本の感想2

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9.『聖書と終末論』 小川国男 小沢書店

小川氏はクリスチャン作家で以前から何か読みたいと思いながら、作品はまだ読んでいない。図書館の書架の周囲を回っていて、この本をふと見つけた。1997年頃(ちょうど世紀末)に、藤枝市(静岡)の文学講座か何かで講演したものをまとめたらしい。キリスト教の終末論は今一つはっきり分からないというか、ヨハネの黙示禄を読んでも内容が凄過ぎると感じるばかりで、何かぴんと来ないでいた。(聖書は通読経験はなく、全体の2/3くらい読んだと思う。)この本は聖書と終末論を研究したり、解き明かそうとしていると言うより、自分が辿ってきた文学の道と聖書との関わりを話そうとする、自伝的な要素が濃い内容に思えた。
はじめの方で「列車と小説」という項目があり、「ロシア文学では、ドストエフスキーにしろ、トルストイにしろ、列車の中で登場人物が何か考えている姿が大変印象的です。そこからうまく物語を展開していくのですね。」と、『アンナ・カレーニナ』などに触れていた。列車と言えば志賀直哉の『網走にて』や芥川『蜜柑』など、近代的な交通手段として列車が作品の舞台によく使われている。(他にも多くあるのだろう。)現代の小説や映画でも、自動車、飛行機などが舞台になったり小道具になったり。次第にスピードが増していき、主人公達も車や飛行機の中では、思索にふける場面もない気もするが、トリュフォーゴダールの車のように、出会いの場になりロードムービーになり、と別の意味のある使われ方をしているのではとも思う。(横道にそれてしまった。。)
フォークナーの捉え方は、小川氏独特な所があるように思えた。(フォークナーは一度読みかけて挫折してしまった。)「一般にフォークナーといいますと、苛烈な人間同士のせめぎ合いが継起したり、血なまぐさい暴力が振るわれたりして、信じられないようなドラマに登りつめていく物語作家とされるのですが、これはレッテルめいた批評でして、私がいつもいいなあと思うのは、むしろ甘美ともいえる抒情性が全編に行きわたっていることなのです。(略)フォークナーは、現実の風景を描きながらも、なにか時間を超えたいわば人間の心のなかにある永遠性に響かせているような、まことに微妙なタッチをもった書き方をする人です。」として、死の描き方に共感をおぼえると言い、そこから聖書の預言者エレミヤにいき、終末的状況と現代について書いていた。
小川氏の終末論の中心となるのは、「歴史的にみて、終末とか復活の希望は、虐げられた者達による裁判を求める考え方(正しい裁きを欲する理念)が根本にある」という点で、これを読んで終末論の意味が少しだけわかったような気がした。そして<正義ではなく愛による回復>を打ち出したのが、キリストやパウロだったとしている。 以下、心に残った箇所の引用―――

<死ねば肉体は滅びる、したがって、肉体を在らしめていた条件は必要がなくなる。霊魂だけが生き続けている世界は、なまみの人間の想像を超えたものだ、という方向に、多くの人は宗教を導いて行きます。しかし私はこうした説き方に異議を唱えたいのです。そうではなくて、存在の条件(時間、空間)の中に宗教的世界はあると思うのです。いわば実存の奥に宗教はあると思うのです。(略)存在の条件からの離脱を考えるのではなく、存在の条件に即すること、そのはかり知れない可能性を思いみるべきだと私は思うのです。>

<「わたしが受けた啓示は並はずれたものだった。だからこそ、そのことで思いあがることがないように、わたしの肉に一つの棘が刺された。わたしに悪魔の使いがつかわされ、わたしを苦しめている。(略)しかしわが主は、私の力は弱さの中でこそ発揮される、とおっしゃるのだ。」(コリント後書.12章)>

<人が言葉を読み取ろうとした、聞き取ろうとした、これは嘆願であり祈りです。(略)預言者たちには神は応えました。その言葉が終末論という大掛かりなものになったのですが、(略)ぜひこのことは聞かせてください、それによって私を落ちつかせてください、私の不安をしずめてください、ということであったのですから…。超越的な言葉もまた人間が引き出したものなのです。>

志賀直哉は、(『暗夜行路』の中で)「人類の運命が地球の運命にきっと殉死するものとは限らない」と書いております。(略)人類の滅亡を認めながらも、感情としてはこれを勘定に入れていない、なぜだろうか…、それを乗り超える希望が人間の奥底に植えつけられているからに違いない、と彼は考えていくのです。(略)人間の気持ちのなかに、われわれの日常の気持ちのなかにも、終末の運命と希望を感じ取る感性がある。>

