は、幕藩体制を否定するような行動と思想を持っていた。
(それにしても、会ったこともないのに松陰の言葉をくりかえし読み思念を集中すると、彼が何を考えて暮らしていたのかしだいにわかってくるようで、時空を超えて歴史の人物に近づけるのが不思議。)

・ 彼は二回監獄に入ったが、獄舎でも囚人や官吏に講義をおこない、その人柄が慕われて皆を感化し好意を得るようになった。 獄内では他の囚人との会話は禁止されていたが、互いの状況や消息を知っていたり、文通も行われていた。

・ 獄中、二日だけだが抗議のために断食をしている。

・ 将来は京都で、身分に関係なく入れる開かれた大学校を作るという計画を立てていた。「尊攘堂」というそのまんまの名前で。

・「すぐれた人物とは、どこにいる誰とでも交際したらよい」もモットーで、交際範囲が広かった。一面識もない人と文通して、これぞと思った人は高く評価した。(これは意外な一面だった)

・ 吉田松陰の孤独、狂気。それを何となしに想像し感じはするけれど、いったいあの時代がどのようなもので、彼のこころの内に何があったのか、なかなか実感できないところもある。イメージとしては男気のある、まさに侍という感じ。男の人が憧れるのも無理はない。ストイック過ぎたのが珠に瑕とも言えるけれど、自身はストイックだなんてこれっぽっちも思っていなかっただろう。遊興の場に誘われても、そこを異世界としか思わず、楽しめなかったようだ。

・ 藩に無断で旅行したり黒船で密航しようとして、謹慎になったり投獄させられたとは。 歴史で習った気もするけれど、松陰で実感できた。武士の藩への忠誠とか所属意識、藩側の統制などは、時代や地域によって多少違うのだろうが、想像するよりずっと厳しいものだったらしい。彼もそうした体制に不自由を感じ始めていて、身分の差のない世界を構想していたらしい。幕末ころの蘭学など、当時のヨーロッパ思想はひたひたと国内に浸透していたんだなと感じる。

・松陰はペリーにアメリカ行きを訴えたが通訳にだめと言われ、決死の密航は果たせなかったが、のちにペリーが松陰の意図と志を知り、「稀有な人物であった」と言わしめた。

・女性とのつきあいが一切なかったので、テレビの主役としてはいまいち華やかさに欠ける吉田の寅さん。かたや竜馬は来年また大河ドラマになるそうだし、なんてったってドラマ向きキャラなのだ。松陰は獄中にいた時にある未亡人と歌のやり取りがあったらしく、それがわずかに残されているのみ。

 一筋に風の中行く蛍かな ほのかに薫る池のはすの葉   松陰

・松陰と弟子達の関係は、ソクラテスプラトンを思い浮かべる。恩師の死は弟子にとって慙愧の念に耐えないものだったろうが、彼らは自分なりの方法や考えで、師の教えと精神、命を受け継いでいったのだなあ…と感慨深い。

・ 明治維新を進め、関わった人の中には無念の死を遂げている者も多い。歴史の裏に葬られ、時代の変化や改革の礎(いしずえ)になった無名の人びとを思う。

・僧侶”黙りん”と激論を交わし、しだいに尊王攘夷思想が過激になっていった。あまり過激すぎて弟子たちも「先生そんな無理な…」と一時は離れ、孤独な時期もあったらしい。

・今年は松陰の死後150年、来年は生誕180年にあたります。(※な、なんと2010年には映画が公開されるそう。)

・ 命日の10月27日に合わせて「東京名物松陰忌マラソン」というのもあったそう。

年代順には関係なくメモしました。 まだ追記する予定です。 

<追記> こちらのサイトに詳しい紹介が載っています。吉田松陰.com

詩や和歌を吟じるような繊細な感情を持っていた面もある。獄中での心の平静と同時に、両親をおもい、一時的に動揺したらしい事実も書かれていた。

     +   +   +


松陰を読みながら、先日自ら命を閉じた知人を思っていた。はっきり理由のない生き辛さ苦しさに長い間さいなまれていた人だった。亡くなる前に少し文のやり取りをしていたこともあり、事実をどう受け止めていいかわからなかった。死は予想できないものではなかったけれど、予想と現実になることとは圧倒されるような違いだった。
彼と話していた時、宗教や哲学やわたし自身が、無力に感じた。 今はそうしたものが無力だとは思わないし、言葉の力を信じているけれども。。

死者は生きている人を死界へ引き寄せる力を持つのだろうか。一時は何もかもがどうでもいいような虚しさも感じた。彼の死はもしかしたら生きたい、という願いの逆転だったのだろうか。関わることのできた時間は短かったけれど、やり取りは真剣であったし、彼にとってもわたしにとっても、きっとなにか意味のあることだったと思いたい。

仏教に回向(えこう)という言葉がある。「自分が汗を流し努力してつくった事物を人の役に立つようにふりむける」という意味のほかに、「死者が成仏するために善行をさし向ける」意味もあるときく。 難解な書物を少しづつひもとくように、知人を思い出しなんども問いかけていくことが、供養のひとつになるのだろうか…今も自分にはなにもわからないけれど、そんな風なことを思っている。




+ ひとひらの言葉 +

「日本文化は、たとえば光琳や日本庭園、漆芸や陶芸、数奇屋普請でみるように、人間をわしづかみに表現するよりも、高雅な装飾性を得意としているように見うけられる。
立体化された凄さよりも、平面的ながら、やすらぎをあたえる作用においてまさっている。
そういう”心地よさ”を創出することが日本人の特技のようで、いま工場製品の工芸品(自動車など)のよさ、デザインになってあらわれているのではないか。」 (司馬遼太郎

灯台は航海の目じるしだが、近づきすぎると難破することがある。」 (河合隼雄


「理解することは疑いがあり、闘いがおこる。そうした摩擦のない関係のもろさを人は忘れがちで気づかない。幸福とはその苦しみに裏打ちされた傷だらけの愛を、自分の孤独の中にしっかり握りしめることではないだろうか。」

「空気のように愛そのものの形を忘れさせてくれて、空気のような軽さと透明さでつつんでくれることこそ、互いにほしい愛の相ではないだろうか。」  (瀬戸内寂聴


  * * 

「エネルギーは与えるだけでなく同時に相手に頂くもの。人からもらうエネルギーの強さ。
人を惹きつけるものはただひとつ、それはいきいきしていること。」

「もし人が始めることさえ忘れていなければ、いつまでも老いることはない」という真理にブーバーは触れたのです。今までとは違う、新しいものを創造するために始める、という意味をこめて「創める」とわたしはよんでいます。

「徹夜していいものが書けますと、気分がハイになるんですよ。 五十九歳の時乗り合わせた飛行機がハイジャックされ、無事に解放され帰宅したら家中が花でいっぱいになっていました。私はつくづくこの風景はお葬式といってもおかしくはない、だったら自分は一度死んでるんじゃないか、こうして生きているのは、命を新しく与えられたからなんだと思いました。そこで花を贈って下さった方にお礼の気持ちをこめて、「いつの日か、いずこの場所かで、どなたかにこの受けました大きな恵みの一部でもお返しできればと願っております」という礼状を出しました。 これからが与えられた私の生涯だと思いました。」 (日野原重明


    ***

  いい水は、落下の途中において分子としてのおのれを翻然と悟る。
  いい花は、たとえ群生の状態にあっても個としての美を保っている。


      陶酔はいつも短い。 儚いからこその陶酔。
      陶酔は生命のあかし。 陶酔は必須の官能。


  個に徹する姿勢の中にこそ真の自由が在る。
  この世における存在の基盤を与えてくれるのは、
  それ以外にあり得ない。絶対に。


何とも芸術的な色合いで咲き、何とも劇的な散り方をする。
なかには、そういうバラもある。
花もまた見事であったが、種子のほうがもっと見事。
なかには、そういう人間もいる。


    人は花に咲けと言う。

    花も人に咲けと言う。    (丸山健二


   
秋晴れの境内 /年季のはいった仏さま


言葉を求めているせいか、本の中から日ごとに心に染みる言葉を受け取る。
友人からセドナというアリゾナ州の先住民の聖地を教わる。 ふらっと寄った古本屋で、たくさん能の本を見つけた。図書館の自習室で司馬遼太郎を読みふけった。(たまに半日ほど自習室にこもることがある。周りは学生さんばかりで静か。どんな本でもすぐ手にとれる空間で読書に没頭できる時間は、ほんとうに贅沢だ。図書館に泊まりたいとさえよく思う。)
改めてじっくり読んでみた丸山健二の作庭記や写真集。苦労を注ぎ、命がけといえそうな庭との格闘。同時に得られる究極の満足。文学の仕事との共鳴が伝わってくる。丸山氏がもし武士だったら。反骨精神と気概をもち、真の自由を孤独に志向するひと。かなり辛口な作風だけれど。

思い慮ることに深くありますように―




140. 『留魂録』  吉田松陰 講談社学術文庫 2002年

(前半)

吉田松陰(1830~1859)って安政の大獄で死んだ人?くらいしか知らなかったのです。
竜馬、西郷さんと並んで明治維新では著名人。密かなもしくは大だい的な信奉者は男性に多いみたいで、司馬遼太郎は彼と弟子の高杉晋作を主人公に『世に棲む日日』という小説を書いています。
維新前後の歴史を調べてみるととても複雑で、尊王攘夷の思想も単純ではなさそうです。この時代や人物には以前から興味をもっていたのですが、理解するのは大変だと感じました。
ということで生涯や業績について書くのはひかえ、私が初めて知ったこと、意外だった事実をメモしてみました。

   ++++

・ 『留魂録(りゅうこんろく)』は、29歳で処刑される直前に書かれた5000字の小冊子で、門下生にあてた遺書とされている。死を前にして悟りえた死生観や、あとに続く人たちに向けての自らの志の真髄を述べた書である。
一通では没収されるかもしれないと思った彼は用意周到に二部作り、一部は親しくなった囚人に託した。
門下生あては後に消失し(写本は残されている)、囚人が大切に保管していたのが松陰の死後17年たって世に出ることとなった。
肖像画でわりと年配だったのかと思っていたら、わずか29歳だったとは。)

