本の窓 26 (終章)

++ 本 26 ++




185. 『タゴール 人と思想』 丹羽京子/清水書院/2011

 著名人の生涯と思想をまとめたシリーズ「人と思想」。以前読んだ『ギターンジャリ』を思いだし、彼についてあらためて知りたくなった。悠久の時を感じる霊的な詩に惹かれ、意味ははっきりわからないまま読んでいた。 タゴールの初来日のとき(大正時代)、日本の文化人には彼にあまり興味がない人や、反感を持って眺めていた人もいたのを知った。 彼が出逢った人びとについて知ってゆくと、詩とは別の感慨をもつ。そして若い頃の大きな体験が、文学と表現に深い陰影をもたらしていたのを感じた。またそれにもかかわらず、「人生はゆるぎない確かなものではない、という悲しむべき知らせが、なぜか心の重荷を軽くしたのである」と思うに至った点に、すこし驚く…。いろいろ考えてわたしなりに感じとれたものがあったのでメモしておいた。タゴールの思想と人となりを深く掘り下げ、見つめている評論。

< この体験はタゴールにとって大きな分岐点となり、もともと孤独でメランコリックだった詩人にとっては、むしろ生きる原動力になった面もあるのではないか。そして生きるということはタゴールにとっては書くこと、とりわけ詩を書くことにほかならなかったのである。> 




184.『同じ時のなかで』 スーザン・ソンタグ  2009年 NTT出版

 読めるかな?…とわかるところだけ拾い読みしてみました。
政治や9・11についての時事論はやはり難しかったけれど、文学や美について語っている部分は、すこし理解できた。硬質な、といったらいいのか、論理的で深い知性を感じる文だった。

『バーデン・バーデンの夏』という、耳にしたことのある本が紹介されており、「ドストエフスキーの愛し方」という章があった。あの本は、ソンタグが発見したから日本にも翻訳されたのだと気付く。ロシアの医師ツィプキンが書いたその準フィクションを、とても読みたくなった。
ソ連の厳しい体制の中でどういうことが起きていたのか。亡命を希望していたが死ぬまで叶わなかったこと、作者の人物像についての想像。ソンタグの紹介に、ぜひ読みたいと思った。抑えた文章、感情は排し、論理的に『バーデン~』を分析している。ツィプキンとドストエフスキーの炎が、ソンタグの文によって輝きを増しているようだった。

ユダヤ系のツィプキンは、大のユダヤ嫌いだったドストエフスキーに、絶えず苦悶しながらも、愛していた。
その姿にソンタグが注目していたのがとても印象に残った。理解しがたい愛 を見極めようとする眼。


”作家の職務は、精神を荒廃させる人やものごとを人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること。 盲信を起こさせないことだ。
多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに見る眼を育てることだ。

  美しいものに圧倒される人の受容力は驚異的なほどにたくましい。きわめて厳しい混乱のさなかでも持続する。”

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『バーデン~』の紹介に出ていたので、『アンナの日記』も拾い読む。(著者アンナ・ドストエーフスカヤはドスト夫人)
意外なことに、彼女はドスト氏と性格が似ているように思えた。日記の内容がドスト作品を地でいってるような。
情熱と矛盾にあふれた夫を穏やかにつつみ、いつも笑顔な夫人…というイメージではなく、感情のゆれやすい悩むことも多い人だった。
あとでどう変化したかは知らないけど。。奥ゆきの感じられる女性だ。
得意の速記で書いた長い日記。よくこれだけマメに書き残したもの。





183.『我にやさしき人多かりき -わたしの文学人生』  田辺聖子 集英社 2011

田辺さんの小説は、読みやすくユーモアがあって庶民うけするとばかり思っていた。題にくらっとなって手にしたら、豊饒な古典の知識と美しい言葉づかいにびっくりした。過去の自作の解説、夫のこと生活のこと、過ぎし日々のエッセイもある。

「カモカのおっちゃんシリーズ」とか、どやねん?…なんて心の中で思っていたけれど。
どこか力を抜いていても細やかな観察。…「まぁええやん、いっしょうけんめいなんやな、ごくろうさん。」
という風な、大阪弁ののびやかなもの言いとか、芯のやわらかさみたいなところに、早く気づいて読んでいればよかった。

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源氏物語』も現代訳していて、後学のためにちょっと読んだら面白かった。
登場人物の美質を、あますところなく描いた物語なのだなぁ。(たぶん) 繊細な心もよう、人物たちのやり取りは、ほんとうに典雅な情景だと感じる。古語のはらむ美しさ、奥ゆかしさを、まだまだ私は知らない。

それにしても、肝心な場面はいっさい出てこないのが妙。
まるでああいったことはどうでもよろし。まえうしろの歌の読み交わしこそがメイン、尊いのじゃっ!(←カモカのおっちゃんのものまね)と紫式部が思っていたかのようでした。     (2011.初夏)

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 震災のあと、自分の中でいろんなことが変わってきていて、とくに読む本、言葉の意味の受けとり方が違ってきたとおもう。
人の文章でも、震災前に書かれたものか後かが気になる。とくにそれで何かがわかる というのでもないけれど。。

 無常という言葉に、ともすれば震災の風景が吸いこまれる気がして、いやいやそう考えるのは危ないなと思う。世の中は無常だ...と思ってしまうと、ときに、無力感や諦念につながるから―。なにかがなにかの因果とか報い、と思うことも今はなくなった。

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読書感想「本の窓」は こここまでで終わりです。