他にも芥川『歯車』、ゴッホ「星月夜」の絵、ダンテ『神曲』、ドストエフスキー『悪霊』などを引用しながら、終末と死と生、愛などについて色々書かれており、終末論を日常の中で考えようと試みていた点が分かりやすかった。キリスト教的には正統な解釈ではないのかもしれない。私には他の終末論との違いもよくわからないが、読んで良かったと思える本だった。 (2003.11月)



10.『ローマ皇帝歴代誌』 クリス・スカー 創元社

世界史は高校の授業で習った知識しかなく、年号覚えが主だったし、それももう忘れかけているこの頃。最近は塩野七生氏のローマについての著作が多く出版されている。激動の時代の指針やリーダーを求めて、という理由で関心が持たれているのだろうか。TVでもローマを扱う番組が増えた気がする。(司馬遼太郎氏が生存中は、邪馬台国とか日本の起源に関する本が多かった。)「すべての道はローマに通ず」というのは文字通り事実で、当時作られた道路が現在でも使われ、道路の基礎となっているとか。また西欧文化の源はギリシア、ローマだからと、珍しく歴史関係の本を手に取ってみた。

この本は、BC27年に始まりAD476年に西ローマ帝国が滅びるまでの、ローマ帝国歴代皇帝についての紹介物語になっている。皇帝の数はほぼ77人くらい。(数え間違いがあるかもしれない。主な皇帝52人の後は、東部と西部に分かれ25人が簡単に記されていた。)皇帝についての記述は、多い皇帝で7ページ、少ない人は1ページとか数行だった。タキトゥスなど10人の歴史家が残した書物を元に、著者が他の文献資料を参考に書いたらしいが、歴史書は書き手の価値観や意図によっても様々に内容が変わり得るものなのでは、とも感じる。全体にかなり客観的に公平に、皇帝達の業績、性格、周囲との人間関係などを書いているのではと思えた。(一番わかりにくかったのが、各皇帝の姻戚図だった。)

誰が後継者になるか、というのは帝国の厄介な大問題の一つだったらしく、日本の天皇家のように子・孫へと続く時だけではなく、養子や軍人、元老院その他から皇帝になった場合も多いので(中には奴隷が2世代後に皇帝になった例も)、読んでいる内にどれがどの皇帝なのか、誰の子どもかなど、区別がつかなくなってしまった。(名前もかなり長い。)後継者決めでは、下克上のような要素も大きいし、偶然の要素もあるのではと思えた。とにかく皇帝の地位と言うのは不安定で、ある人物が新皇帝になったかと思うと、すぐに別の人物も皇帝宣言して「二人の皇帝」が出現するなど、くるくる変わる状態が多かった。

全体の皇帝について自分なりに分かった事を書くと、

・皇帝の資質がある人も無い人も皇帝になり、資質に欠ける人物が皇帝になると暴君と呼ばれ、市民や周囲は大変な迷惑をこうむった。罪もないのに、皇帝が気に入らないという理由だけで、ある日突然市民や周囲の人間達が殺されてしまうような事が、日常茶飯事で行われていた時代もあったらしい。

・どんな皇帝でも、即位した瞬間から絶えず暗殺(テロ)や陰謀・反乱の危険に脅えて暮さなければならなかった。不安、疑心暗鬼が元でノイローゼになり、精神がおかしくなった皇帝もいたらしい。

・広大な領土を拡大したり支配したり、各地域での侵略にも対応するなど、政治家と軍人の仕事に忙しかった。芸術が好きな皇帝であっても、そういった仕事を免除される訳ではなかった。手抜きしたり他の部下に任せていた場合もあったらしいが、大抵周囲が「この皇帝は資格なし」と決定し、暗殺の運びとなった。

・家族の中でも様々な女性が、皇帝の敵になり悩みの種になりして、また権力を持ったりして暗躍、活躍していたらしい。他方、皇帝の妻といえども、夫によって流刑、死刑、自殺を命じられた人も多い。(逆に皇帝を暗殺しようとした妻も多かった。)