・ 山口県(長州)萩の下級武士出身。生家と養子になった家は農民と変わらない暮らしぶりで困窮していたが、好学の家に育ったこともあって、幼少時より相当な勉強家であった。
十才そこそこで伯父の塾の教授見習となり(小学生の歳なのに?)、藩主に兵学を講義したり。
そのころ全国的に藩の財政は破綻しかけていた。長州藩も貧乏だったらしい。

・ 昔の通例で名前をたくさん持っていた。「大次郎→寅次郎→松陰→二十一回猛士」 と変わった。
(「男はつらいよ」の寅さんの名は松陰にあやかったとか。・・・というのはウソで映画監督から拝借したもの。)


・ 青年時代のあだ名は仙人。

・ 生まれは1830年ドストエフスキーより9つ年下で、ほぼ同時代人だったという衝撃の事実が…! 
見知らぬ間柄だったが、たがいの国の情勢は大まかに知っていた。
二人ともナポレオンは知っており、寅次郎はナポレオンについて憤慨したような批評を書いている。

・ 松下村塾の通塾生は約三十名、在籍者はその10倍三百人くらいだったそう。3分の2は十代と若い! 士分(武士)と下積みの階層が半々。
約半数は明治時代まで生き残ったが、あと半分は維新のさなかで壮絶な死を遂げている。

・ 塾生を「諸友」と呼び、師弟の枠をはずして友人のように接していた。
教え方はいつも丁寧な口調で穏やか、怒ることがなかった。
(松陰自身は「自分は激しい性分であり・・」とも述べている。生まれつき穏やかな性格でありながらも、世の中を見る目は非常に厳しく、妥協しない先進的な考えかたであったことが想像できます。また自らを律して誠実温厚を心がけていたらしいことも文章から窺われました。)


・ 生前まとまった書物は出版されず、折々に書いた激励文や塾用の教書が多い。
書簡は生涯で627通もあった。
(当時の通信事情では普通?それとも手紙魔? 多くが残されているのは、手紙を受け取った人が大事に保存していたためなのかどうか。珍しくないですか。)


・ 死刑になったのは危険思想を咎められたからだが、直接の理由は「幕府も知らなかった老中襲撃計画を自白したため」であった。
捕まったのを機会に自分の考えを誠実に話せば通じる、との信念が裏目に出たと言われている。(これは初めて知りました。)
彼のモットーの一つは 「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」 ―誠(まこと)を尽くして接すれば、心を動かさない人はいない(孟子の言葉)―というものでした。

人の美点はすばらしさの反面、時にはそれにより足をすくわれることもあるのだろうか。 社会に理解されえなかった偉人達の悲劇、殉教の歴史をおもう。
もちろん松陰は生死を度外視して信念を訴えたのであり、潔い、彼自身を示した行為だったと思う。 彼の言葉と魂は、維新の志士たちの奥深くにはいりこみ、のちのちの世までも殖え続けていったのだ。
(松陰についてずっと考えていたせいか、夜中に目がさめ獄中の心情を思ったら眠れなくなりました…^^)


  身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置(とどめおか)まし大和魂   二十一回猛士

(後半へ続きます)




+ 初めて言葉 

稟質・ひんしつ   生まれつきの性質
微衷・びちゅう   自分の真心や本心をへりくだっていう言葉
卓識        すぐれた意見、卓見
鬱勃・うつぼつ  意気が盛んにわきおこるさま
飛耳長目・ひじちょうもく  物事の観察に鋭敏で見聞が広く精通していること
余徳  あり余って他に及ぶ恩恵、余沢 

・・・どれも自分じゃ使いそうにない

本の窓 19

     +++ 本 19 ++




 読んでいる本・・・吉田松陰留魂録』  言葉がどれだけ人の思いや考えを伝えるものであるか最近よくわかるようになった気がする。松陰の遺した文もそう。活きいきとした彼の心もちと人間性を感じ、心動かされる。
 秋の森や里山が、実りに恵まれながら色づいてゆくように、これまで自分は豊かな体験を与えられてきたのではとおもう。自分に備えられた四季のようなものを感じたことを書いておこう。




139.『和らぐ好奇心』  石黒和義 日経BP

表題の本はさまざまな業界で活動している12人のひとと、会社経営者である著者との対談集。

***

博学な作家荒俣宏氏は、ネットオークションで様々なものを蒐集しているそうだ。(古い有刺鉄線とか。)たまに偽物を買ってしまったり騙されることもあるが、それも楽しいと言う。偽物もそれ自身の物語や文化を背負っていて、そこから新しい価値や世界を発見できることもあるのだと。

ドガの踊り子のポーズはじつは相撲の錦絵から影響を受けている…といったトリビア知識もわかるそうだ。もしかしてあの絵かな?と思い出す絵があった。 絵画ではしばしば贋作が話題になるが、それを描いた人、売った人、買った人、それぞれにまつわる話を読んだことがある。

お宝鑑定を見ているときの愉快さは、誰しもおぼえがあるだろう。金額的な価値だけでなく、すばらしいもの、自分の目にかなったお気に入り、人が注目しない珍しい物、どうでもいいものなどを「集めたい、自分のものにしたい」のは、本能かもしれない。それにしても蒐集というのは、きりがないものじゃないかと思えるけれど、逆に<終わり>を意識することで本当は自分の生に限りがあるとわきまえることに繋がる、という氏の死生観になるほどと思う。

***

世界で二番目に有名な絵は、ゴッホの「ひまわり」と北斎の「大波の絵」(神奈川沖浪裏)であるとか。富士山をバックに大波がうねっているあのダイナミックな絵。

日仏文化の比較を専門にしている及川茂氏は、19世紀末に浮世絵から始まったヨーロッパでのジャポニズムが、絵画のほかに工芸、庭園、演劇、ファッションなど文化の本質にまで入り込んだという。絵だけかと思っていた。明治30年ころまでに海外に出て行った浮世絵は約40万枚にのぼるというから凄い。輸出に関わった林忠正という人も初めて知った。時代の推移とともに評価が一転してしまった、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人だとか。(←漢字が書けないときのワープロ機能はすばらしい…)

***

経営は人間学だ―という加護野氏との対談も興味深い。どんな企業、経営にも深層を流れているのは人であること、愚直にものごとを進め、状況に合わせ柔軟に判断できる日本型経営の良さなど、海外企業との比較については知らないことが多かった。

協業―についての話では、互いに強いもの・個性をもち、緊張感があり、競争してこそ相乗効果や協業の良さが出ると話していた。単に競争して一番になるのとは違う働き方とか経営のしかたは、具体的なことは私にはわからないけれども、イメージとして身近に感じられるものだった。

***

同じく経営を教えている金井氏は、オープンなネットワーク社会だからこそ、ウソをつかない経営、個々人の自律と高い企業倫理が求められるという。

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作庭家の重森氏は、永遠のモダン、究極のアヴァンギャルドといわれる庭を造った重森三玲(みれい)を祖父にもつ。 古典はそれが誕生した時代においてつねに斬新であり、それに牽引されてさまざまな文化も生まれたはずと言う。
<伝統的な古典の斬新さ + 独自のデザイン>を目ざすこと。
自分の思いを伝えるのに従来の枠組みにこだわらない。不断の革新。すでに多くの芸術家たち、今の若いアーティスト達がやっていることかもしれない。「ものをつくる」行為のヒントになるかもしれない。

***

映画の字幕翻訳で有名な戸田奈津子さん。
世界中が同じ環境をシェアする中で、「機械にできなくて人間だけがもっている能力」は、真の創造性、想像力、飛躍した発想、長年つちかわれた専門性だという。これも前の重森氏の話と通じるものがある。

「飛躍した発想」から連想したこと― 長い時間かけて考えたり、何かに打ち込んでいると、あるとき光がさすみたいに急に直感やインスピレーションがわくのが不思議だ。

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動物園長の増田光子さんの話では、浮世絵師の多くが動物を描き、中でもゾウに注目できるという。初めてゾウが来日したのは徳川吉宗の時代で、長崎から上陸し2ヶ月かけて江戸まで行進したらしい。当時の人びとの驚きを想ゾウしてみた。生まれて初めて見る巨大な動物が、道をのしのし歩いている光景!

***

藤原定家の子孫にあたる冷泉為人氏は、和歌が今まで詠われてきたのは、人びとがその力を信じていたから、と話す。政治に介入した一族は絶え、和歌に専念した冷泉家は生き残った。文学に専念すべし というのが家訓の当家は<一流の二流>という立場をとり、権力や武力ではなく、和歌(ことば)が人を動かすのが日本の文化の根本だと話していた。

***   ***

理系学者との対談もあった。一つの専門分野に秀でた人たちだが、他の分野にも興味があってとても詳しかったりする。和らぐ好奇心というより、柔らかな好奇心とでもいったらいいのかな。

それから仕事を通して日本だけでなく、世界や社会全体のことも考えていると感じる。公共心というか。 こういった人たちにも必ず困難な時があったはずで、できれば苦労した話や挫折体験、のりこえた話も聞きたかった。 




+ 言葉 +

・客星 : 超新星や彗星をさす古語
ダイバーシティ: 多様性 
・constellation コンスタレーション: 星座。配置がおりなす相関関係
・幽雅、幽遠、幽境 : 奥ゆかしいさま。奥深くはるかなさま。世俗を離れた所
依代 よりしろ :神霊が依りつく対象
・薫染 くんせん :香りがしみわたるさま。よい感化を受けること




+ ひとひらの言葉 +

 「毎日の生活のなかで使いながら、ある時フッと感じることがあります。小さな風のように。作り手がものを作りながら感じていた、あるリアルな感覚に、使い手が同じように触れる瞬間です。作る人のなかで起こっていた渦が、今度は使う人の手のなかで起こる。静かに、存在の深いところに届くリアリティを、時にはものを通じて感じることがあるのです。」  (『遠くの町と手としごと』)


「世界に苦しみに悩むただ一つの心、死の苦痛を知るただ一つの肉体しかないときにも、それは弁明を要求するだろう。ただ一人の子どもの苦しみしか、また動物だけが地上で苦しむとしても、なお、すべてのことはつぐないを要求するであろう。いずれの場合にせよ、事物の状態は、存在を明らかにする真の光なしには受け入れられない。」(R.Maritan)


重症児はふんい気に敏感である。それはその独特な感覚と情感によるらしい。

子どもに隠されている天分を見つける仕事。―じっくり観察する。そのうち変化があらわれるのでそれを見逃さない。

どろ雨の中の誠治と堀田先生―先生は、誰からも愛されたことのない誠治がいとおしい。
  「おまえは、つらかったんだなぁ、どんなにか。もう安心していいぞ。このわしが君の味方だ。うんと甘えろ。何でも訴えろ。わしは何もかも許してやるからな」 (伊藤隆二)





138.  『後世への最大遺物/デンマルク国の話』  内村鑑三 岩波文庫

今から100年前の明治27年 箱根の湖畔にて、33歳の内村センセイは基督教を信仰する青年達を前に、まことに有意義な講演を行ったのであります。日清戦争が始まった年だと言われても、かなり昔くらいしか思わない昔です。 昭和21年に岩波初版が出され、旧字体でちょっと読みにくいのですが、話し言葉だし60ページなので、すぐに読み終えました。この本も、もっと早く読みたかったなと思いましたが、本との出会いは自分にとってちょうど良い頃合いで起きるのだろうとも思うのでした。

彼の考える後世への最大遺物とは何ぞや?

いろいろ出てきます。人がこの世に残していけるもので大切なのは、まずお金。決してお金を侮っていないところに現実性があります。何を為すにも経済的な面を考慮しなければ始まらないと。
それから事業。お金を何にどう使うか、商売か土木事業か、世のためにとよく考えることができる人が事業をおこすのがいい。ここでアメリカ人の事業家…孤児院や黒人教会を作った人とか、日本で無名の人びとがトンネルを掘って水を引いた話をしています。お金を儲ける能力のある人と事業をおこし運営できる人を別々に考えているのは、それぞれ持って生まれた才覚を活かすのがよい ということでもあるのでしょう。

それ以外に、筆と墨をもって「思想」を残せるのではないかとか、文学を書いたり教育によって若い人に教えることも遺物になるといいます。(※ 文学は広く「芸術」と思っていいところですね。) ここでは勤王論を著した頼山陽とか、一個人は国家よりも大切だと初めて書いたジョン・ロックが紹介されています。ロックが当時そんなことを発表しても、現実の社会で実行できるわけはなかった。しかし彼が裏店に引込んでせっせと文章を書いたために、それが欧羅巴全土にいつのまにか広がり、仏蘭西革命が起こって今日のヨーロッパを支配するようになったのでござりますと言う。内村センセイは人物を紹介するのがいきいきしてて、とても面白いでござります。
 実生活では恐い時もあったそうですが、講演では何度も聴衆を笑わせており、まるで活弁士のようです。 

そして文学も、ほんとうは一部の才能ある人だけが書けたり残せるというものではない。誰でも心のままに思ったことを書けば、それが人の心を動かすはずだと言います。自分は名論卓説をききたいのではない、それぞれの人が文法が間違っていても思っているとおりを書けばそれが遺物になる、と力説します。

でももし、お金も事業も思想や文学も残せない人はどうしたらよかろうか?
ここからが最も言いたかったことで、それは「誰にも遺す事の出来るところの遺物で、利益ばかりあつて害のない」或るものだ、というんですね。
何を指すかは 青空文庫 にあるので読んで頂くとして、、、ここで紹介しているカーライルという人のエピソードが面白かったです。数十年もかかってやっと書き上げた本の原稿を、他人のミスで焼失してしまって、さてどうしたか?という話です。 ネットで一生懸命書いた文が一瞬にして消えてしまった経験のある人、彼のエピソードを思い出すようにしましょう。(私もです。というかデータ保存しましょう。) カーライルは直後は落ち込んでヤケになってましたが、気力をふりしぼって書き直したんだそうです。これに似た、日本人で何かの辞書を作った人の話を聞いたことがあります。

また「天と云ふものは実に恩恵の深いもの」と考えた二宮金次郎も出てきます。内村鑑三がそういった人たちの何に注目し、心動かされていたかがわかります。話にあげている人の多くは清教徒なのですが、宗教にかかわらず、志や人物そのものをみています。 最大遺物については、アウトラインは示しているものの、中身と答えはそれぞれの人が自分で考えることを求められているのかなと思いました。

「我々の生涯は決して五十年や六十年の生涯にあらずして、実に水のへりに植ゑたる樹の様なもので、段々と芽を萌(ふ)き枝を生じて行くものであると思ひます。」

彼が当時 「百年後を想像してくださりませ。その時まで遺せるものでござります。」(←口調は変えてます)と述べたそのままのものを、彼は残せたんだなぁと思いました。






137.『困ります、ファインマンさん』 R.P.ファインマン/ 岩波現代文庫 2001年

ファインマンさん」シリーズは岩波書店から5冊も出ているとか、、ご冗談でしょう…?
1965年に朝永振一郎ノーベル物理学賞を受賞したこと、第二次大戦中ロスアラモスで原爆の仕事をして癌になっていたこと、またチャレンジャー号事故調査委員会のメンバーとして活躍したこと、ドラムをたたくのがうまかったことなど初めて知りました。本ではチャレンジャー号事故調査の報告と、人格形成に大きな影響を与えた父親や、早逝した奥さんとの思い出が載っていました。(事故の部分は未読です。)

セールスマンだった父はファインマン少年が生まれる前、「男だったら科学者になるぞ」と予言したらしい。※その後妹が生まれ、妹も物理学者になった。
教育方針がユニークで、でも特に英才教育だったわけじゃないみたい。小さな息子にいろんな問いかけや実験をしてやり、本の説明をして周囲の世界の面白さを教えていった。息子がわくわくするくらい話がうまかったらしく、ファインマンもその血筋を引いているのか、話上手だ。森の中で父子が鳥や木を見て話し、座っている姿を思い浮かべると、幸せそうだ。お母さんは、「すばらしいユーモアセンスの持ち主だった。人間の精神の到達できる最高の形というものは、笑いと人間愛だとおふくろから教えられた」という。

初恋のアーリーンと結婚し、まもなく彼女は病魔に襲われてしまう。妻の臨終では科学者らしい眼を持って冷静に看取っている。奥さんの短かった命のことを、あと五十年生きる人と比べても仕方ない、自分たちには思いきり楽しく過ごした時間があったのだという。 いつか死ななければならない人間はみな同じであり、置かれた状況は偶然にすぎない という死についての受けとり方は、私にはとても真似できない。愛する人の死は、書くのも思い出すのも辛かっただろうから、敢えてこう書くしかできなかったのかもしれない。。

ファインマンさんはちょっと変人だったらしく、名所旧跡にはちっとも興味がなく、観光地の外れや辺鄙で不便な場所に行ってみたい人だった。来日した時も、泊まりたい民宿には洋式トイレがなく宿の人が恐縮していると、「シャベルを持っていきましょうか?」とまじに聞いたとか・・(穴を掘るために。実際やったことがあったらしい。)また 地方の神社の祭事にいあわせて興味深く観察したり、大学の寮で奇妙奇天烈な実験ばかりドタバタやっていたり、可笑しい。

本の最後に、人類に幸福をもたらすと共に恐ろしい力にもなる科学の意味や価値について講演した記録があった。自分が開発に携わった原子爆弾が悲惨な結果をもたらしたことについての、科学者としての真摯な思いである。
人間が長い間かけて獲得してきた科学の力は、いまや手放すことはできない。けれども科学者は自分が無知であり、疑い、迷うものであることを忘れたくない。 「人はみな極楽の門を開く鍵を与えられているが、その鍵は地獄の門をも開く。」というある住職の言葉を引いている。人間は、偉大な科学の力をどのように使うべきか答えを与えられていない存在ゆえに、思索することの自由をだいじにすべきだと結んでいます。

  + +

ファインマンさんが海を見た時の詩も載っていた。波や自分を分子や原子とみているのが新鮮。海にまつわる詩というのは、作者によってさまざまに個性が現れるものだと思う。(一部を引用)

      

波が打ち寄せてくる
膨大な数の分子が 互いに何億万と離れて
勝手に存在しているというのに
それが一斉に白く泡立つ波をつくる

それを眺める眼すら 存在しなかった遥かな昔から
何億もの年を重ね  今も変わりなく
波涛は岸を打ちつづける
ひとかけらの生命もない  死んだ惑星の上で
誰のため
何のため
波は寄せてくるのか?
 ・・・・・・・・・

海底深く  分子はすべて互いのパターンを繰り返す
新しく複雑なものが生まれるまで
こうして生まれたものはまた 自らとそっくり同じものを作っていく
そしてまた新しい踊りがはじまるのだ
・・・・・・・・

ゆりかごを離れ こうして今  乾いた土地に佇む私は
意識ある原子
好奇の眼をもった物質だ

思惟することの驚異に打たれ
私は海辺に立ちつくす
その私は 原子の宇宙
宇宙の中の原子






* 読みかけ本・・・中村雄二郎『術語集』/ 内村鑑三『後世への最大遺物』/『ヘルダーリン詩集』他




 + ひとひらの言葉 +

「偉大な作品のうちの一つのものに、あらゆるものが含まれているということができます。偉大なもののうちのある一つを研究することによって、哲学の全国土に通じることができます。ある一つの優れた畢生の作品を徹底的にきわめることによって、一つの中心点が得られます。そしていっさいの他のものはこの中心点から、またこの中心点へ向って、照らし出されるのです。」