・皇帝への評価の仕方がアンビバレンツで、一見矛盾している場合が多い。特に業績よりも性格や人格については、どういう見方で評するか、ローマ時代の歴史家も困った面があったらしいと窺える。例えば有名な贅沢者だったオト帝(A.D69年在位)が英雄的な最期を選んだとか、気まぐれ、残酷で情緒不安定だったカリグラ帝(37-41年在位)が、娘と妻には優しく機転がきく男だったとか、コンスタンティヌス帝(307-337在位)は、まじめな信仰心を持っていたが悪事もいとわぬ意志強固な陰謀家であった、など。(歴史家の皮肉と脚色による所も大きいみたいだ。) その他いろいろ皇帝達の欠点と長所を並べてあるので、どういう人物なのか正確には掴みにくい所もあった。いわば人間的な面でいうと何でもありで、あらゆるタイプの人間が揃っており、腐っても皇帝(鯛)…というか、驚き呆れるような性的放蕩も残酷行為も多くあったようだ。それが業績の良し悪しと関係なく行われたり、はじめ善い皇帝だった人が次第に放逸な行動をとるようになり嫌われていったりとか、一人の皇帝の人生にも変化があり、また賢帝の中には立派な人もいたりと、人間総見本市のようだった。

・ローマの建築技術はかなり水準が高かったようで、とにかく何でも壮大、壮麗、華美で、2000年近く経た現在でも、一部は残って使われているほど強固であり、贅を尽くした皇帝の生活と権力の強大さが伝わってくるようだった。(写真も多かったので、イタリアへ行ってみたくなった。)

*追記:皇帝の在位期間は、短い人で20数日、長い人で40年ほど。平均したら何年なんだろう? 

*皇帝の地位についての説明(ネット検索より):
アウグストゥス(初代皇帝)の特徴付けたローマの帝政こそ共和政の仮面をかぶった帝政で各論(つまり一点に絞ったところを見れば)合法ではあるが、それを全体から見ると違法であるという、矛盾を生じた集合権力体であった。つまりローマ皇帝とは法的な根拠も無ければ、実際に制度上にある地位ではなく壮大なフィクションにある、実際に皇帝になった者にとっては極めてバランスをとるのが難しい地位であった。 ただ、現状のローマの諸問題を解決し、かつ、国家を効率良く停滞せずに動かすにはカエサルアウグストゥスが目指した政治体制を選択するしか方法がなかった。」(歴代ローマ皇帝列伝:サイト「時空の扉」より)
(2003.11月)





11.『カリギュラカミュ  新潮文庫

<男と少女の会話>

少女:ねぇ、カリギュラってだーれ?

男:・・カリギュラは昔のローマ皇帝だったのさ。皇帝にはいろんな人がいたけど、彼はものすごーく独裁者でめちゃくちゃな政治をやって、みんなに恐がられ嫌われてた。

少女:ふ~ん。どんな風に?この前捕まっちゃったフセインと、どっちが悪かったんだろう。フセインは自分に反対する奴や気に入らない奴を、どんどん殺しちゃったんだよね。

男:うん、フセインと似ていたがカリギュラにはもっと哲学があって詩人だったのさ。たとえばだな、自分の妹が好きで男と女の関係になってしまった。その妹が死んであまりに悲しすぎたのと、なんとなくもやもやしてて生きるのがやんなっちゃったのとでヤケになったんだ。それで周りの部下や友達を理由なんかどうでもいいから殺せと命令したのさ。

少女:え~こわーい。そんなにカリギュラって強かったんだ。・・・ね、おじさん、もしかしてリストラされて、こんな公園にいるんじゃない?それってカリギュラみたいな人がいて仕事やめろっていったの?

男:どっ、どうしてそれを知ってるんだ?そう、実はな、鬼のような上司がいて、無理難題ばかり言ってナ。もっと金をかせげだのお前は能無しだのとフジョウリなことばかり言う奴だったんだ。

少女:フジョウリってなにぃー?あんまし聞かないよそんな言葉。

男:フジョウリとは・・・う~ん何だろな。君だって、なぜウチの親から生まれてきたんだろうとか、よその子供だったら良かったのにとか思うだろ?それから学校の嫌な先生とか、意地悪する友達とかから逃げたくても、どうしようもないってことがちょっとフジョウリかな? そうそう、おじさんだって結婚した時からなんとなくフジョウリが始まったような気がするんだけどな。

少女:ふーん、ちょっとだけわかるけど、そんなにどこにでもあるもんなの?だって自分で変えようとすれば出来ることだってあるわけじゃん。でも生まれることと死ぬことは自分ではどうしようもないか・・・。じゃ死ぬことを自分で決める自殺はフジョーリをなんとかしたいとか、壊したいってことなのかなあ。

男:自殺も死もなんだって考え出すと難しいぞ。だから昔からみんなが、あーでもないこーでもないと本にし哲学にしてきた。今ではネットがあるからな、知らない人に一緒に死のうって書いちゃったりするのさ。でもなー、おじさんには、カリギュラが治めてたローマ自体がフジョウリだったと思えるのさ。 カリギュラは自分の中にフジョウリを抱え、しかも自分がフジョウリそのものになってた。

少女:うーん、よくわかんない。カリギュラはほかにどんな人だったの?