「一般にあらゆる深い思想のうちには、それを思惟した者が、帰結に関して当座観取できなかったことが宿っています。しかし偉大な哲学のうちには、無限的なものを自己のうちに隠している全体性そのものが存しています。」


「哲学的な人間にしてこの世における宗教団体に決定的に所属することなくして、神の前にただ独りで立って、『哲学すること』は死を学ぶことであるという命題を実現した人はまれであります。ソークラテース、セネカ、ボエーティウス、ブルーノ・・・」 

   (ヤスパース『哲学したい人のための12のコツ』 ではなく『哲学入門』)





136. 『寺山修司歌集』  国文社


  向日葵は枯れつつ花を捧げおり 父の墓標はわれより低し

   野の誓いなくともわれら歌いゆけば 胸から胸へ草の実はとぶ

    わが影のなかに蒔きゆくにんじんの 親しき種子は地をみつめおり

      藁の匂いのする黒髪に頬よせて われら眠らむ山羊寝しあとに


ぜんたいに暗い雰囲気が漂う歌寄せのなかで、叙情的であったり力強い歌がある。現実なのか幻なのか、あきらめているのか求めているのか、熱に浮かされているのか淡々としているのか、まるで抽象画を眺めるようにわからないのが多い。自然を読み込んだ歌がたくさんあった。短歌の鑑賞法を知らないので、目にとまった歌を引いてみました。

   人生はただ一問の質問にすぎぬと書けば二月のかもめ

作者は地球儀を見ながら「偉大な思想などにならなくてもいいから、偉大な質問になりたい」と思った。「短歌は私の質問であり、孤独な文学だ。他人にも伝統にもとらわれすぎず自分の内的生活を志向し、この孤独さを大切にしなければいけない」と考えた。
けれどもこの歌集のあと、質問としての短歌さえも自己規定であり裏返しの自己肯定を脱けられぬと感じた彼は、短歌をやめて他の分野へ才能を花開かせようとした。多彩な才に恵まれた人としか、私は思っていなかった。旧い自分を否定し、冥界へ送っては幾度も生き返らせていたのか。

彼は何を問いたかったのだろうか?




135.『自省録』 マルクス・アウレリウス 岩波文庫

<なんらかの意味において美しいものはすべてそれ自身において美しく、自分自身に終始し、賞讃を自己の一部とは考えないものだ。>

<たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきはなんぴとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生も、もっとも短い一生と同じことになる。>



   * *

むかし買った古い岩波を眠る前にときどき開く。内向癖な私にはしっくりする言葉がとても多い。(内向ばかりして埒があかない。)アウレリウスの言葉はどこまでも気高くすがすがしくも、自分を省みればタメ息がでる。それでもプラトンのいう「哲学者が政治を行う」理想が実現したただ一つの例と聞けば、徳のイデアがどういうものか知りたくなる。

<人生の時は一瞬にすぎず、人の実質(ウーシアー)は流れゆき、その感覚は鈍く、その肉体全体の組合せは腐敗しやすく、その魂は渦を巻いており、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。霊魂に関するすべては夢であり煙である。>

といった言葉。よく探せばどこか世捨てびと風で厭世的な語が見つかる。ローマ皇帝としての執政に加え、生を充実させようと努めながら、このような心境もあった。
ある程度ものごとを突き詰めて考えると、思考が両極端へたどり着いてしまう。そのあと、なら自分はどちらの方向をむくのかによって、ニヒリスティックになったり、希望を持とうとするのだろうか。

   *  *

<哲学するには、君のあるがままの生活状態ほど適しているものはないのだ。>

<たとえ私と私の二人の子どもが神々から見捨てられたとしても、これにもまた道理があるのだ。 人生はみのり豊かなる穂のごとく刈り入れられる。>


心の中のpessimismとoptimismを手なずけていきたい。もっと違う本がふさわしいのかもしれないし、どんな本も役に立たないのかもしれない。自分の卑小さに何度も沈み込もう。そしてまた浮き上がることができれば。。






134.『プラトン』 斉藤忍随 岩波新書 1972年

プラトンの解説書や評論はかなり多いみたい。この本はポイントやキーワードをかみくだいて説明し、著作もたくさん引用していて初心者に親しみやすい本でした。
このごろいろんな本の中にプラトンの名を見つけるようになり、そのたびに嬉しがっています。プラトンが引用されるのは8割くらいが『国家』のあの有名な「洞窟の比喩」のようです。なので私もそこだけはテストに出ても大丈夫なくらい読みました。

  * *

「死、恋(エロス)、政治、イデアという一見関わりの見えにくい4つの言葉を各章に立てています。 
「死、恋、政治、イデア」という著者の選んだキーワードはまた、
「死、生、身体、精神」とも大ざっぱに置き換えられるかなと思う。
身体―精神は、現実―非現実とか形而下―形而上ともいえるかと。

人間にとって避けることのできない「死」に対し、その対極にある「生」やエロスというのは、多くの人が生まれながらに持つパトスや、何かを求めずにはいられない力ではないかなと思うのです。
そう思うとドストエフスキーにもこの四つはしっかり出てきます。バタバタと登場人物が死にますし、ものすごくリアルな生をいきたり恋に狂ってる人ばかりだなぁと。政治や社会ということでは裁判をはじめ事件がよく起きるし、金銭にギャンブルと問題には事欠きません。イデア面は、キリスト教+こころの描写が主旋律なのだから、プラトン思想をエンタメ風に味付けした小説がドストだ といっても言い過ぎではないとひとりで勝手に思いました。

   *  *

1 死

全体にギリシア神話ギリシア文学が繰り返して引用され、プラトニズムと神話、文学がとても親近性があることがわかりました。中でもアポローンについての説明が多く、私なんかは音楽と太陽の神さまといったくらいの見方でしたが、実はホメロス描くところのアポローンは恐ろしい死の神だったと詳しく述べられています。 専門知識の中にもちょっとトリビア風のおもしろ知識も混ぜてあるので読みやすいです。

* これ聞いてなかったと思ったのは、「人間にとって死は生よりよきもの」との考えがあったことと、その説明でした。「ソクラテスの弁明」はじめ、もう少し作品を読んでみなくてはわからなさそうです。

2 恋(エロス)

ここではソクラテスの死や少年愛を中心に、プラトンソクラテスをどう描いたか、彼らの師弟関係などが述べられてます。『饗宴』や『パイドロス』の引用に、プラトン作の珍しい詩も紹介されたりして、「美の実在への志向」(←ここんとこ大事)が解説されています。

<彼らの美しさに出会うごとに、その都度ソクラテスは新鮮に自分の精神化を経験し、深めることができ、それによって「美の実在」への恋をいよいよ熾烈にすることができたにちがいない。― 何よりも「美の実在」への憧れをかき立てる美しい姿、形の所有者を、自分に「類似」せしめることが、ソクラテスの大きな関心なのである。>

ソクラテスは美少年だけを欲してた…って感じで現代人に誤解されてるところがありますよね?(かわいそうに。。)

3 政治

プラトンは理想主義者のように思ってましたが、実はリアリストの姿勢を崩さなかったことが書かれていて、これも意外でした。大作『ポリテイア(国家)』(すみませんほとんど未読です)の後世への影響や、著作へのもろもろの批判への反論 なども書かれています。ニーチェも批判してたのですね。 全体主義だと言われたりもするプラトン。政治思想の核心についてはいろいろ説明があり、後世の批判の矛先は根拠のないものだとまで言わないものの、矛先の方向が違ってるんじゃないかと著者は書いています。

4 イデア

やはりイデアプラトニズムの中心点なのです。印象に残るのは、プラトンが自分の思想は難しいからわかったつもりでもわかってないよという、とりつく島もなさそうなことも書いている点でしょうか。世阿弥風姿花伝も同じような所があり、表面的な解釈や理解だけではだめなんだから、と釘をさされている感じです。イデアって結局なんなんだろう…と私もまだよくわかってなくて。今まで数冊読んだ本のところどころは、まぁ何となくわかった気になってるのですけど。日がたつとイデアもぼんやりしてくる感じなのです…。

「美」や「善」といったものは、たとえどんなに上手に説明したり完全に理解したつもりでも、人間だから絶対に不完全なはず。そういった死すべきニンゲン、不完全な姿をまずは自覚し、そののちに知ろうと欲し努める人には少しずつ明らかになってゆく――といった感じなのでしょうか?

プラトンを知らなくてもたぶん生きてゆけるのだろうし、あまり形而上的なものばかりに目を向けてもと思いながらも、いったん知ってしまうと知らなかったことにはできなくなる、考えずにはいられないプラトン。不思議な人なのです。  




+ ひとひらの言葉 +

<個というと、ある限られたもののように思えるが、この無意識の領域は、外の宇宙がどこまでも広がっているように、心の内にもある未知の領域で、それは既に知っているどんなものにも還元できないし、その果てもわからない。つまり、それは個としての閉ざされた円環ではなく、どこまでも開かれた領域なのである。>

<・・・それが個としての自分の完成に近づくことであり、できうることなら、人は自分の可能性をできるだけ拡大し、この自己の、あるいはなにか自分を越える超越的なものの存在を感知して、それに向かって歩みだすことが、この世の人生をまっとうすることにつながるであろう。
身体的なものに永遠性はないが、そこには個として永遠に続く、自分の完成を目指した道がある。>  (『ユングの性格分析』)


   + + +

<私が時々に言わねばならないことは、すでに私の中で、《語られることを望む性格》となっている。>

<しかし真実に互いに向かいあい、隠しだてなく意見を述べ合い、こう見せたい気持ちから解放されている相手間で、対話がその本質にかなって実現するところでは、それ以外にはどこにも生じないような、いちじるしい共有の実りが生じる。>

<言葉によって、人間の間柄は、さもなければ未開発に終るものを開発するのである。> (ブーバー『対話的原理』)






133.『鶴見俊輔集 10 日常生活の思想』 筑摩書房 1992年

「子ども好きの人は、教師であれ、一回かぎりのことばをさがし、しばしば、それをさぐりあてます。」

鶴見和子の弟さん。読んでみたらかなり面白い。著作集は12冊も出ているし、Wikiの紹介を読んでさらに、わわわ…となる。なんでこんな人を早く読まなかったのだろう(←いつもこう)。 アメリカのプラグマティズムを最初に日本に紹介した人で、最近では赤塚不二夫への追悼文が話題を呼んだらしい。漫画をはじめアングラ系にも強い、たくましい方だ。さまざまな話題、思い出話が中心のエッセイで、とらわれない心で世界を見渡している。もっと難しいことを書く学者さんかと思っていた。

全編を通して、なにか「家制度打倒!」的なことを言っていて印象的。戦後まもない一家心中から、家の思想のもつ閉鎖性を読み取ったり、綴り方教室の豊田正子という女性が、成長する中で家族への見方を変化させていったのを興味深く引用していた。著者自身にも、生まれ・家柄・両親に対して葛藤があったらしいことがうかがえる。
このごろ家のことを考えるせいか、「自分のうまれて育った土地と家とに人生の視野がかぎられる」、「家の中と外を峻別する思想」などをメモってしまう。今までも思っていたけれど、文が書かれた当時と今との違いとか変化を考えながら。 都市部に住んでいた時には意識しなかったことだ。逃げていたのかもしれない。
地域や家を大事にする と 縛られる との間には、どういう違いがあるのかな。家、家庭、家族…の違いもあるだろうな。「家の神」に縛られた人に自分が縛られてしまいそうな危機感とか、思うところがあり..。
わたしにも幾つかの「家」があり、それに連なる人たちがいる。「家」そして家に似た仕組みや構造のもとで犠牲を強いられた人びとのことを、たぶん考えなきゃいけないんだと思う。
「現代人が知っておきたい家に縛られない10の方法」とかないのかしら。

「夫婦と子どもの家族単位が正常で、それ以外は異常だとする規範は人間的でない」と氏が書いてから3、40年が経つ。単身世帯と核家族世帯は(平成17年全国平均で)ほぼ同数30%ずつになったらしい。独居高齢者に加え、家庭をもつ生き方を選ばなくなった若い人が、現実に増えつつあるのだ。
「家の神」の章には死場所、家出など多くの字数が割かれ、著者は「家の会」というサークルも主催していたとか。「思想の科学」の出版をはじめ、たくさんのサークルや学習会を作ったり参加していた。家というものは思いどおりにいくものではなく、改革意図にたいして無際限の抵抗力をもっている、どうしようもなさがある と書く。
そう、それでも一部の人びとの意識や願いが今までと別の方へむけば、次第に家も形を変えていくんじゃないかな。小説で見かける血縁のない偶然の家、信頼だけで結ばれた家族というものだって、ありえそうだ。著者は稲垣足穂の例をあげている。
ハンセン病者で執筆活動をしながら一生を隔離島で過ごした島比呂志という人は、80歳で島を出たあと妻と共に養女の家に戻ってから、やっとほんとうの「家族」を取り戻したという。

*  *

夢野久作についての評論で。
「生きている人間、生きている思想というのは、必ずいかなる分類もすりぬける。」

「自分の内燃機関と自分との関係を、いくつになっても失わない人生とはいかなるものか。それは非常に複雑な戦術、戦略を含むし、自分に対して冷酷かつシニカルな突き放した計算をしなければだめだ。・・・自然の成長に任せれば、自然にその時代とくっついちゃうわけですからね。」

*  *

自分の哲学は「カント?ウフフの立場」だというのがとても面白い。カントの哲学を信奉する流儀に、おとしあながあるという自覚だという。なんちゃって精神とも通じるのかな。これを支えるのは、見習い主婦としての哲学、生命の世話をする立場なのだとか。(鶴見氏はじっさい主夫をやっていたらしい。) さらに漫画「ガキデカ」のすすめとか、新しい時代の作法とはとか、いろんな話題につながっていく。行儀作法の二つの流儀…集団の行儀にあわせてゆくのと、自他含めて人間への思いやりをもって ある程度自由にやってゆく作法があると。

*  *

ことば、本、図書館についての文も面白かった。本一冊をつくることは、ひとりの読者へのたよりだとか、無名文化の復権についても書かれている。
「反対図書館」の話は、なんだろう?と思った。今まで全然図書館を利用したことがない人が使うような、”例外者の利用する図書館”。戦時中ジャカルタ図書館で、当時日本では珍しい本をたくさん読んだ記憶から書いている。「保管する器を決して作れない図書館」では、「カバヤ文庫」という菓子の「おまけだった本」の話。あとは見えない図書館とか。 作る必要のない図書館・・・古本屋で買った安い本を喫茶店でコーヒーとともに読む植草甚一の話。それから古本屋の中は、雑多で立派な図書館なんだ。

自分の卑怯さや恥ずかしい思い出も正直に綴っていて、エッセイなのに告白小説みたいなところもある。知識の吸収や人との出逢い、考えごとが、すべてこの人自身を自由にしているし、あらゆる束縛や決まりきった考えかたから解き放っているんだなーと感じる。それは鶴見氏自身が、つよく望んだことだったのではないだろうか? 





132. 『風姿花伝』  世阿弥  小学館日本古典文学全集  

 歴史上の人物として知っていただけの世阿弥(1363~1443?)を読んだのは、白洲正子さんが『世阿弥』という本を書いていたから。謎めいてとても面白そうな人物にみえた。
能楽室町時代 猿楽(申楽)と呼ばれていた。起源は天照大神が隠れてしまった岩戸の前での踊りだとか、聖徳太子の寺参りの際に奉納された中国伝来の舞いだとか言われている。神仏への舞いがしだいに洗練され美意識が高められ、世阿弥によって夢幻能に完成されたのだとか。(日本史の復習)
そういえば世阿弥肖像画・・見たことないなぁと思っていたら、残ってないらしい。足利義満に特別引き立てられたのだから、一枚くらいあってもいいと思うのに。自分の意思で残さなかったのだろうか。美童だったという面立ちを想像しても、なかなか浮かんでこない。また跡継ぎとなった息子二人のこと以外は、どんな私生活だったかも詳しくわかってないみたいだ。現代の作家数人は、世阿弥についての小説を書いている。

作能のほかに著作は二十一種も残したが、観世家だけに伝わる秘伝書だったため発見されたのは後世になってからで、一般公開は明治42年
あらゆるものが情報公開されるようになった現代に世阿弥が来たら、あぜんとするかもしれません。

     * * 

秘すれば花 とか 初心忘るべからず、序破急の能への応用とか、世阿弥は有名な言葉を多く残している。能についての理論書くらいに思って読んだら、なるほどと思える面白い内容をたくさん書いているのでした。

もっとも目を引いたのは「心の工夫、心がけ」や「衆人愛嬌と寿福増長」。
精神的な修養を説きつつ、なにに注意しどう演じるかの方法が、実用的具体的に書かれているのがいいです。


  「能は見る人の幸福を願って演じるのです」

「秘儀に云はく。そもそも芸能とは諸人の心を和らげて、上下の感をなさん事、寿福増長の基(もとい)、か齢延年の方なるべし。極め極めては、諸道ことごとく寿福延長ならんとなり。」(第五 奥義に云はく)

さまざまな階層の客の幸福をねがって演じるのだ、と断言しているのはとても印象に残る。これを世阿弥が書いていたと知っただけでも読んでよかった。世阿弥は、父観阿弥やほかの達人が最もすばらしいと信じており、自分は彼らに学んだだけと謙虚にいう。

* ほかに、高級で理解しにくい演目や芸ばかりでは民衆の賞賛が得られない。平易で民衆向きの能も忘れずに。 昼と夜では演じ方や演目をどう変えるか。 一つの芸風ばかり繰り返さないこと。演じ方の意外性を狙え、などなど演技戦略もいっぱい教えておりました。作家兼プロデューサーの才能が両方あった感じ? 人の心をしっかり読んでいるというか、いろんな事に目配り気配りしているんだなと感じます。また欲にとらわれるなとか、正直円明(円満)がいちばんとか、人生訓のようなのも入ってます。
貴族の娯楽と思っていた能楽を民衆も楽んでいた、というのが少し意外でした。

文体は明確で、くり返し表現が多い。世阿弥観阿弥の関係はプラトンソクラテスのよう。師の教えを忠実に伝えながらも、弟子の個性と思いがとけこんで、すこし緊張感ただよう随想集のようでした。なにより猿楽への情熱を一生持ち続けて、スキルアップに精進する毎日だった姿が伝わってきます。

* 秘伝・・・
当時は将軍の庇護を得るために他の座や流派との「競演能」があったらしい。それは死活問題にもなり、実際 世阿弥も庇護してくれた将軍が替わると冷や飯をくうことになった。(晩年にはなぜか佐渡に流される。)そんな浮世の変遷にも対応できるよう、
「時期が悪ければそういうこともある。たゆまず工夫していればまたよい時期は巡ってくるんだから。」と書いている。将軍のせいだとか書かずに時期や運としているところが奥床しい。(猿楽師の身分は当時低かったので、そう考えるのが自然だったかもしれないけれども。)

* 他の流派への関心と取り入れ・・・
  観世座の他にもいろいろな流派や座があったらしく、それらの長所は積極的に取り入れていこう、という所に融通性があった。能は観客の福寿のためと信じているから、競争しても勝ち負け以上に、より良く演じることが第一と考えていたようだ。外部の視点を取り込み、異なるものとも共生していこうという現代性を感じる。

* 年齢ごとの演技指導と心がまえ・・・
じぶんの年齢や演技についていつも自覚し、高めようと努める姿勢を感じる。 自らの成長=能技能の進化と深まり と考えていたみたいだ。
年齢ごとの修行の注意点、心がけなどを説いている第一章も面白かった。