男:うんとだな、カリギュラは独裁者だったけど、もっと孤独で色んなことを恐れてたし絶望してた。ゼツボウってわかる?突然、夜空の月が欲しいとかいったり、不可能なことが必要になった、といったんだ。不可能を可能にしたいんじゃなくて、ひ、つ、よ、う、と言ったんだ。

少女:エーと、月はホントは手に入らないと知ってて、そんな風に言ったってことでしょ?ということはー、自分の生きてるこの世界は、ホントはホントじゃない、別の世界の方がホントだって言いたかったのかなぁ。アポロに乗って月へ行ったのは、手に入れるのとは違うか…。月を手に入れた、という幻想を自分に信じ込ませたかったのかな?すごくゼイタク~。

男:うん、この世界がおかしいとか変えたい、とか誰でも思うんだけど、手順を踏んで変えようというより先に、ちょっと絶望が大きすぎたのかもしれない。たとえばカリギュラは、おれが全ての力を挙げて望んでいるものは、神々より上に位するものだと言ってた。ローマは世界中で一番強い国、その国で一番強い自分の力を、信じていながら信じられなかったんだ。・・・いや、もっともっと信じたかったのかもしれない。不可能な事でも、たとえ死人を生き返らせることでも出来るはずだ、それが無理なら眠っていようが起きていようが同じことだ、ってな。 おれは全能者だ。だからおれは片っ端から友人や元老院の家族を殺していったのさ。 そしておれを憎んでいる者たちの心を知っていながら、奴らにおれを消したいだろう?と残酷に問いただしたのだ。 もちろん誰もそんな気持ちは、おくびにも出さなかったさ。全てが芝居なのさ、筋書きのわかり切った。そう、自分でもギリシア神話を真似た格好をしては悦にいってた。生きることは、愛することの、反対なのだ!・・・。

少女:あの~、おじさん大丈夫?なんか顔が赤くなってきてるけど、カリギュラみたくなってない?

男:・・・おぉすまなかった、つい熱が入ってしまったな。ここらで一休みして缶コーヒーでも飲むとするか。

少女:缶コーヒー?だっさ~い。そんなの飲んでる子いないよ?スタバとかタリーズとかあるじゃん。そこへ行かなきゃネッ。

男:わ、わかった、そうしよう。

(二人、どこかへ消える)






       12.『サロメの乳母の話』 塩野七生 新潮文庫

塩野氏が自分の歴史知識をふんだんに用い、歴史上の英雄や偉人達を、脇役から眺めたらどう見えただろうか、という創作短編集。

ギリシヤ神話のオデッセウスの妻が夫についてぼやく「貞女の言い分」、表題の「サロメの乳母の話」、世渡りが下手な夫ダンテをそれでも愛情込めて冷静に評する「ダンテの妻の嘆き」、生まれた時からアッシジのフランチェスコを心優しく見守っていた「聖フランチェスコの母」、教育ママだったという設定の「ユダの母親」、馬を元老院議員にしたローマ皇帝の話「カリグラ帝の馬」。「大王の奴隷の話」は、アレクサンドロス王の偉大さを称えつつ王が何を考えていたか、本人以上に?良く知っていたかのように綴られていた。「師から見たブルータス」は、カエサルとブルータスとの人間比較や、カエサル暗殺時の裏話、「キリストの弟」は、父母や弟との家族関係からみたキリストを描いた話、「ネロ皇帝の双子の兄」は、ネロの悪行は全て双子の兄の仕業だったという話。(確か他の皇帝では双子がいたと思うが、まさかネロも?)
どれも大筋の史実は踏まえ、心理描写に余り深みは与えられていないようだったが、「通説とは違った視点で語った」というだけあって軽く楽しめた本だった。(2004.1月)




13.『深追い』横山秀夫

原作、映画とも『半落ち』が話題になっていて、どんな作風の人かと初めて読んでみた。ある地方の警察署が舞台の短編集。『深追い』『又聞き』『引き継ぎ』『訳あり』『締め出し』『仕返し』『人ごと』と、それぞれに 異なる年代の刑事や署員の日常生活が縦糸に、彼らが追いかける小さな事件が横糸になっている。