芸を始めた七歳ごろは、生まれつきの動きが出るからあまり干渉せず自由にやらせるのがよい。
十二,三では少年期の花が自ずと備わり美しいが、「時分の花」であって真実の花ではない。  (十七,八は省略)
二十四,五は生涯の芸が確立する段階で、この頃こそ「初心」と言うべき。
盛りの三十四,五では、名声を得ているかどうかの分かれ目がはっきりする。
四十代半ばで消えない花なら真実といえ、最後に五十越えた老年になってからの演技こそが難しく、もしまことの花をもって演じきることができれば達人である。この時期に初心をかえりみることが大切 と結ぶ。

要は、「時分の花」に溺れることなく生涯芸の道を工夫し修練してゆけば、「まことの花」を得るだろうと。当時の寿命はせいぜい五十位だっただろうか。老年期の捉え方にとても興味深く独特のものを感じるし、花=その人の魅力と考えれば、彼の言葉はいまも生きていると思う。

* そして一番の奥義である「花」。
花を得ることこそ全てなのである と強調するも、これこれだとはっきり言葉にできるものではないと。私もなかなか判らず、花とは何ぞや…?とミステリアスな言葉を追いかけ、それを知るために風姿花伝を読んでいるようなものでした。
形は見えないけれど、演じる姿に表れる何ともいえない美しさ、面白さ、感動。。。一定の形をとっておらず、たとえば生まれつき少しは持っている人もいれば、芸を磨く中で得る人もいる。それが皆に伝わる演じ方によっても違って見えるし、「無」も花の一つとする、、、。多様な意味にとれるところが難しくもあり面白くもありました。言葉にしにくいイメージとか観念に比喩を用いている点では、イデアに似ているみたいです。

もとは和歌の歌風である「幽玄」というキーワードも出てきます。雰囲気で言うならたとえば枯山水水墨画、静かな佇まいの薄暗い庭、それから鍾乳洞の中なんかが幽玄そのものかなと思う。
当時は電気もないから暗がりが多くて娯楽も少なく、能舞台を見るのは人びとにとって無類の楽しみだっただろう。そんな時代に演者の舞いを見、謡いを聞くということは、もしかしたら想像力がもの凄く必要で、人びとは現代人には見えないものを見、聞いていたのではないだろうか?

  * *

現代の芸能人や歌手を思い浮かべた。華やかな若手の花、歳を重ねてなお花がある人。。三島由紀夫の『美しい星』で、金星人のフリをしていた男が能面をつけた場面も思い出した。

<追記>
このあと二度ばかり能を鑑賞する機会がありました。初めて見る能の謡(うたい)や舞いが珍しいばかりで、どこがどう「花」なのやらさっぱりわからず。 それでも何となく声の浪々とした感じとか、舞いの全体の雰囲気が能の主題に合っているのは、伝わってきました。奥が深そうな文化です。
あと能のシテ・ワキには幽霊や亡霊が多く、現世と死の世界を往き来する作品がたくさんあるようです。死 というものに対して、昔の人のほうがいろんな意味で身近に感じることができたり、今とは違った受け止め方だったのかなと思えます。



 

 

本の窓18

 

++  本  18 ++ 



 131.『キリムへの旅トルコへの旅』   渡辺建夫 木犀舎

旅の本が続きます。「キリム」とはトルコの伝統手芸の敷物。独特の文様を織り込んでいる。日本では、つづれ織りに当たる。
 何かと世界の注目を浴びているイランなどの中近東は、私にとってはイスラム文化やオリエンタルな模様の国・・くらいの知識しかなく、欧米よりもずっと遠い国です。
 そんなトルコのキリムに魅せられた筆者が、キリムを織る人々や国内の様子を描いた紀行本です。章は「キリムとの出逢い・キリムを織る女たち・キリム文様の秘儀、消えゆくキリム」の4つ。



織り仕事というのは、やはり新石器時代からの女の手仕事だったようです。おじいさんは森や砂漠へ狩りに、おばあさんは家で布を織り。
で、ただ布を一色に織るだけじゃつまらない、模様を入れてみよう、色も変えてみようとあれこれ試しているうちに、様々な模様と色の組み合わせでキリムの伝統になった。
と思ったらそれだけではなく、まずキリムは遊牧生活に欠かせない布であり、文様は部族の識別の意味があった。祈りのときの敷物に使われるなど、聖なるものを布にこめる魔除けやまじないでもあった。また嫁入りの財産だったり、家や部族の豊かさを表したそうな。 

遊牧民の女たちが、連続する模様を避けてわざと破調の面白さをねらっているようだと筆者が見ていたのは、へぇ...と思いました。筆者はより美しいキリム、素晴らしい作品を求めて旅する中で、人々の生活にも密着して、民族のことや彼らの暮らし方を調べています。手工芸の知識だけでなく、トルコ内外の歴史、映画なんかも紹介しているのでした。女たちが集まって共同でキリムを作り、絆を深める祝祭のような空間もあったとか。 

つい先日幸いにも、今も作られている本物のキリムを見る機会がありました。草木染の鮮やかな色、繊細な模様を確かめることができ、文化というのは一枚の布に確かに現れているんだなぁと実感しました。 x




130.『サンチョ・キホーテの旅』  西部邁 新潮社 2009

 過ぎ去りし日と忘れえぬ人々を描きながらの、自伝といえる本だった。70の齢を越え、あとを振り返り何かを書き残しておくことは、誰にとってもたいせつなことなんじゃないかと筆者は思っているらしい。保守バリバリの人 というくらいしか知らなかったこの方。経歴が・・・華麗すぎます・・・。
 そんなことは別にして話も文章も上手くて、引き込む力というか物語る力があります。時どき硬くて難しい表現もあるのだけど、思い出や周囲の人びと(父母兄弟、先生、友人、学校、ゼンガクレン、故郷札幌のこと、いじめ、ムショ生活 etc....)の話はごく普通の人と同じで、いえ、やはり波乱万丈かもしれず、情の細やかさを感じます。特になんでもない隣の人々、見知らぬ人との出逢いのエピソードが面白かった。筆者にとっての忘れ得ぬ人々が、読者にも忘れ得ぬ話となります。ものの見方に鋭さ厳しさはあるのに、険はないといいましょうか。ほのかにユーモアも漂ってます。

 著者は今まで辿ってきた立場や人生のアウトローという来し方などを、自分の性格をよくご存知なので予めわかっていたみたいです。自分でおっしゃってる清教徒的な生き方は、ほんとにそういう面があるように思った。 16の時、みんなと一緒にいながらもたった独りでこの世に実在しているのだと痛感した体験とか、何かにつけ印象深く記憶に刻んでゆく人のようだ。
中学校の担任だった先生の「あなたはそうやって、思い通りに生きるしかない」というひと言が、ずっと心に残っているという。それは人格的な交流を伴うものだったから、運命の言葉に聞こえたと。知情意がとても強そうで、しかもバランスが取れている人かなという感じを受ける。

  (ただ一度の同窓会に出席して)
 <他人の人生の実相は、当方に桁外れの想像力と理解力がなければ、ましてや虚栄や嫉妬で心が曇るとなったら、その断片すらもが見えてこないのだ。少なくとも、そこに集まる人々のあいだに時間の持続がなければ、想像も理解もツァイディング(時熟)を獲得することができない。>


 保守派であっても愛国主義者とか右翼ではない感じ? 思想的なことはよくわからない。たまたま目にしてどんな本か手に取ったら、マスコミのイメージだけではわからなかった一面を知ることができた。




129.『インド 大地の布』  岩立広子  求龍堂 2007

インドの布といったら「ノクシカタ」というバングラデシュの刺繍か、安いけどちょっと質が・・・という量販品しか知らなかった。 そんな私の見方をすっかり変えた本。 実はインダス文明と共に始まった染織の歴史があって、各地方に連綿と伝わり、今も紡がれている伝統の布たちがたくさんあったのでした。(何も知らなくてすみません。汗) 
日本にも弥生時代に麻など織物の跡はあったものの、文様や技法は主に中国・朝鮮を経て伝来したものが発達して、日本独特の染織文化になったらしい。

全ページがカラーで、よくここまで細かく丁寧な織り方で素晴らしいデザインがあったものと感心しきりです。日本の布と比べると、派手なデザインで色鮮やかなものが多い。地域による色や手法の違いは少々あり、欧米のものしか見たことのなかったキルトもあるし、更紗(型染めの一種)や刺繍もたいへん美しく、ため息が出ます。デザインも素朴なものからグラフィカルなものまで、インカ帝国の文様に似たものから、今まで見たこともないような形まで、ほんとうに様々です。
著者は37年間75回もインドに渡り、僻地や山奥へも行って、今は数少なくなった手織りの布達をコレクションし、大切に保存しているとか。

手織りをしている現地の人たちの写真がところどころにあった。ほとんどは家の中や外で地べたに座り、ごく簡単な棒を数本渡したものを織り機にしている。数千年前もこんな風にして織ってたのだろう。糸紡ぎの少女や織り子さんが貧しそうで、賃金しっかりもらってるのかなと思った。植民地時代の後は手織りは次第に少なくなり、機械化されていった歴史も書かれている。

別の本で、「文化とは庶民がどういうものを美しく感じ、それを作ったり伝えていくかである」という文を読み、インドの人々と重ねた。インド哲学と、染織の言葉の共通点も知った。スートラ(経典)は仏陀の教えを「糸を通してつなぐ」こと。ヨガの「タントラ」は「経糸」というサンスクリット語。織る行為そのものが、神との合一をめざすらしい。

これらの布を見ていると、インド各地の人々が豊かな美意識を持っていたのが伝わってくる。もっと他のアジアや中近東の布や染織のことも知りたい。 (’09.6月)




  128 『白州正子 美の種をまく人』  2002. 新潮社 とんぼの本

子どもの時より能を嗜んでいた女性というと、どんだけ高貴な家に?と思う。骨董を愛した素晴らしい審美眼の人と聞いていたので、彼女が好きだった物をたくさん紹介していて、とても楽しめた。
彼女が好きで集めたのは、あくまでも自分がいいと思えたもの、美しいと感じたもの。骨董にしても、由緒やいわれを気にしないし、自分の勘に忠実なだけ。また古いもの新しいもの、日本のもの外国のもの、何でも自由に選んだらしい。長年培った文化的な素養とかセンスは、やはり本物を見てきた目なんだろうな。

どちらかというと、男性的で力強くて豪快なもの、デザインが好きだったようだ。ものを買うだけでなく、実際にどう使えばそれが生きるか、見立てることも上手かったとか。彼女の目に適った華道家や染色家も、影響を受けながら美のセンスを磨き、成長させてもらったらしい。川瀬敏郎という花人の<たてはな>という活け花も初めて知ったし、活ける際の即興的な動きや、何段階かに分けて活ける(立て花ー活け花ー投げ入れ)のを紹介している白州さんの文章も、読んでいて面白かった。
清少納言世阿弥西行についての評論を書いたり、生活の中のあらゆる文化や芸術に造詣が深かったのだろうと思う。 芹沢けい介氏にしても白州さんにしても、和のものだけでなくさまざまな国の文化や工芸、芸術に敬意を払い、貪欲に「人の手になる美しきもの」を求め、愛したのだと思う。  ('09.6月)




(番外) 『意識と本質』  井筒俊彦著作集

『神秘哲学』と一緒に開いているけど、、、かなり難しい。 前に読んだ『ロシア的人間』はなんとかわかったのだけど。 専門のイスラム教をはじめ、東洋西洋のあらゆる宗教や哲学に通じている人。易学だって詳しいのだ。マンダラ、「文字」の持つ意味、無意識、深層意識のことなんかが出てくる。
氏は「東洋哲学の共時的構造化の方法論的射程を測ってみたい」と思っているらしく、これも何のことかよくわからない。
「東洋思想を時間軸からはずし、範型論的にくみかえる。構造的な一つの思想連関空間をつくり出す。それは多極的で重層的構造を持つだろう」
と書いてある。この頃よく見かけるタテ軸とヨコ軸を組み合わせた四象限マトリクスのようなもの?と思った。(違うかもしれない。)
たとえばプラトンも素晴らしいし、禅や和風文化もいいと思う。キリストは個人的に好きだし、仏壇も毎日拝んでる。わたしの心の中はどうなってるの?というそこんとこや、古今東西の哲学や思想宗教などもどこかで繋がるらしい点を、著者は説明してくれるのかなと思った。

* 著者のプラトン解釈、洞窟の比喩の部分。
プラトン神秘主義は、向上道だけでなく向下道もふくむ。いったん洞窟の外へ出て光を浴び、もう洞窟には帰りたくなくなっても、外に留まってはいけない。まことの理(ことわり)に触れたと感じたあとも、安住せずにもう一度洞窟へ戻り、他の囚人を強制的に連れ出さなければならない。それはしごく現実的な実践なのだと井筒先生は繰り返す。強制者の意味…愛と教えと育みと。





127.『我と汝 対話』  マルティン・ブーバー, 田口 義弘訳 1978 みすず書房

昔読んだ本の再読。いまも難しいと思うけれど、あの時の関係を指すのかなと思うほどには理解できるようになった。
 自分が相対するものに感じる共鳴や共感。 相手が私の言葉を私よりも深く理解してくれたと感じたとき。 その関係は持続するものではないように思える。

けれど「我―それ」ではなく、ほんとうの意味で「我―汝」の関係を経験したことがある人、それを深く身の内に意識し納めている人なら、(内面での深い関わりあいを、他にも求めようとするのではないか。) ←この(   )の中をうまく埋められないで書き直している。
 我ー汝の関係は、「自分と没頭する本」の関係だと思えばわかりやすい。本の中にふかく入り込むとき。自分と対話しながら読むとき。何かの気付きがもたらされる場合。自分に潜む無意識や定まらない何かが顕わになり、形をとったように思える体験。すでに自分を忘れているとき。
人によっては、瞑想や祈りのときかもしれない。

「我と汝」の間には愛が存在する、とブーバーが書いているように、その関係は探して得られるものというよりも、聖寵のごとく与えられるものであるらしい。強いものではなく弱い存在にこそ愛が寄ってくる。 また何ものかに自分が動かされたり、自分が働きかける行為ではと思う。一見神秘的に見える、ありえない係わりかたではなく、生活の中で実際に幾度も生じるし、予測つかないものでもある。もしかしたら自分が大きく変わるかもしれないし、揺さぶりをかけられ自分を見失いそうにもなる、非日常の体験かもしれない。

「汝」とは具体的なだれかれといった他の人でもあれば、世界 という身の回りの目に映るもの全てであるかもしれない。 井筒俊彦『神秘哲学』も読んでいて、プラトンを思い出してブーバーとどこか繋がるのかなと考える。神秘的とは、神秘ではなく現実的であることの裏返し。一つことなのだと思う。  




126.「日本のかたち」 コロナ・ブックス 2007 平凡社

身の回りに見られるさまざまな「物のかたち」をオールカラーで紹介しているビジュアル本。素材は、木、竹、紙、金、土、石、象。文様は植物、動物、自然、有職幾何学、宝づくし。その他に人間の祈り、信仰、身体のかたちを表すものが数種ずつ載っている。

中には初めて知った形と名前もあって珍しかった。「水煙(すいえん)」は、お寺の塔のてっぺんに据えられた火焔形の飾り。仏教で意味のある形が細かく施されているらしく、非常にすっきりと美しい。塔ごとに水煙の形は違うという。
香炉なども本当にさまざまな形があり、オブジェとして部屋に置いておくだけで和風、洋風、中華風になり、素敵だろうと思う。

興福寺 水煙

ほとんど日本のかたち…とされているけれど、源ははるかオリエントやペルシア、中国、アジアから渡って来たデザインが変化したのでは。それについての説明は少ししかなく、日本独自のものかと思い違いしそうだった。日本らしいデザイン、文様はとても好きだし心惹かれるので、どんな所が固有と言え、また万国共通なのか、もう少し自分でも調べてみたいと思った。 ・・・というか私は「日本の」だから好きなんだろうか? ただどの国のデザインであっても、いいなぁと思えるものを好きなだけだと思っているのだけど。



* 毎日数冊ずつ読んだ本の感想をブログにアップしている方がいて、何のために読むか、なぜたくさん読むかという目的や考え方にとても共感した。それで私もしばらくの間は少し読むスピードを上げ、飛ばし読み・流し読みもし、簡潔に感想を書いてみよう。




125.「文字の美・文字の力」  杉浦康平 編  誠文堂新光社 2008年

ネットを始めてから、手紙をしたためたることも少なくなった。久しぶりに手紙を書こうとすると、とても時間のかかるものだと感じる。今はすぐ本文に入れるメールの方が何かと気軽に書けるようになってしまった。手紙をもらうと嬉しいし、自分が出す側になって便箋や封筒を選ぶのも楽しかったりするのに。

現代では「書くもの」から「見るもの」へと変わりつつある文字は、もともと書いたり刻んだりして「身体を動かして生み出す」ものだったと著者は言う。また何より「声の乗り物」であり、人の音声を写しとるものだった。パソコンの文字を見ては、書いた人の声の調子を思い浮かべてしまう私なんかは、なるほどと思う。

この本では、身近な生活の中で時に呪力を持ち、強い願いが込められ、生活の中に潜みながら力を持っている文字たちを、数多くの写真で紹介している。いわばモノの機能よりも”文字がデザインの主役”となっている物たちを、朝鮮、中国、アジアから日本にかけて探し出している。

絵画や木彫り、器に刻まれ描かれた文字などは知っていたが、禅庭の枯山水や寺院の池が、「心」や梵字をかたどったものだったとは知らなかった。
大文字焼きの夜空に浮かぶ火の字、月餅や和菓子に型打ちされた文字はおなじみ。それから帯止めに、硯の墨溜まりの「心」も面白い。
「文字を纏う」の章では、中国の貴人が着ていた服の文字。日本の着物の模様に描かれた文字や、半纏(はんてん)のそれ。
歌舞伎の弁慶の衣装にも梵字が使われていたとか。漢字だけでなく梵字というのは気付かなかった。
それから京劇の隈取りもあれば、究極は体に経文を書かれた耳なし芳一。耳だけ字が忘れられて悲劇が。。。 
とくれば、「文身」とも書く刺青(いれずみ)は、古来より護符と潔めの意味を持っていたとかで、まさに文字をまとうのだ。そういえば外国語の入ったTシャツは誰でも着ている。文字はお洒落の要素があるのだ。

見ていると圧倒的に「壽(寿)」の字が多い。それから喜や囍、福も。 「蝙蝠(こうもり)」は字形から幸運な動物だとされ、昔はいろんなものにその姿が描かれていたとかで、古い食器にはほんとにコウモリや福の字が多い。
あとは祭事の装飾や大漁旗、凧の文字など、示されてみれば身の回りにいくらでも文字のデザインがあるんだなぁと思う。

最も珍しかったのは「声の層雲譜」と題された読経の声明譜(しょうみょうふ)。声の高低の変化、ゆらぎが、お経の文字に添えられ、雲の形の線に表されている。煙がたなびいているようで、アラビア文字のようにも見え、声よ仏へ届けと言わんばかり。

昔の人が文字に強い力を持たせていたこと、言霊(ことだま)の意味が、かなり伝わってくる。文字デザインだけでなく、文化とモノの造形の関係とか、民俗学も少し知ることができた。 




下の※を付けた文(美のイデアと芸術家の個性)についての答えのようなものが、ネットで見つかった。とても深みのある対談をしている木戸寛孝さんという方。

<「自分の意思」が主役じゃない、何か根源的なものに同調したい意思があるだけ。>
 <世界は自分を縛るものではなく、語りかけてくるものとして見えてくる――脳の解析度を上げるということ>