警察の裏話というのは面白そうなのに、一般人には余り知り得ない内容が多いから、どれも興味深く読めた。署員と犯人との長年の知り合い感?みたいなものや、考えが合わない(それも根本的に)同僚とのあれこれとか、組織で働くジレンマや階級闘争(警察も階級社会なのだ)などが、そうなんだ~といった感じで細かく丁寧に描かれていて、意外性も多かった。どの話にも少しほろりとなるようなシーンがあり、でも思いきり泣かせる描き方ではなく、簡潔で歯切れのいい文章で、現代風なドライ感もあった。これってハードボイルドなんだろうか。実際の現場を知っている人らしく(記者体験を活かして)書いてあったと思う。

刑事さん達も、必ずしも強い使命感や正義感をもった人ばかりではなく(もちろん人並み以上に、それが強い人の方が多いのだろうと思うけど)、仕事に嫌気が差したり投げ出したくなったり、日々警察とはナンダ?と自問しつつ生きているんだなぁ…。自分とは、人生とは、と煩悶&反問している普通の人々と全く同じなのだろうな、と感じさせられた小説だった。映画『セルピコ』を思い出した。長編も何か読んでみたい。(2004.1月)




14.『マイノリティ・リポート』 フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫

SFを久し振りに読んだら、かなり面白かった。(ディック作品は初めて。映画『ブレードランナー』の原作者でもある。)映画『マイノリティ』は展開が早くて意味がわからず、半分しか観なかった。原作はゆっくり読めたものの、過去と未来が入り混じってそこに予知能力者(プレコグ)が絡んでくるので、やはり話はややこしい。SFって読む方の頭が明晰でないと、ちょっと意味が通じなくなる箇所もあるので、果たして私に合ってるのかどうかは不明…。どの話もユーモアたっぷりに未来の世界を描いており、作者はもちろん科学的な知識を駆使しているのだろうが、娯楽作品として楽しめた。入っていたのは「マイノリティ・リポート」「ジェイムズ・P・クロウ」「世界をわが手に」「水蜘蛛計画」「安定社会」「火星潜入」「追憶売ります」=(映画「トータル・リコール」の原作)の7つの短編。今回は、面白かった言葉などを。

◇「多数派の存在が論的に意味するものは、それと対応する少数派の存在である。」(「マイノリティ・リポート」より)
―― 当たり前のような言葉だけれど、意味は深そう。この「少数派の意見」がマイノリティ・リポートとなって、主人公の運命を翻弄してゆく。

◇「ようやくD型ロボットが、メタリックな威厳をつくろってたずねた。」(「ジェイムズ・P・クロウ」より)
―― 人間とロボットの関係が逆転した未来の話で、ロボットがうろたえている場面。メタリックな威厳って(笑)。

◇「どうして彼らは世界球を欲しがる?本物の惑星、フルスケールの巨大な惑星を自分で探査することができないからだ。行き場をなくした大量のエネルギーが体の中に溜まっている。発散できないエネルギーがね。そして、閉じ込められたエネルギーは腐ってゆく。攻撃的になる。しばらくのあいだはちっぽけな惑星を相手に生命を育てて満足していられる。しかしやがて、潜伏していた敵意や敗北感が臨界点に達し、、、」(「世界をわが手に」より)
―― 文明が発達し過ぎた未来社会で、〝世界球〟というガラス球の中に、微細な人類の歴史を模型で造り育てて行くゲームの話。何物にも満足出来なくなった人間が、〝世界球〟にはまりそれを壊していく様子は、私も含めた現代人の気持ちをどこか連想させられた。

◇「女というやつは魅力的だが、科学に弱い」(「水蜘蛛計画」より)
―― たしかに。。。

◇「(彼の)意識上の記憶を抹殺されてしまったのです。いま覚えているのは、火星に行くことが自分にとって特別の意味を持つということだけ。記憶を抹殺した連中も、それだけは消去することができなかった。それは、記憶ではなく、願望だからです」(「追憶売ります」より)
―― 火星に秘密捜査員として派遣された主人公が、地球に戻ってからその記憶を消される。しかし火星に行ったという記憶がわずかに残っているために起きる騒動を描いた物語。ラストには凄いどんでん返し(主人公の記憶と体験が明かされる)があり、全体にスピーディーな運びと何層にも重なったあらすじで面白く、また笑える話だった。(2004.1月)