ほかの発言もとても頷けるものばかりで、紹介させて頂きます。
「ヒトゴト」HPより



124.『芹沢銈(けい)介作品集』  求龍堂

 臨時収入の給付金で買いました! 染色家だった芹沢氏は、布や紙、本の装丁など商業デザインだけでなく、建築やガラス、照明、室内装飾も幅広く手がけたらしい。膨大な仕事の中から選ばれた色鮮やかでモダンな文様の数々は、パラパラと見ているだけでも楽しめた。

 特に「いろはにほへと…」や漢字を大胆シンプルにデザインしたもの、のびのびとしてユーモラスな海産物など、自然や人々の姿かたちの文様が面白い。日本人なら誰でもどこかで見たことがあるのが芹沢文様なのではと思う。伝統そのものの高級感とか洗練された感じは少ないながら、民芸運動に共感した人らしく、どこか土臭さと懐かしさが残る。すっきりして西欧風な面も感じられる。和モダン…とひとことでは言えないような、世界各国、さまざまな時代のデザインが詰まっているようだ。特に沖縄の紅型染めに大きな影響を受けたとか。男性的な骨太さ明確さが中心になって、しかも女性的なやわらかさ色に対する細やかな感性も併せ持っているように感じた。

 「用の美」を追求するとは、物の機能だけでも芸術性だけでもなく、「生活を美しく楽しむこと」なんだなと思う。

 氏は染色家とか伝統工芸士と呼ばれるのを嫌がり、一生涯「僕は物つくり。自分自身を作っている」という姿勢を貫き、弟子にも「物作りなんだから死ぬまで物を作れ」と言っていたとか。なんだかとてもわかる。作ること、作ったものを皆に使ってもらえることが歓びであり、好きでたまらなかったのだ。

 ※ 最近なぜ或る文章や画像、デザインに自分が惹きつけられるのだろう、好ましいと思うのだろうとおもう。作り手の「人間」に惹かれているのか、それとも「言葉、デザインそのもの」に惹かれるのか。言葉やデザインの向こうに美しさのイデアのようなものがあって、私はそれに憧れているだけなんだろうか。でもその人がいなければ、その言葉や映像やデザインは生まれなかったのだし。
あるいは表現者と言葉・デザインは一体で、分かち難いものなのだろうか。両方に惹かれるのか同じことなのか、よくわからない。言葉やデザインの個別性とか普遍性がどういう関係にあるのか。。

 印象に残ったのは型染の「基督」図。風貌がどこかお釈迦様に似ている。また外国人から要請されて、「どんきほうて」という折本を苦心して作ったらしい。舞台は日本、主人公は侍という絵本だったそうな。人体をラフにスケッチしたものや、氏が世界中から集めた工芸品のコレクションも珍しかった。 

柏市所蔵 芹沢作品




123.『いのちを纏(まと)う―色・織・きものの思想』  志村ふくみ・鶴見和子/ 藤原書店  2006

紬織(つむぎおり)の人間国宝でありエッセイストで、今も染め織りをする志村さんと、着物が好きで踊りの名取でもあった社会学者の鶴見さんの対談集。異色の顔合わせで、染織や着物の話題が満載でとてもよい内容だった。冒頭にカラーで志村さんの織った着物が数枚載っていて、渋い色合いのぼかしの縞柄や、なんとも目に鮮やかな燃えるような赤(正確には「蘇芳/すおう」という色)の無地着物もあり、へぇーこんな着物だったのねと目を見張った。また私の好きな幾何学模様が織り込まれたものや、遠目には段ごとに色が変化しているように見える模様が、まじかで見ると無数の線の連なりと重ねで表された模様だったりと、織物表現の多彩さや可能性、志村さんのデザインの現代性を強く感じた。

「志村ふくみ氏の主要作品」(日本工芸会HPより)

紬織の展覧会の感想、これまでの人生、着物を着る喜びについて。色の捉え方や着物の歴史など知らなかったことが多かった。現在80代の志村さんは、30過ぎて染織を始め、60歳でゲーテやシュタイナーの色彩論を勉強したとか。彼女の知識は経験に基づくものなので、ゲーテの理論が難しくても部分的にものすごくよく分かったり共感できるとも言う。

植物染料の不思議、さまざまな染料がそれ一つでは色を出さない時に媒染(ばいせん)によって出やすくなる話。複雑な織りの模様は、はじめ全体をイメージして設計しながらも、途中で変化していくこと。全体の構成の重要性。 闇のような藍染の甕(カメ)の中から一瞬の緑いろや深い藍色が、いのちのように誕生するさま。色に対する日本人の感性、鋭さについて。そこから話は自分の世界を持った人間が重なり、集まることが大きな力となる・・・という話題につながる。

なにか二人の話を聞いていると、染織や着物とじっくり付き合うことでそれ以外の世界へも思いが広がり、遠くまで見透せているような感じを受けた。ものごとがある軸を中心にして、はっきり自由に見えてくるというか。
織りの模様は主題があって、メロディーと間(ま)で作る音楽や詩と同じだとか。織物を経験したことのない私でもなんだかわかるなぁ・・・と思った。たとえば一きれの布を前に、柄を活かしたいとか、こういうイメージで作ってみたいと思い、無数にあるデザインと色の組み合わせを考える。その内にしっくりくる配色や、配置と余白を思いつき、一つの形になる。自分の中から生まれるそれらも一寸先はわからない。思わぬ面白さ、意外性が浮かび上がった時は私って天才?と思ったり。(錯覚だと思うけど)

<・・・経糸緯糸の交差で織れていく。ものが成就するとか人生も すべてそうだと思うんです。先天的なものと現在の自分の気持ちとが、ぱっとここで出会った時に織物が一つ出来ていく。>

<聖堂(みどう)という紬織のデザインを思いついたのは、イタリアの寺院に行った時にお堂の中に蝋燭がともっていて、祈っている人たちがいたからです。アンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』のイメージも入っています。>(志村)

二人は着物の将来について、もっと着やすく着物の良さを生かす形や帯があるのでは・・・といろいろ提案している。帯の替わりにひもを付けるとか、着物が手ごろな値段になるにはとか、若い人に期待したいとか、対談を読んでいたら私も着物を着たいと思った。

それから自然と響きあうということ。たとえば切り倒す樹へ弔いの気持ちを持つ志村さんは、樹の魂ともいえる 取り出された「色」を着物に織り込むことで、樹のいのちを永遠に咲かせたいと考える。色の出方を待つとか、植物が色の秘密を見せてくれる、色をいただくとか、そういった深みのある意味を持たせている。「色」はいつでも手に入り、自由に使えるものとしか私は思ってなかった。

鶴見さんにとっての着物、志村さんにとっての織り仕事は、生きることと同義語だったのだ。 




122.『先生、シマリスがヘビの頭をかじっています!』  小林朋道  築地書館

たまたまネットで見かけた本。題名がいいです。むかし子どもに「コウモリ飼いたい」とか「ペンギン飼ってー」と言われ、・・・どうやって飼うのと。ていうかコウモリとかペンギンは一般家庭のペットの対象なんですか?・・・ペンギンは毎日新鮮な魚を食べさせなきゃいけないとか夏はどうするんだとか、どうも無理らしいという結論に達し、ザリガニ・カブトムシ・亀に変更させました。。動物って近くにいるだけでなんとなく安らぎを感じますよね。(※ヤモリとか爬虫類は除く。&動物の世話は大変。)

鳥取県環境大学の先生が、キャンパスで起きた動物との日常&事件をユーモラスに綴っています。学術的な本なのかなと思ったら、かなり軽くおもしろくてエッセイのようでした。何種類かの動物が出てくるんですが、どの子にも愛情いっぱい持ってるんだなとすぐにわかるほど彼らの立場と感情になりきっていらっしゃいます。 実験や研究用の動物に名前をつけていて家族みたいです。
アオダイショウのアオちゃんとか。この本を読んでいると、ついアオダイショウを飼ってみたくなったり… はしません。

可愛がりながらもちゃんと観察していて、動物の生態をわかりやすく説明してくれている所が、さすが大学の先生。
鳥取駅前の広場にヤギを放牧するという提案、とてもいいと思いました。
あと町の落書きは若い動物のマーキングと同じ、というのがなんだか可笑しかったです。




121.『染め織りめぐり』  JTB

ハンドメイドの布小物を作るとき古い着物を使うので、このごろ和服や工芸品など伝統産業に興味がわいてきている。大きく分けて「染め」と「織り」があるらしく、土地ごとに昔から伝えられてきた家内工業としての染織が多い。鶴の恩返しやギリシア神話をはじめ、民話や伝説にも女性と機織りが出てくるし。今は西陣織もアジアに外注しているとかで、伝統産業も困難な状況になっているらしい。

いま興味があるのは紬(つむぎ)や絣(かすり)、藍染など、素朴な感じの布。地味な色合いと模様はモダンで、現代にもじゅうぶん通用するものが多い。しま柄は洋服地だとストライプ、井桁や格子柄はチェック。古いのも今作られているものにも面白いデザインがたくさんあり、シンプルな北欧風の模様と合わせてみると絶妙に似合ったりする。

先日読んでいた小説にはヒロインの着る着物の話がよく出てきて、「牛首紬」というのを初めて知った。この本には各地のものがたくさんカラーで紹介されていて、いつか実物を見てみたいなぁと思う。産地は山の中や人里離れた地域が多く、染めに使う草木に恵まれ、川の水も綺麗で豊富にあるためらしい。あと沖縄、大島など島の産地が多く、家内手工業として発達した。現在は廃れかけたり人出が不足したりもして、僅かな数の織り手や染めが続けられている。 それにしても染めるのも布を織るのも、とてつもなく手間ひまがかかるものなんだなってわかる。着物一枚分(一反)を染めたり織るのに、何か月もかかるとか。ペルシャ絨毯なども数年かかるという。